秘密だよ


いつも飄々としている人だ。大抵は笑っていて、何か事があっても呆れて見せる程度で、感情を荒ぶらせる行為からは最も遠い人にも思えた。

高校に入って以来へらへらと俺に付いて回る男もそれに近い人種ではあったが、それよりも更に感情の波が緩やかで何処か達観した印象すらある。
その存在はマネージャーという位置でありながら部内でもかなりの存在を放っていたので、純粋にこんな人間もいるものなのかという感心に似た感情で認識していた。

どこまでも波立つことのない、ある意味人間味すらないような女性。
けれど、やはり人間であるからには負の感情から逃れられる筈もないのだと、そんな極当然のことを今日になるまでどこか失念していたらしい。







見上げてくる彼女の目は色素が薄く琥珀のようで、丸く大きなそれは磨かれた玉にも見える。
己の胸にも届かない小さな彼女はへらりと読めない笑みを浮かべて、言葉を選びかねている彼の顔をその首を精一杯動かして見つめた。

「やぁ緑間君、こんなところで会うなんて奇遇だね」
「…こんにちは」
「はいこんにちは」

にこりと微笑む彼女はあまり美醜に興味を示さない彼の目にも浮世離れしたものに映る。
柔らかな琥珀の髪と整い過ぎた造形、小さく華奢な身体。なるほど人形と呼びたくもなるだろう。

かといって彼にはこの有能な先輩マネージャーを人形と呼ぶ気には更々なれなかったが。
同じく容姿と才能に恵まれた身である彼には無責任に騒ぎ立てる周囲の鬱陶しさが良く分かったということが一つ、彼女の中身が人形とは掛け離れていることを知っているのがもう一つだ。

挨拶を溢したきり黙り込んで此方を見下ろしてくる様々な意味で有名な後輩に、彼女は薄く目を細めてその脇腹を軽く小突く。

「意外だな、君がこんな不真面目御用達の空き教室に来るなんて。今日はお供はいないのかな?」
「…忘れ物を取りに。奴は喧しいので撒いてきました」
「はは、そりゃ見つかるのも時間の問題だね」

鷹の目から逃げ切るのは至難の業だ。
からからと笑った彼女は事もなげにそう返したが、緑間は僅かに目を細めてそれを見下ろしていた。
普段と変わらず穏やかな様子であったが、それが偽りなく彼女の心情を映しているものではないと彼は知っていた。正確には、先程気付かされたのだが。

笑みを浮かべたままの彼女に、緑間は眼鏡の位置を直しながら若干硬い声色で口を開く。

「藤宮先輩」
「ん?」
「先程、泣いていましたが」
「…直球だなぁ君は」

単刀直入と呼ぶが相応しいそれが、あまりに変わり者と名高い後輩らしく彼女はそう呆れたような笑みで眉を下げた。
一度伏せていた視線を再びその高い位置に戻せば、真剣な視線を返してくる後輩と目が合って思わず小さく吹き出す。

「いやはや、全く君のその実直さは素晴らしいね」
「…何ですか急に」
「んー?好ましいなと思っただけだよ。ほら他の人ならどうしたのとか何かありましたから聞いてきそうなもんじゃん、それが一足飛びにド直球だからさ」
「泣いていたのだから何かあったのは明白です、聞く必要もないでしょう」
「あっはっはだからそれだってば。いっそ生き辛いくらいに真っ直ぐなんだから」
「………」
「すっごい顔だね。あ、分かった。これ高尾君にも言われたんでしょ?」
「…奴の話は止めて下さい」

可笑しそうに笑い続ける彼女を不本意そうに見下ろしつつも、彼の胸中に不満や怒りは不思議と湧いてこなかった。
けたけたと笑われてはいたが、それが侮蔑や卑下を微塵も含んでいないことは明白であり、好ましいという言葉が皮肉でも比喩でもないことを彼は重々承知していたからである。

まだ知り合って日は浅い、言葉を交わしたことも少ないが、彼女がそういう人間であることは緑間は確かな事実として感じていた。…まぁ、余談としては自分の金魚の糞を買って出ている男に関しても同じである。どうでもよい話であるが。

「…それで」
「ん?」
「何ですか」
「…そこは察して触れないで置いてくれると助かるんだけどなぁ」
「興味本位です、貴女のような人間が泣くのはどんな大層な理由なのかと。勿論無理強いはしませんが」
「はは、そこまで素直だと清々しいわホント」

相変わらずからからと笑う彼女に、緑間はもはや感心を通り越して呆れを抱く。

数分前、自分が扉を開けて振り返った瞬間、彼女の頬には確かに雫が伝っていた。嗚咽一つ聞こえなかったが、確かに泣いていたのだ。
なのに、自分は既にそれを見ているのだから隠す必要もないだろうに、彼女は何の不自然さも滲まない笑みを振る舞っている。
それは強さではあるがある種頑固でもあって、彼は自分のことを盛大に棚に上げて強情な人だと溜息を溢す。

時折ぴゃーぴゃーと泣いていた中学時代のマネージャーの扱いには屡困らされたものだが、これはこれで扱いに困るな。
そう独りごちながら、彼は仕方なしに手を動かして彼女の頭に軽く手を添える。と、当人は一瞬身を固くした後、ただでさえ大きな瞳を更に丸くさせながら彼を見上げた。

「…驚いた」
「何ですか」
「緑間君って女子を慰めるなんて器用な真似が出来る人種だったんだなと」
「………」

揶揄の色もなく、純粋な驚きとしてそう溢されては反応が返し辛い。
ぱちぱちと驚きに瞬く琥珀に見つめられながら、彼は気まずそうに二、三度彼女の頭を宥めるように軽く叩いて、言い淀みつつ言葉を紡ぐ。

「…感情を御そうと人事を尽くすことには感心しますが、程々にしないと支障が出ます」
「はは、気を付ける」
「そうしてください。マネージャーが欠けると練習に支障が出ます」
「こりゃまた意外だ。いちいち泣き喚くマネージャーがいる方が支障が出るんじゃないかい」
「…普段無駄に笑ってるのはそういう理由ですか」
「まぁ元々楽観主義者なのもあるけどねー」
「随分と殊勝な真似を」
「はは、意地らしいでしょ。似合わないけどね」

やはりからりと笑った彼女が、ほんの少しだけ眉を下げているのを認めて緑間は再び溜息を吐いた。

「…勿論逐一泣いたり喚いたりされては迷惑ですが、ここまで溜め込む必要もないでしょう。普段からガス抜きして下さい」
「…マネが気を遣わせちゃ本末転倒だなぁ、しかもエース様に」
「俺は気など遣ってません」
「良い男だね君は。じゃ、気を遣わせついでに一つ頼んでいいかい」
「頼まれずとも他言する気はありませんが」
「……さっすがエース様、惚れるわ」
「ふん…」

そう茶化す様に溢された言葉に、彼は気付かれないよう僅かに口の端を上げて微笑った。




なるほど、人間味のないその人は、ただの強情っぱりな女というだけのことらしい。




「秘密だよ」
(この誓いは余りにも似合わないから、胸に秘めて仕舞っておくよ。)



20140106


此れを機に仲良くなってくといいよ。