ただ、生きていくのに君が必要なだけ



※口の悪いお子さん時代の名残しかないジャーファルさん。苦手な場合はご注意を。





穏やかな陽射しの中、ずるりと机に頭を預けて空のカップが落ちないよう机の奥へ押しやる。
四徹明けの午後、夕日にはまだ時間のある頃になって漸く取り急ぎ分の仕事を片付けて、それまで張りつめていた緊張の糸が一気に緩んでしまった。

共に苦しんでくれた部下も日を追うごとに一人減り二人減り、昨晩追加の喫緊案件が来て残っていた僅かな精鋭達も悉く心を折られ。
それでも何とか午前は死に物狂いで働いて、やっと最後の調整のみとなった辺りで部下は皆帰している。
自分しかいない室内だ、誰に見られるわけでもない。そう思って人前にはとても晒せないだらしない姿勢で、だらしない格好で、重力に従って身体を横たえたわけだが。


クーフィーヤはとっくに脱ぎ捨てた。何時頃だったかは覚えていないが恐らく三日目辺りだっただろうか。
こうしている間にもまたどこかで新たな仕事が発生しているのだろうが、まずは一区切りとして風呂と食事を済ませなくては流石に人間としての尊厳が危うくなりそうだった。


ぐしゃりと適当に頭を掻きむしりながら、ふと僅かに開きっ放しになっていた扉が目に入った。
…遠い昔、あそこから遠慮がちに顔を覗かせて、生きてるか?なんて言いながら苦笑する女がいた。そんなことを思い出して、ぎゅっと胸の奥が締め付けられるような痛みが走る。


『おーいジャーファル、そろそろ休まないと本当に死ぬぞお前』


からりと笑う、女性にしては少しだけ低めの耳触りの良い声。
もう何年も前のことだというのに、まるで今その場で聞こえてくるかのように再生されるほどに鮮明に覚えている。

深い蒼の癖のない長い髪を無造作に纏めて、自分自身も隈を拵えて服も乱れているくせに、二日ほど寝ずに仕事をすると決まって現れて他人の世話を焼いていた。
ちゃんと寝ないと大きくなれないぞなんて戯言を抜かしながら、ベッドに行くのを渋る自分に強引に膝を貸して寝るまで離してくれなかった。
何も食べたくないと言えば、消化に良いものをつくるから無理にでも詰め込めと笑って明け方の厨場を二人で拝借した。


思えば、あの人がいた頃は気付けば無理の出ない程度に休息を取らされて、こんな様になるまで働くことは殆どなかったのだ。


『お前はほっとくと死ぬまで働き続けるからなぁ。シンと足して割りたいくらいだ』


決して言ったことはなかったけれど、そう呆れられるのが嬉しくて止められるまでは決して自分から休息を取ることをしなくなっていた。
特に急ぎでない案件も夜通し処理して、本来此方で処理する必要のない案件も引き受けて。そうして執務に齧りついていれば、あの人は自分を見てくれる。そう味を占めたのはまだ自分が少年と呼べる歳の頃だった。


でも、姉代わりだなんて言いながら世話を焼いてくれた年上の女はもう来ない。いくら徹夜しても、食事も風呂も忘れて仕事に没頭しても、諌めてくれるのは遠慮がちな部下だけで、有無を言わさず部屋から引っ張り出して休ませるお節介な女はいないのだ。

どうしようもなくやるせなく虚しい気分に襲われて、徹夜続きで上手く働かない頭は言葉にするつもりのない思考を口から垂れ流す。


「…どこで何してんだ、あの馬鹿女」


あんたがいなくなって何年経った。シンドリアはもう一通り整備が済んで、国と呼んで差支えないほどに安定した。


「創国の片棒担いだ一人の癖に」


まだ人の住める環境にほど遠い孤島を、切り開いて民を集め政治を根付かせて。シンと、あんたがやったことだろうに。


「何年遊んでるつもりだ、さっさと帰ってこいっての」


旅先で、行方不明のまま音沙汰もなく。そんな無責任な女。
あんたがいなくても何とか回るほどにこの国は強くなった。信頼できる臣も、頼りに出来る同盟国も増えた。それでも。


「…あんたが、いないと、」


…あんたがいないと、ろくに食べて寝ることすら儘ならない。

そんな馬鹿が、健気に何年も待ってやってるんだから、俺がくたばらないうちにさっさと戻ってこい馬鹿女。



ただ、生きていくのに君が必要なだけ