どこにも行くな



「緑間君、私と浮気しない?」
「ぶふぉっ!!?」

彼女が暢気に紡いだ一言を言い終わるが早いか、形容しがたい派手な音を立てて金属製のロッカーが不慮の事故により損傷した。





「い、ったい何の冗談なのだよ!?」

彼の動揺と非難が混じったような視線が突き刺さるのを感じながらも、彼女は特にたじろぐ様子も見せずけろりと後輩を見つめ続けた。
そして一体どんな言葉を紡ぐのかと思えば、彼女は徐に視線を外して、悩ましげに眉を下げ。

「…そっか駄目か、どうしよう」

ふるふると肩を震わせて混乱と動揺に捉われる後輩の問いには一切答えず、彼女は僅かに眉を下げ手を頬に添え考え込むような仕草を見せる。
その天に愛された容姿のお蔭で非常に様になって居るのだが、残念ながらそれ以上の威力を持った爆弾の投下の所為で誰もそれどころではなかった。

ある意味凍りつく空間の中、緑間の後ろからひょこりと覗く形で現れたもう一人の一年レギュラーが沈黙を破る。

「…え、と、茉莉さん確認良い?」
「うん?」
「冗談、すよね勿論…」
「いや?」

ほぼ祈るように、というより肯定以外認めたくない気持ちで紡いだ問いだったが、彼女は無情にも、それはもう平然とした様子でそれを裏切った。

これは、不味い。
他人の機微に聡いとされる高尾も、また逆に鈍すぎるとされる緑間すらも、共通してその一言が頭を埋め尽くす。

何が不味いって、そりゃもう全てが不味いのだが、何より一番この沈黙を重くしている要因は言うまでもなくて。


…いるのだ。この爆弾が投下された空間に、その矛先となる張本人が。
因みに先程不遇の負傷を負ったロッカーに頭を突っ込んだ犯人であり、未だにその体勢のまま固まってぴくりとも動かない彼に触れる者はいない。そんな勇者は残念ながらこの場に存在しなかった。

柄にもなく空気の重さに泣きたい気持ちに襲われながらも、気の回る優秀な後輩はフォローへ必死に思考を巡らせる。

「で、でもほら、此の場で言うって流石に冗談としか。ね!?」
「本人に隠れて浮気に誘うのも不誠実でしょ?」
「浮気に誘う時点で誠実の欠片も無いのだよ!!」
「茉莉さんいつからそんな宇宙人キャラになったの!!?お願いだから会話して!プリーズ!!」
「緑間君が駄目なら高尾君どう?」
「会話ぁあああっ!!言葉のキャッチボールっ!!」

がくがくと肩を掴んで揺さ振っても、見目だけは可愛らしいマネージャーは考えを改めてくれる様子もなく。
それどころか更なる爆弾を投げつけて来る辺り、最早彼らの知る彼女ではないのかもしれないという錯覚すら覚える程だった。



もう嫌だ帰りたい。そんな思いが健気な後輩二人に芽生え始めた頃、漸く状況に変化が生じる。
ロッカーに己の体重を預けたままだった彼が、のっそりと緩慢に頭を持ち上げて、ゆっくりと三人に歩み寄ってきた。

そのあまりに何時もの彼らしからぬ動作に、情けなくも一年の二人が若干の恐怖と不安を抱える一方。
最も動揺すべきであろう彼女は相も変わらず平然とした様子で、近づいてくる彼を見上げていた。

そうして一歩分の距離まで近づいたところで、彼はもそりと辛うじて聞こえる程度の声量で呟いた。

「…てめぇら」
「はいっ!!何でしょう宮地さん、邪魔っすか!!邪魔なら今すぐ出てきます、なっ真ちゃん!!」
「す、すぐ支度するのだよ」

地を這う様な低音に身の危険を感じた二人はすぐさま荷物に手を伸ばしたが、それを制するように続けられた彼の言葉は予想したものとは違うものだった。

「部室の戸締りちゃんとしろよ」
「…へ?え、と、宮地さんは」
「場所移る」

ぼそり。そう殆ど聞き取れないような呟きを溢すと同時に、彼は黙って見上げていた彼女の細い腕を取ると、あっという間にドアを開いて部室から消えてしまった。

その場に残された二人は半ば呆然と立ち尽くし、どちらともなく顔を見合わせる。

「……どうすんのあれ」
「…どうも何も、なるようにしかならん。本人同士の問題だからな」
「まぁ茉莉さんだし流石に別れるってことにはなんねぇと思いたいけど…」
「…明日聞くしかないだろう。とにかく帰るぞ、藪蛇になりかねん」





― そんな、可哀想な後輩達の会話もつゆ知らず。


彼女は何時になく大股で歩く彼に小走りで引っ張られ、真っ暗で静寂に包まれた更衣室内に辿りつくと電気もつけないまま無言で彼と見つめ合うこととなっていた。

本来ならば激昂されても不思議はない立場の彼女はたじろいだ様子もなくひたすら彼を見上げていて、激怒するだろうと思われた彼は不気味な程静かに顔を伏せたまま黙っている。

不可解に満ちた光景だったが、暫くの静寂の後最初に口を開いたのは宮地の方だった。

「…お、れが」
「………」
「……… 俺も、悪くねぇこともなかったと、思う」
「めんどくさいですね」
「っ…悪かったよ!」

言い淀んで紡いだそれをすっぱりと一刀両断され、半ば自棄になりながら宮地が叫んだ。

全く文脈の成り立っていない会話だったが、当人達の間では成立しているらしい。
普段暴言ばかりの彼が、言い淀みながらとはいえやっとの思いで口にしたであろう謝罪を受けて、茉莉は漸くそれまでの無表情を緩めて至極不機嫌そうな彼の手を取る。

「一言なのに、こんななるまで言えないのは何でなんでしょうねぇ…」
「るせぇよ性格悪ぃ真似しやがって…っ!」
「確かに二人には悪いことしましたけど、宮地先輩が言えることじゃないと思いますが」
「ざっけんなふざけた冗談言いやがって…」
「冗談ではなかったんですけどね」
「っ…」

からからと笑った彼女の言葉に、宮地の肩がびくりと跳ねた。
そして反射的にその小さな身体を抱え込み、加減も忘れて締め付けると胸の辺りから苦しそうな呻きが漏れる。
だがそれに配慮する余裕も無くて、彼はじわりと鼓動を速める不安を捨てることが出来なかった。

そんな無言のまま絞殺を図ろうとする宮地を見上げて、彼女は痛む身体を堪えながら彼の頬にするりと白い手を添える。

「先輩、私は貴方の趣味を否定はしません。好きなら好きでいいし、ちょっとくらい私より優先されても良いです」
「………」
「でも残念ながら心の広い女ではないので、昨日のは無理です」
「…っかってるよ」

言い聞かせるようにすると、またぎゅうぎゅうと締め付けてくる逞しい腕に彼女はくすりと苦笑を溢した。
幼い子供を宥めるかのように背中を撫でると、彼の大きな身体がふるりと揺れる。

「…もう女の子と二人で会ったりしないで下さい、たとえみゆみゆの限定グッズぶら下げられても。私だって、人並みに嫉妬くらいします」
「…分かったから、お前もあの手の仕返しは止めろ」
「浮気ですか、別にデートして終わりのつもりでしたけど。誘った相手も相手だしそんなに効果があるとは思いませんでしたが」
「…野郎と二人で出かけたらぶっ殺す」
「はいはい、お互い様ですね」

そう可笑しそうに微笑んで腕から抜け出そうとした彼女だったが、腕の力は若干緩んだもののまだ解放される気配はなく。
再び彼を見上げると、彼女を抱え込んだままどさりと腰を降ろして暗闇の中座り込んでしまった。

そして膝に抱えた彼女の肩に頭を埋めるような体勢で、そのまま動きを止める。
そんな彼の無言の動作に、茉莉は数度目を瞬かせた後呆れたように肩を竦めた。

「…先輩、私帰って新作ゲームやり込まなくちゃいけないんですが」
「うるせぇゲー廃今日くらい黙ってろ」
「…もー、少しだけですからね」

そう返しつつ、彼女は至極嬉しそうに頬を緩めて温かなぬくもりに包まれながら目を伏せた。



「どこにも行くな」
(俺から離れるな、俺の傍だけで俺だけに甘やかされてろ。)



20131208


本日の被害者:チャリヤ