鷹と少女


その少々つり気味の鋭い目に浮かんでいたのはあからさまな好奇心。
そして人好きのする笑みはとても好意的だったけれど、その裏にちらつく微かな異質な感情を見抜けたのは、彼女がそれまでの人生で培った対人関係のお蔭であった。


値踏みされている、言い方は悪いがそんなところであろう。

かといって気分を害することはなかった。初対面で見惚れることも厭らしい視線を向けることもなく、ただ単純に推し量られる視線を向けられる体験は彼女には中々無いことだ。

不躾ともとれるその視線を、彼女は寧ろ好意的に捉えていた。
例えそれがどんなに初対面の目上の人間に向けられるに相応しくないものであっても、彼女が頓着するものではない。


だが、いつまでもこの状態で硬直するほどに物好きでもなかった。

何しろ今日は一刻も早く帰りたい。いや今日に限ったことではないのだが、とにかく彼女は諸々の都合故、必要に迫られない限りは即時帰宅を常としていた。
いくら多少好意的な感情を抱いたとはいえ、時間を割いても良いという気分になるほどではない。


そんな彼女の取り留めもない思案を踏まえた上で。

さて、先程から行く手を阻んだまま黙って視線を寄越すこの後輩の意図は何なのだろうか。


「…えーと、高尾君」
「え、すげ。もう名前覚えてくれてんすか?」
「はぁまぁそれが仕事なもんで。君目立つし、色んな意味で」
「んん、最後若干気になるけど良い意味と思っときます!」
「良い意味良い意味。そんで?」
「はい?」
「何用かな?」
「…何用だと思います?」

にっこり、という表現を当てるには少々含みがありすぎる笑みを浮かべた高尾と言う名の後輩は、彼女の問に問で返した。

その弧を描く口と瞳に、あぁ見た目通りだなぁと。そんな感想を抱きながら、彼女は特に怪訝も不快も浮かべることなく淡々とその笑みを見上げ続ける。


その立ち居振る舞い一つ一つから滲み出るのは、この飄々とした青年が相当の曲者であるという事実だ。
既に数日その様子を見ていた彼女には当然知れた事であったが、実際に触れることでそれは確証へと変わった。


しかし、曲者の後輩などと腹の探り合いをする気は彼女には毛頭ない。
そんな面倒を起こす暇があればさっさと新作のレベル上げをしたかったし、そもそも対抗心も敵意もない相手に探り合いをする意味もない、と考えるのは彼女の性質故である。

なので、笑顔のまま答えを待っている彼に返す言葉はごくごく単純だった。


「何て返せばいい?」
「……はい?」

返った声には隠しきれない動揺が滲む。けれど彼女は意に介すことをあえてしなかった。

「それは何か望む答えを想定した上での問い返しだよね?望むように返すよ?だから私は何て返せばいいのかな」
「………」

例えば、その見上げる瞳に僅かでも挑発的な色がちらついていたのなら。
彼はその笑顔を崩すことなく、「やだなーそれを考えてくれなきゃー」などと事もなく返していた事だろう。

けれど目の前の小柄な先輩マネージャーは、あきらかに何の他意もないと認めざるを得ないほどに、あっけらかんとした様子で言い放った。

彼は想定外の反応に僅かに呆気にとられて言葉を失ったが、ふと我に還って彼は再び笑みを繕う。
自分のペースに巻き込んでしまうつもりが、危うく手綱を握られかけてしまったではないか。
内心で息を溢しつつ、青年は笑顔を保ったままこの状況の打開策へと思考を巡らせた。


主導権を握るのはあくまで自分でなくてはならない。
再び冷静を取り戻し、彼は僅かに挑発を込めて口元を歪める。


「…やだなー、先輩みたいにかっわいい女の子に幼気な後輩が用っつったら大体想像つくでしょ?」
「幼気かー最近中々聞かない形容詞だよねぇ」
「はぐらかしちゃって」
「相手に合わせるのが世渡りのコツだよねー」
「さっすが人生の先輩、勉強になります」
「「ははは」」


…なるほど、食えない人だ。その言葉を浮かべたのは今度は彼の方だった。

その華やかな見た目から、周囲に甘やかされた頭がお花畑の女だろうという下してかけていた彼女への判断を彼は一度止める。
挑発も不敵さも見せず、ただへらへらと笑う少女は彼が出会ったことのない人種であった。
さてこの未知の存在にどう対処しようか。彼の笑みに僅かに悪戯っぽさが宿る。

そしてあらかじめ用意していた、出し惜しみしたその一言を飛び切り甘い声で形として彼女に降り注いだ。

「先輩」
「はいよ」

さぁ、来い。彼は内心で叫ぶが。



「俺と、付き合って下さい」
「あっはっは、面白いな君」
「っ………」

いっそ一刀両断の方が優しいだろう。
それほど間髪入れずに彼の渾身の口説きは軽快な笑みで見事に叩き落とされた。

そのあまりの反応に、ついに彼は繕った綺麗な笑みが崩れ落ち身体を震わせる。
そして、…盛大に噴出した。


「…っぶふぉwwwwちょwwww酷ぇwww せん、せんぱ、俺、告白www返事wwwないわwww」
「おやおや笑い上戸かい君」
「だって告白笑い飛ばすとかww悪魔っすよwwww」
「失礼な、私だって人の子だよ。心の篭った告白には丁重に真剣にお答えしますさ」

心の篭った告白なら、ね。

そう言ってにこりと微笑んだ彼女は、腹筋を酷使することに忙しく涙で滲んだ彼の目であっても酷く美しく映ったが幸い見惚れることはなかった。
その笑みと共に呟かれた一言が、彼女が全てを見透かしていることを示していたからだ。

品性には少々欠ける馬鹿笑いを収めながら、彼はにかりと楽しげに笑う。

「あーあ。好きです、一目惚れしました!…って、言うつもりだったんすよ?」
「まぁ王道だね」
「何処で分かっちゃったんすか?参考までに教えて下さいよ」
「はっはっは、既視感ってやつかねぇ。全く違う言い方で同じ目を向けられたことがあるんですよ、丁度一年前くらいに。そん時はもーっと怖い顔した大男だったけど」

けらけらと笑いながら、入部したての新米マネージャーにさっさと辞めろと宣った某青年を脳裏に思い浮かべた。
あの時の彼と、今目の前の後輩。手段は全く異なるが恐らく意図するところは同じこと。


彼は試したかったのだ。この容姿に恵まれた少女が、マネージャーとして信を置いても良い人間なのか。

あっけらかんと笑っている彼女を見下ろして、彼は鋭い瞳を細めて意図的に作ったものではない笑みを向ける。
おどけたように軽く膝を折り、目線を合わせるようにして彼女の瞳を覗き込んだ。
 
「先輩、謝った方がいいっすか?」
「はは、いらんって。これから長く過ごす巣を居心地良くしようって気持ちは責められることじゃないよ。私だって使えないマネは御遠慮被るし選手なら尚更じゃん?」
「先輩って見た目と中身ギャップ凄いっすねー」
「君は見た目と中身のギャップ欠片もないよねー。見た通りの曲者切れ者」
「やだ和成照れちゃう!」

そうして二人でけたけたと笑いながら軽口を叩く姿は、結構に珍妙なものであった。

進路を塞いでいた彼の身体が漸く退いたにも関わらず、彼女はすぐさま帰路へ着く事よりも楽しげな彼を見上げることを選択する。

そして、


「あとね、ごめんなさい」
「へ?」
「お返事さ。一応筋は通しとかないとねー」
「……っ、ぶっふぉぁっははwwwww丁寧にwwwww二回wwwwwフラれたwwwwwひぃwwwwww」
「ほいで」
「なにwwwもう俺保たないっすけどwwww」
「その上で、私とお友達になりませんか」
「何それwwwwもうやだwwwwwなるっしょそんなんwwwwwww」

そうして、その場に暫く奇異な馬鹿笑いが木霊し続けた。

20140610