言葉も、態度も、行動も、何も求めないこいつの優しさは俺の不甲斐なさだと知っている。
けれどそれに甘んじるだけで、どうにかしようと必死になることはしなかった。するべきだったのに、逃げていた。


結果、こうなることは知っていたのに。




「先輩、」

何時もの通り抱えようとした俺の手を軽く押し返して、読めない色を宿した丸い瞳が俺を見上げる。

「嫌です」
「…何が」

答えは分かっている、でも敢えて馬鹿の真似で返した。
軽い拒絶を示した細腕を無視してそのまま両手で抑え込んで、眉間に浮かぶ青筋を隠す気も無く舌打ちすると胸の辺りで小さく溜息を溢したのが聞こえてくる。

「…舌打ちをされる覚えはないんですけど。寧ろ私がすべきですよねこの状況」
「…うるせぇ」
「嫌って言ってるんですよ、私」
「うるせぇ、今考え中だから黙ってろ」
「何をです」
「お前を黙らすか諦めさせるかの方法」

そう言うと呆れたように俺を見上げて、小さく肩を竦める。
何時もなら笑って諦める頃だけれど、今日はやっぱりまだ身体を捻って抜け出そうとしていた。

…くそ、この体格差で逃げれるわけねぇんだから諦めろっての。

「…私は生憎心の広い彼女じゃないんですよー」

馬鹿か、大坪も木村もくそ生意気な一年コンビも口を揃えて理解あり過ぎるって褒めちぎってるわ。

「別にこれ以上寛大な女になれなんて言ってねぇよ」
「たまには私の意地と見栄を優先させてくれたっていいでしょう」

若干硬い声色で、ただでさえちびのこいつが俯いたら顔は見えないけれどどういう顔をしているのかは容易に想像できた。
意地だの見栄だの生意気なことばっか言いやがって…。

「…お前はもう少しみっともねぇとこ晒せ」
「みっともなく泣き喚いてもっと私に構ってアイドルばっか見ないで好きって言ってーってヒステリー起こせって言うんですか嫌ですよ」
「お前がそんなだから俺が大坪と木村に叱られんだろうが」
「いっそ清々しいまでの責任転嫁じゃないですか」

腕を押し返す抵抗が少しずつ弱まる。

さっきの嫌は、俺に触られるのが嫌という事じゃない。今普段のように触られると、溜め込んだものが抑えきれないという意味なのは分かっていた。
そしてそれを吐露することをこいつが酷く嫌う事も。

嫉妬とか、寂しさとか、そういった類のもの。


「…確かに気は短ぇし、懐は広くねぇけどな。稀にしか来ないお前の癇癪くらいなら付き合ってやるっつの」
「いりません、暫く放って置いてくれれば収まりますもん」
「こないだ緑間に泣きついたのはどこのどいつだ。他の野郎に頼るとかふざけんな轢くぞ」
「…先輩に泣きつくくらいなら監督の胸借りてでも平静保って見せます」
「殺すぞクソチビ」

冗談にしても腹立たしいのに、言ったそいつは真顔だった。多分本気でそう考えているんだろうことは分かったし、だからこそむかつく。
知ってる、俺が頼りないとかそういうことを思ってこんなバカなことを言ってるわけじゃない。

こいつは、それが最善だと真剣に信じているんだ。

「私は、貴方の前では泣きません。絶対に、意地でも」
「…そーかよ」

可愛くねぇ奴。そんないつもなら普通に言える軽口も、今は口にしない。
今それを言ったら、こいつが酷く傷つくような気がした。

代わりに少し震えた肩ごと小さい身体を抱き込んで、逃げられないようにしっかり拘束して。

「勝手にしろ、俺が意地でも泣かす」
「泣きませんってば」
「絶対泣かす、ぐっずぐずにして全部吐かしてやるから覚悟しろクソチビ」
「…嫌ですよ。面倒とか、うざったいとか、思われたら私どうすればいいんですか」
「きったねぇ鼻水を俺の服につけて仕返しすれば？」
「怒るじゃないですか」
「おーキレる。けど、そんだけだろ」

面倒でもうざくても、こいつが考えてるようなことにはならない。もう少し自覚すりゃいいのに。
まぁ俺が言わないからだって高尾辺りなら喚くんだろうけど。

「強情で生意気なクソチビだけどな、泣き喚こうがヒステリー起こそうが別れねぇから安心しろ」
「…先輩にしては最大限のデレですね」
「今日だけだ。…満足かよ」
「…仕方ないから今日はそれで満足してあげます」


嬉しそうに擦り寄ってくるそいつに少し心臓が早まったのは、単なる不整脈だと思っておく。


20131005