彼女と不動峰の出会い
番外編
彼女と不動峰の出会い
学校が終わり、今日は部活のない曜日だったのでさっさと家に帰ろうと校門に向かって歩いていると、ついこの間仲良くなった杏さんが校門の前に立っていた。
部活は?どうしてわざわざ神奈川に?学校は?誰かに用事だろうか?そんなことを考えていると杏さんも私に気づいたようで、杏さんは私に気付くとその顔に満面の笑みを浮かべて手を振ってきた。
私も笑みを浮かべて手を振りながら、杏さんの立っている校門の前まで行くと、「良かった。なかなか#name2#ちゃんの姿が見えないから、もう帰っちゃったかと思ってたところだったの」と杏さんは安心したように言った。
「わざわざ神奈川にまでいらして、今日はどうかしたんですか?」
私がそう問えば、杏さんは私の手を引いて歩きながら「うん、前に会った時に#name2#ちゃん、恋愛には興味ないって言ってたでしょ?やっぱりそれって良くないと思うの。女の子は恋をしなくちゃ。だから#name2#ちゃんに私の男友達を紹介しようと思うの」と言った。
それはつまり、不動峰のテニス部の方々を紹介されると言うことだろうか?
いや、もしかしたらただのクラスメート達かも知れない。
もう十分過ぎるほどにキャラクターの濃い方々との絡みは経験したので、そろそろ生田さん以外の普通の中学生と関わり合いになりたい。
しかし、何が悪いのか彼等は私にあまり話しかけてくれない。その上、私が話しかけるとなぜか彼等は畏縮してしまうのだ。
別に寂しいとは思わないが、私は平凡に飢えている。
と言うか、むしろ女の子の友達が欲しいくらいなのだが、贅沢は言っていられない。
そんなことを考えていると、杏さんは「みんなアニキの部活の後輩なんだ。良い奴等だよ」と振り向いて言った。
……まあ、そう言うことらしい。
それから東京へ向かう電車の中で杏さんは、不動峰のテニス部の方々の紹介をしてくれていた。
この世界にトリップしてから4年も経つと原作の知識なんてぼんやりどころか、まるで虫食いにでもあったかのごとく、思い出せない部分が増えてきてしまっているため、こうして杏さんからもたらされる彼等の情報は新しくもあり懐かしくもある。
そして、橘さんの説明になった途端に生き生きと話し出す辺り、彼女のブラコンぶりがうかがえる。
私がそれを微笑ましい気持ちで聞いていると、どうやら目的の駅に着いたらしく、杏さんは立ち上がり「もう直ぐだから、楽しみにしててよ」と言って、電車に乗り込んだ時と同じように私の手を引いて歩き出した。
駅を出てから約10分程度歩いた頃に見えてきた不動峰の校舎を杏さんは指差し「あそこが私達の通ってる学校よ」と言った。
「ちょっとここで待ってて、アニキ達がいるか確認してくるから」
杏さんはそう言うと、私を不動峰の校門に残して校舎の奥に消えて行った。
確認してくると言うことは、橘さん達がいないと言う可能性もあるわけで、もしいなければ私はとんだ無駄足を踏まされた事になる。
そんなことを考えていると、校舎の方から杏さんではない別の人影が私の方に近付いて来た。
どこか見覚えのある不動峰の真っ黒いジャージに身を包み、坊主頭の彼の額の真ん中には黒子が1つ。
そう、橘桔平さんだ。
彼は私の前をずんずんと歩いて行き、私はそんな彼をぼんやりと眺めていた。
「ん?」
彼はそう言うと歩みを止めて、私の方に向き直り「他校の奴がウチに何の用だ?」と、明らかな警戒心を示しながら尋ねてきた。
まあ、確かに他校の、おまけに県外の学校の制服を着た人間が、自分の学校の校門の前にいたら興味も湧くだろう。
多少の警戒心も湧くだろう。
しかし、彼のこの威圧的な態度はいかがなものか。
私と自分との間に約30p程の間隔を取り、胸の前で腕を組み私を見下ろして来る彼はまるでどこぞの門番のようで、校舎には入れないぞと全身で語っている。
別に校舎に入る気もなければ、やましい事があるわけでもないので正直に「友達を待っています」と答えれば、「名前は?」と問われた。
もともと詮索される事をあまり好まない私は、橘さんのその問いに多少苛立ちながら「教えれば呼んできていただけるんですか?」と問いを問いで返してしまっていた。
その言い方が意図せず刺のある言い方になってしまい、ああしまった、なんて思った時には橘さんの片眉がピクリと動いていた。
「あ、アニキ。こんなところにいた。まったく、探したんだからね」
私と橘さんの間に流れる険悪な空気を気にした様子もなく、橘さんの背後から突然響いた明るい声に反応して、少し体を傾けてその声の主を確認すれば、そこにはやはり杏さんがいた。
「杏さん」
私がそう彼女名前を呼べば、杏さんは橘さんの影に隠れてしまっていた私に気付いたらしく「ごめんね、待ったでしょ?」と言って、顔の前の辺りで両手を合わせて謝罪のポーズをとった。
「いえ、気にしないでください」
「本当にごめんね。アニキがなかなか見つからなくって。
でも、もう会ったみたいね。」
杏さんは私と橘さんを見比べながらそう言うと「これが私のアニキ。橘桔平よ」と橘さんを紹介してくれた。
「紹介が遅れました。初めまして、#name1#です」
と言って頭を下げれば、杏さんが「この間変わった子と友達になったって言ってたでしょ?それがこの子」と、ちょっと聞き捨てならない紹介をしてくれた。
しかし、どうやら橘さんにはそれで通じたらしく、「ん?ああ。ケーキ屋の」と呟くと「さっきは悪かったな。俺は橘桔平。こいつの兄貴だ。こいつに色々と振り回されて大変だろうが仲良くしてやってくれ」とさっきの警戒心剥き出しの威圧的な態度とは打って変わって、友好的な笑みを浮かべてそう言うと、握手をするためなのだろう手を差し出してきた。
「いえ、こちらこそ杏さんのお兄様とは知らず、大変失礼いたしました」
そう言って差し出された橘さんの手を取ると、予想外に力強く握られ、ようやく放された私の手は、橘さんの手の汗でべたついていた。
そのべたつく手を微妙な気持ちで見つめていると、杏さんが「ほら、#name2#ちゃん行くわよ。他にも伊武君や神尾君達もいるんだから」と言って、私の腕を引っ張って歩き出した。
いつものように手を引かない辺り、どうやら杏さんは私の手が橘さんの手汗でべたつく事に気付いているようだ。
「なんだ。#name1#は神尾達にも用事があったのか?」
「いえ、用事という程のものではないですが、何と言うか…あの…」
私と杏さんの隣を歩きながら尋ねた橘さんに『恋愛対象になりそうな男の子を紹介してもらいに来ました』なんてどうして言えようか。
その男の子の中には、質問してきた橘さんだってばっちり入っているのだ。
私が何と言おうか考えあぐねていると、杏さんが丁度良いタイミングで「私と#name2#ちゃんの女の子同士の秘密よ」と言って、口に人差し指を当てた。
「秘密?」
橘さんは初めて杏さんに秘密を持たれたのだろうか?
そう呟いた彼は心なしかショックを受けたような表情をしていた。
それから、視線を私の方へ移動させた橘さんとばっちり目が合い、私は慌て「内緒です」と言って、杏さんと同じように人差し指を口に当てた。
しかし、その後直ぐに自分のその姿を想像して、あまりの似合わなさに居たたまれない気持ちになった。
それからしばらくの間、杏さんに腕を引かれて、たどり着いた場所はやはりテニスコートで、そこにはなんだか見覚えのある人達がテニスに励んでいた。
テニスコートに着いた私達に真っ先に気付いたのは、鬼太郎ヘアーが特徴的な神尾さんだ。
「杏ちゃん!
5時間目の授業が終わってからずっと姿が見えなかったから心配してたんだ」
そう言って走り寄って来た神尾さんには、どうやら私は眼中に入っていないらしく、綺麗に、いっそ清々しい程に存在を無視された。
別に彼に用事があった訳でもないし、確か神尾さんは杏さんの事を好きだったと言うことを思い出して、彼の一途さになんだか胸がキュンとした。
2人の様子を見て嗚呼、なんて甘酸っぱいんだ。正に青春!
なんて考えて、1人でテンションを上げていると、突然後ろから「ねえ、あんた誰?」と言われた。
恐らく緩みまくっていただろう表情をなんとか引き締めて、振り向けば、直ぐ後ろに伊武さんがいて驚いた。
「ねえ、あんた誰?
見たところこの辺の学校の制服じゃないよね、それ。
なんで他校の奴がうちの学校にいるんだよ。
怪しいなー、怪しすぎるよ。
あ、もしかして偵察とか?
別にかまわないけど、困るんだよなー。そうやって堂々と来られても。
正直、気になって練習に身が入らないし、どうせ偵察に来るんならバレないようにもっとこそこそしろよ。
……で、あんた誰?」
彼の中で、私は偵察に来た人、で決定付けられてしまったようだ。
「ちょっ!深司!
わ、悪いな。根はそう悪い奴じゃないんだ。
えーと、で、君誰?」
伊武さんのぼやきで、ようやく私の存在に気付いた神尾さんがそう尋ねてきたので「初めまして、#name1#です」と言って簡単な自己紹介をして頭を下げた。
「私の友達よ」
そう言ったのは杏さんで、神尾さんは私が杏さんの友達と知った事で多少は警戒心を解いてくれたらしく、親しげな笑みを浮かべて「俺は神尾アキラ不動峰中2年。よろしくな」と言って手を差し出した。
握った彼の手は矢張り汗でべたついていて、私の手は更に気持ち悪いことになった。
「ふーん。で、橘の友達がここに何の用?やっぱり偵察?
あ、俺は伊武深司、アキラと同じ2年。
あんたより年上だから」
どうやら彼はかなり人見知りをするタイプらしく、杏さんの友達だと知っても相変わらず警戒心を解かずにそう言った。
そして彼には私が年下に見えるらしい。
実年齢より老けて見える子達が多いこのテニスの王子様の世界で、精神年齢はともかく、見た目は年相応な私は随分と幼く見える様で、年下に見られる事が大変多い。
しかし、年下に見られるのにはもう慣れてしましたので、ああ、またかと思うくらいで今更それを訂正しようとは思わないので、ただ苦笑いを浮かべて「はい、気を付けます」と応えた。
「ごめんね、いきなりで驚いたでしょう?
深司君も根は悪い奴じゃないのよ。ただちょっと思った事が全部口に出るだけで…」
そう苦笑いを浮かべて言った杏さんは「ね、神尾君」と話を神尾さんに振ると、神尾さんは慌てた様子で「あ、ああ。そうなんだ。悪い奴じゃないんだ」と言った。
しかし、伊武さんは2人のそのフォローがお気に召さないようで、またぶつぶつとぼやきだしたのに私はただ苦笑いを浮かべるしかない。
それは杏さんと神尾さんも同じらしく、2人も私と同じ様に苦笑いを浮かべていた。
それから話に加わりにやって来た石田さん森さんと挨拶を交わし、外周から戻って来たらしい桜井さんと内村さんとも挨拶を交わした。
この世界では、初めて出会った人とは握手を交わす、と言う常識でもあるのか、みんな挨拶を交わすと必ず握手をするために手を差し出して来る。
それを無視するわけにもいかず、差し出された手をほぼ条件反射のように握れば、部活中だった彼等の手は総じて汗で湿っていた。
おかげで私の手は、もうこれ以上無いのではないだろうかと言う程にべたついていて、今すぐにでも鞄の中にあるウエットティッシュで手を拭きたい。
しかし、誰だって自分と握手をした相手が目の前でその手を拭くのはいい気はきないだろう。
彼等だってガラスの10代だ。仮にも異性である私がそんなことをすれば、傷つきやすい10代のハートにひびが入りかねない。
いくら鈍いと言われる私だって、それくらいのことは予想が付く。
だから、ここは黙ってただひたすらこの手のべたつきに耐えるしかない。
「それで?#name1#は結局何をしに不動峰まで来たんだ?」
そう尋ねてきたのは矢張り橘さんで、彼は私が何をしに不動峰に来たのか気になって仕方がないらしい。
杏さんは呆れた様子で「もう、アニキったら」と呟いていた。
ちなみに伊武さんの中で私は偵察に来た人、と言うことになってしまっているようで、この話題に興味すら示さず「偵察だろ」と言い切った。
「橘さん、知ってますか?
女性は幾つもの秘密を抱えてこそ、その魅力が増すんですよ?
と、言うことで、ここは私の魅力をアップさせるために私が何のためにここに来たのかは、内緒にさせていただけませんか?
それにほら、杏さんも言ってましたが、これは女の子同士の秘密です。
それに男の子の橘さんが立ち入るのは野暮と言うものですよ。
あと、しつこい男性は女性に嫌われますよ?」
わたしは橘さんに喋らせる隙を与えずに言い切ると「それでは、失礼します。杏さんまたあいましょう」と言って、呆然としている彼等を置いて不動峰の校舎を後にした。
不動峰を出て、近くの公園へ手を洗いに行ったのは、言うまでもないだろう。