今夜は星が綺麗だから


まるで監視されているようだな。


手にしたグラスを揺らして中身を躍らせながら、彼女はぼんやりと空を見つめてそう溢した。

今日のシンドリアは至って快晴であり、夜になっても雲一つかからない空には無数の星が瞬いている。そして図らずとも今日は新月で、舞台の主役は彼らのみだ。
街の灯の届かない海側の空は殊更に壮観で、恋人同士で見上げればさぞかし良い雰囲気を与えてくれるのだろう。

光の川だとか、宝石のようだとか、まぁ幾らでもその美しさを讃える賛辞はあるのだろう。
だが彼女の口を介せば、その感想は冒頭のような情緒の欠片も無いそれへと落ち着いてしまう。

漆黒の闇である筈の新月の夜ですら、煌々と人間を照らしだす光。
それを闇を照らす希望と呼ぶのも、一時も見られぬ安息というものを与えてくれない天の監視だと捉えるのも見る者の匙加減ひとつなのだ。
無論彼女とて星空を嫌っているわけではなく、寧ろこうして星を見て夜長を過ごす程度には好んでいるのだが、単純な感想として出るのは後者であった。


何をするでもなくその監視の灯をぼんやりと見上げ、空になったグラスに傍らのポッドを傾けて次を注ぐ。
気儘な一人の夜長を続けようとグラスを口に運んだが、その瞬間、背後からあっけらかんとした鈴の音がそれを遮った。


「あーっ、やっぱりベルさんだ!」
「っ、 …ピスティ?」

ひょっこりと現れて嬉しそうに手を振り近付いてきたのは、小柄な体躯の少女。

昼間ですら人の往来の多くない、王宮の片隅に構えての星見であっただけに思わぬ来客にベルは僅かに目を丸くしたが、すぐに頬を緩めて隣を空ける。
ぽすりとそこに腰を下ろすと、ピスティは機嫌良さそうににっこりと笑った。

「ベルさんったらこんなとこで夜更かし?悪だねぇ」
「ふふ、お互い様だろ。こんな時間にお帰りかい夜遊び娘」
「今日は夜デートだったんだもーん」

ふふふ。そうにやけながらベルに凭れ掛かると、ピスティはその手に握られているグラスを認めてぱっと顔を輝かせた。

「あれっ、ベルさんそれお酒?」
「残念、これは冷やした珈琲だ」
「…なーんでこんな時間に珈琲なんか飲んでるのぉ、寝れなくなっちゃうよ。それなら寝酒の方がいいのに」
「そりゃ申し訳ない」

期待が外れたと知り、途端にむくれてしまった少女に苦笑を返す。
先日の宴で酔い過ぎた所為で、禁酒令とはいかないまでも飲酒を控えるよう言われている彼女にいらぬ期待を持たせてしまったようだった。

唇を尖らせる可愛らしい少女に笑みを溢しつつ、彼女は軽く頭を撫でて窘める。

「にしても、か弱い女性をこんな時間まで引っ張りまわすなんて悪い男だな。程々にしておくように」
「もーベルさんったら子ども扱いして。このくらい普通ですよ、寧ろこんな時間に帰しちゃうなんてちょっと頭固いと思いません?」
「雰囲気に乗じてベッドに持ち帰る男が趣味なら手近にいるぞ、紹介しようか?」
「そっかー、王様を考えると確かに帰してくれる彼のが紳士的か」

誰とは言わずとも彼女の言葉の趣旨は正確に少女に届いたらしい。
さらりと主君に対する暴言を吐きつつ、ピスティはごろりと床に背を預けて話を続けた。

「男っぽくて格好良いんだけど、ちょーっと女心分かってないところがあるんですよねぇ」
「いいじゃないか、女性の機微に疎いくらいの男の方が信頼は出来るだろ?」
「そうだけどぉ…ベルさんそういう方が好み?」
「まぁ節操無しよりは圧倒的に好感を持てるな」
「今までの彼氏も?」
「少なくとも手の早い猿はいなかった」

矢継ぎ早に飛んでくる質問に淡々と答えると、どうやら少女の好奇心を刺激したらしく徐々にその声に熱が入る。
おやおや。内心でそう肩を竦めつつ、彼女は珈琲を喉に流し込んだ。

「じゃあじゃあ、ベルさんが一番好きだった彼氏ってどんな人だった?」
「こらこら、年寄りの恋愛遍歴なんて紐解くもんじゃないぞ」
「ベルさん年寄りって歳じゃないでしょー。じゃあ今は?彼氏作らないの?」
「火遊びをする時期は過ぎたからな。歳を取るとこうしてぼんやり星でも見て物思いに耽る方が楽なんだよ」
「むぅ…勿体無い、ベルさんなら絶対より取り見取りなのに」
「はは…」

あからさまに残念そうに肩を落としたピスティに、ベルは苦笑と安堵を混ぜて小さく息を溢す。

この恋多き少女は、自身のそれだけでは飽き足らず他人のキューピッドを買って出ることも生業としているらしい。
事実少女の親友ともいうべきヤムライハにはしょっちゅう恋愛指南役として助言をしているようで、そこにシャルルカンも加わって微笑ましい漫才劇を繰り広げているのを彼女も屡目にしていた。
複数の男と同時に関係を持つという不義も働いているようだが、彼女に言わせれば若い内の多少のやんちゃは仕方ないというところで。
節操無し色欲の権化ともいうべき代表例の男を間近に見ている所為か、ピスティのそれは彼女の中では“やんちゃ”で済まされてしまう程度のものだった。

だが、そんな可愛らしいやんちゃも矛先が自分に向くとなると心中穏やかではない。
突かれて困るような遍歴ではないが、今の彼女は色恋に向ける関心を全くと言っていい程持ち合わせていない為、下手に張り切られては色々と都合が悪いのだ。


未だ不満そうに足をぷらぷらと揺らしているピスティに、彼女はゆるりと頭を撫でて笑う。

「私の話は置いておくとして、愚痴なら付き合うぞ」
「え、ホント!?やったぁ、ここんとこヤムも研究で籠っちゃって話したいこといっぱいなんですよ」
「それは大変。まだ眠くないか?」
「全っ然!ベルさんがもう止めてくれっていうまで話し続けられちゃいそう」

打って変わって満面の笑みを咲かせると、ピスティは嬉しそうに鼻唄を溢す。
微笑ましさに頬を緩めながらベルが緩慢に腰を上げると、少女は不思議そうに小さく首を傾げた。

「あれ、場所変えるんですか?」
「いや、そうじゃないが… 夜長のお喋りにはそれなりのお供も必要だろ?」
「えっ、それって」

きらり、目を輝かせるピスティにベルは指を唇に当てながら、悪戯っぽく微笑む。


「少しだけだ。名目は…そうだな、今夜は星が綺麗だから、 とでもしておこうか」



背後で小さく歓声を上げる少女の愛らしさに堪えきれず小さく声を出して笑って、彼女は厨へと向かって足を動かし始める。


その美しさを愛でる為の祝杯ならば、空で瞬く監視人達もきっと見逃してくれるだろう。



20140720