猛獣注意



柔らかそうな大きな手で器用に淹れられた美味しい珈琲。
それだけで仕事の疲れを癒すには十分な程だけれど、その上目の前でカウンター越しに彼がゆったりと仕事を熟していく姿を見つめられるのだからこんなに贅沢な休日はない。

穏やかな優しい黒い目、低くて耳触りの良い声。心地良さにぼぅっと見惚れていると、彼がゆるりと首を動かして目が合う。
今日はお客さんが少ない、ピークも過ぎたし店も落ち着いている。構ってくれるのだろうかと微笑んでみせると、彼は大きな体をゆっくりと動かして此方へ近づいた。
あぁ、大きな生き物が動く姿ってどうしてこんなに癒されるのかしら。

「お疲れ様です、しろくまさん。一段落ですね」
「うん。おかわりは?」

低く柔らかいその声が自分に向けられているというだけで酷く幸せだ。緩む頬はそのままに、軽く片手を上げて答える。

「有難う御座います。でもまだ大丈夫です、もう少し残ってるから」

まだカップの半分ほどを満たしている黒い液体が揺れる。
彼が淹れてくれる珈琲は味も香りも抜群で、自然時間をかけて楽しんでしまう。加えて、彼が淹れてくれたものだから尚更だ。

彼の気遣いにそう返したが、彼はじっと私の手のカップを見下ろして小首を傾げる。
身体は大きいのに仕草は妙に愛らしい、本当にこういうところは彼ら独特の可愛らしさだ。

「冷めてない?」

小首を傾げたまま、彼が問う。

「まぁ…多少は。でも美味しいですよ?」

嘘ではない。上質な珈琲は冷えても美味しい、香りも良いし酸味も控えめな私好みのままだ。
けれど彼は暫く黙ってカップを見下ろした後、その大きな手を伸ばして気付けば私の手からそれを奪ってしまった。意図が分からず目を瞬かせていると、彼は薄く笑みを浮かべて言う。

「淹れ立ての方が合うから、新しいのを持ってくるよ」
「合う…?」
「次の秋スイーツフェアの試作品。するでしょ?味見」
「わぁ…!素敵」

ちょいちょいと爪で示された先を見つめれば、綺麗に飾られたケーキが目に入る。和栗の甘露煮がのった秋らしい一品で見た目だけで美味しそうだ。
先程から作っていたのはこれだったらしい、彼の姿を見つめるのに忙しくて全く手元が視界に入っていなかった。

魅力的なそれに視線を奪われていると、彼は悪戯っぽく小さく笑ってそのまま奥の流しへと進もうとしたので慌てて引き止める。
ケーキは勿論ご厚意に甘えるけれど、それとこれとはまた話が違う。

「待って、しろくまさん。それなら残り飲み切っちゃいますから」
「御馳走するよ?」
「違うんです、そうではなくて」

代金なんて気にしていない、寧ろこんな幸せをあたえてくれているのだから十倍の額を請求されたって払ってしまうくらいの気分だ。
けれど、そうではなくて、折角彼が淹れてくれた珈琲を多少冷めたからといって捨ててしまうなんてとんでもないことだ。勿体ないにもほどがある。

そう必死に手を伸ばしてカップを要求するけれど、彼は不可思議そうに首を捻ったまま返してはくれない。

「新しいの淹れてくるよ?」
「そうですけど、それも飲みたいんです」
「冷めてるよ」
「冷めてても良いんです」
「……」

また首を捻る仕草。
心底理解できないと言った態だけれど、それはあくまで素振りだ。彼はとっても頭が良いから私の意図が理解できていない訳はない。

要は遊びたいのだ、私で。勿論私もそれを承知で彼の遊びに付き合う気でいるのだけれど。
今までの人並みにはあった、人間相手の恋愛遍歴の中でさえこんなに掌で転がされたことはない。けれどそれが心地良く思える辺り私も相当だろう。

可愛らしく小首を傾げたままの彼に、私も真似をして返しながら口を開く。
我ながら良い歳してこの仕草は如何なものかと思うが、彼がやっていることだから今回は良しということにしておいた。

「頂戴、しろくまさん」
「飲みたいの?どうして」
「大好きな貴方が淹れてくれた大切な珈琲だから、ちゃんと飲み切りたいんです。捨てるなんて勿体ない」

恐らく求められているのであろう答えを口にすれば、彼は少しだけ口の端を上げる。

「熱烈だね」
「その上健気でしょう?さぁ返してください」

彼はたまにこうして私の口から聞くのも言うのも居た堪れないような台詞を吐かせて遊ぶのだ。決まってお客の少ない時に。

それを知っているから然程抵抗なく言ってのけて微笑んでみせると、彼は満足そうにゆるりと微笑んでその大きな手で私の頭をゆっくりと撫でた。
この大きな肉球に撫でられる心地良さを知ってしまっては、もう病みつきだ。心地良さに酔いそうになっていると、彼はそのまま何も言わずまた奥へ引っ込もうとしてしまう。
勿論、カップはまだ彼の手の中。

「あ、しろくまさ… っ、」

慌てて引き止めかけたけれど、それを制するように彼は丸い瞳を此方へむけてそっと手を動かし。

「っ…!?」

― そのまま一気にカップをあおって、残っていた珈琲を飲み干してしまった。
言うまでもなく、私の飲みかけの珈琲。

あまりのことに反応を取り損ねて間抜けに腕を伸ばしたまま固まった私に、彼はまた悪戯っぽく微笑んでみせる。

「これなら勿体なくないね」
「…いや、そうですけど、…なんで」

そうだけど、そうじゃない。
上手く言葉が出ずに戸惑っていると、彼はまた肉球で優しく私の頭を撫で。

「大切な君には、美味しい淹れ立ての珈琲を飲んで欲しいからね」
「………」

先程私に言わせた台詞に似せた言葉を優しく囁いた彼に、思わず身体の力が抜けてしまう。
本当に、なんて性質の悪い人。いや熊。
そのまま机に枝垂れかかって溜息を零すと、彼は何度目かの小首を傾げる仕草を取った。

「嫌だった?」
「…お客さんの飲みかけを飲んだりしませんよ、普通」
「お客さんだけど、君だから。嫌だった?」
「嫌ですよ、私が飲みたかったんですもの」

同じ質問を繰り返す彼の意図には気付いていたけれど、少し悔しいので今度は求められる答えではなく明後日の方向で返す。
大好きではあるけれど、白熊相手に人間の異性以上のときめきを与えられるのは何処か釈然としない。

態と違う答えを返したことに少し不服そうな視線を向けられたけれど、知らない振りをして彼の柔らかな毛並みを撫でてにっこりと微笑んでみせた。
悔しいから、今度は遊ばれてあげない。


「意地悪なマスターさん、珈琲のおかわりをお願いできますか」
「…承知しました、意地悪なお客さん」



本当に全く、凶悪な白熊さんだこと。



20160819



凶悪すぎるわ…(癒しギャグと思いきやまんまと嵌められた)