たいようみたいにわらった




人間、あまりに純粋な生き物を見ると正しい意味で直視が出来ないものなのだと知ったのは半年ほど前の事だった。


屈託なく笑う顔は冗談抜きで太陽のように眩しく、これが比喩で済めば幾分か私の心も平静を保てるのだが、残念ながらそうではないので笑顔を見る度心の中で恐れ戦いて後ずさっている。
その口から紡がれる言葉はもっと性質が悪く、見事に真っ直ぐで裏がなく痛いところと弱いところにぐさぐさと矢継ぎ早に突き刺さる。終いには自分の存在が酷く汚いものに思えて謝罪したくなるほど。

自分より年上の、しかも男性で、あんな生き物がいるなんて俄かには信じがたい。
そして不可思議なことに、そんな純粋が服を着て歩いているような方に、私は多少なりとも気に入っていただいているようなのが最も理解できなかった。


仲良くなりたいっていうか、その、もし暇だったらでいいんだ。少しだけ話が出来たら嬉しいなって。勿論嫌ならいいんだ気にしないで!
…が第一声の高校三年生男子が現れた時は一体どうしたものかと信じてもいない神に尋ねたものだ。しかも傍らに完璧な笑顔が返って嘘くさい学園の王子様付。
あまりに対照的なその二人は親友で、どうやら純粋の隣が同程度の純粋でなくとも上手くいくらしい。そう零したら王子様には裏で手酷いお仕置きを受けたのだが。



とにかく、その歩く純粋培養こと火原和樹先輩が、放課後の私の巣もとい図書室に現れるようになったのはここ一月ほどのことだ。

失礼ながらあまり足繁く図書館に通うようなタイプには見えないのだけれど、週に二、三度は必ず現れてきょろきょろと周囲を見渡し、そして私と目が合うと嬉しそうに小走りで駆け寄ってくる。

「こんにちは!偶然だね」
「…はい、こんにちは」

…偶然らしい。一度も本棚に近寄ることなく一直線に来る辺り、どう見ても私が目的のようにしか思えないのだが、それはどうやら私の勘繰り過ぎということだ。

「今日も読書?」
「えぇ、まっすぐ帰っても暇なもので…どうせなら少しでも有意義に過ごそうかと」

因みに今日のお供は『西洋音楽史』。
別に音楽科所属でもないのだけど、知識に貴賤もなければ要不要もない。あればあるほど良いのだからジャンルは特にこだわらず何でもよかった。

ただ、音楽科の先輩はそれに特に言及するでもなく、にこにことあの凶悪で眩しい笑顔を浮かべて私の前に腰を下ろすだけだ。
前に座っていい?どうぞ。なんてやり取りをしなくなったのは十日ほど前。あんまり一々確認するものだから、此処は自分の部屋かとうっかり錯覚してしまいそうで頼んで割愛してもらった。

半分ほど終えたそれを読み止して、視線を上げれば自然と先輩の笑顔と鉢合わせる。反射的に視線を逸らしたくなるのは私の心が穢れているのだろうか。
そわそわと話しかけたそうに落ち着かない様子の先輩に、失礼ながら散歩待ちの大型犬の姿が重なった。
思わず小さく笑いながら、予期しえる話題を此方から先に口に出すことにした。


「先輩、今日は練習はなさらないんですか?」
「えっ、えっと、これから!その前にちょっと、課題で使う本探してみようかなって」

探さなくていいんですか。なんて野暮なことは言わない。
そうしたら芋づる式のどの授業のどんな内容の本で、どういった課題でなんてことをこの可愛らしく微笑ましい先輩が困り顔で作り上げなくてはならなくなる。
本棚に脇目も振らずに来る辺り、あまりの素直さに少しだけ心配になってしまうがそれはまた別の機会に。

「そうですか。練習なさるなら、もし宜しければ端っこで聞いても」
「良い!!よ勿論!」
「…ですか、有難う御座います」

食い気味に小声で叫ぶ彼に、隠し切れず盛大に苦笑する。

毎回の事だ。ふらりと現れて私の正面に腰を下ろして、なにがしかの会話を交わすのだが結局はそこにいきつく。良ければ練習聞いてくれない?という、お願いのような言葉に。

音楽についてど素人とまでは言わないが、所詮素人に毛が生えた程度に過ぎない私にそれを頼むのかはよくわからない。けれど何回も何回も頼まれ、同じ数だけ先輩の演奏を聞いてきた。
のびやかで自由な音は先輩そのもので、私が聞かせていただくならまだしも聞いてやるものでは決してない。何せ先輩は代表に選ばれるくらいの腕なのだ。

何もアドバイスはできないというのに、それでもいいのだと先輩は言う。
他でもなく、君に聞いてほしいんだ。そんなお得意の真っ直ぐすぎて色んな意味で心臓を抉る言葉を惜しげもなく吐いて、私に向かって手を合わせる。


先輩の演奏を聴くのは好きだ。だからそうやって拝むように頼まれるのが居心地が悪かった。
だから、今日はこうして先手を打って、此方からお願いする形に持って行ったのだけれど。

「うわーびっくりした…まさか君からそう言って貰えるなんて思ってもみなかった」
「………」

この人が怖い。どこまでも純真で屈託なく好意を向けるこの人は、私にとんでもない勘違いをさせそうで。
特別なんかじゃない。いや、広い意味で言えば何故か特別の枠に入れていただいているのかもしれないが、私は決してそういう枠での特別などではないのだ。
この人は、こういう人。誰にも陰日向なく眩しい笑顔を向けてくれる人。のぼせ上がって勘違いしては目も当てられない。そう自制する。


だから、まるで向日葵も顔を背けるような眩しさ全開純度100%の笑顔を向けられたとしても、

「嬉しいな。今回は特に君に気に入ってほしくて、君に好きだって言って貰えるように練習してる曲だから」
「っ、…先輩の演奏、いつも私は大好きですよ」
「……ありがとう、嬉しいよ」



― 王子が裸足で逃げ出す様な、甘く蕩けるような視線を向けられても、私は決して勘違いしたりはしないのだ。



たいようみたいにわらった