ベルモットと別れ、組織の本部に向かった彼女は本部の指令室から受け取った書類を眺めていた。書類に目を通した感じでは今回の任務は割と簡単そうな内容に思えるが、気は抜けない。名前は冷蔵庫からミネラルウォーターを出し、コップに注ぐ。それを一気に飲み干すと、ノートパソコンを手元に引き寄せ今回のターゲットについて調べ始めた。
カタカタとキーボードを軽やかに叩く音が響き渡る。名前が調べているのは、資料に書いてあることの確認に加え、今回のターゲットの女の好みである。どんな女と噂があったのか、噂になった女の性格の傾向、髪色、メイクの傾向など、調べられることは可能な限り調べ上げていく。これをやるのとやらないのでは、ハニートラップの成功率が違うのだ。当日はターゲットの好みの女を創り上げ、演じていく必要がある。

「げっ…このターゲット、幼女趣味なのね…」

調べると今回のターゲットは幼女趣味があり、綺麗というより可愛い女の子を好む傾向があることが分かった。今まで噂になった女達もターゲットより20近くも歳下の子達ばかりである。

「こういうターゲットが1番面倒くさいのよね…」

溜息を吐き、シャットダウンしたノートパソコンを閉じる。当日は子供っぽい女を演じてやるか…。頭痛がしてきそうな現実に、名前は額に手を当てた。


任務当日、彼女は念入りに化粧を施していた。何時もより子供っぽくするため、ピンク色のチークを少し濃い目に入れる。セクシーな唇を演出するためのグロスには今日はお休みしてもらい、チークに合わせた色のルージュを引く。パチン、と口紅の蓋を閉め、完成したメイクを眺めた。…及第点くらいは貰えるだろう。流石に子供っぽいドレスは持ち合わせていなかったので、会場近くの組織の息がかかったサロンに話は付けてある。こんな姿は見せられたものではないので直接会場に向かいたかったのだが、仕方ない事だと息を吐いた。ヘアメイクも向こうでやって貰おう。
会場へは組織の下っ端が送り迎えをしてくれる事になっている。時計を見ると彼との待ち合わせ時間まではまだ少し猶予があった。ターゲットに関する情報の最終確認をしようと書類を持ち、リビングにあるソファに座った。すると同時に、彼女のスマートフォンが震える。手に取って確認すると、ベルモットからのメッセージが届いていた。

''自分に素直になりなさい''

彼女からのメッセージはこの一言で終わっていた。ベルツリー急行での任務は上手くいったのだろうか。そして、ベルモット、ベルツリー急行という単語でどうしても思い出してしまうのは、考えない様にしていた人物の事であった。
寝室に入った名前はナイトテーブルの引き出しから小さな箱を取り出す。箱を開けて指輪を取り出した彼女は、ギュッとそれを掌で握り締めた。
ーー彼はこんな任務をやる自分の事を心配してくれた。怒ってくれた。それは名前にとってとても嬉しい事だった。しかし自分は今日、そんな彼の優しさを踏み躙(にじ)る行動を起こす。ーー嫌われた方がいい。これ以上ないくらい嫌われてしまった方が、彼の為にも、そして自分の為にもなる。どんなに願っても、私達は共に生きる事など出来ないのだから。
指輪を箱にそっと戻す。時計を見ると下っ端の彼との待ち合わせ時間が迫っていた。慌てて寝室から出ると、洗面所でメイクが崩れていないか最終確認をする。ソファに置きっ放しになっていたスマートフォンを掴み、鞄に投げ入れた彼女はリビングから出ようとドアノブに手をかけ、はたと手を止めた。手に持ちっぱなしだった小さな箱…まさか持っていくわけにはいかないので、キッチンの台にそっと置く。ごめんなさい。心の中で謝った名前は、今度こそドアノブを下げて扉を開けた。
マンションのエントランスを出て少し歩くと、大通りに迎えの車が止まっていた。彼女が後部座席に乗り込むと途端に発車したその車は、ゆったりとしたスピードでヘアメイクサロンに向かう。運転手は寡黙な男で、どちらかと言えばお喋りが得意でない彼女にとっては嬉しい事実だった。ヘアメイクを終えた彼女は再び車に乗り込み、会場となるホテルへ向かう。ターゲットの幼女趣味に合わせた髪型はツインハーフアップになっており、毛先にかけて細く巻かれていた。ドレスは何時の大人っぽいものではなく、淡いピンク色でふんだんにフリルがあしらわれた子供っぽいものを纏っている。

「こんな姿知り合いに見られたら死ねる…」

「よくお似合いですよ」

「ありがとうで正解なのかしら…」

バックミラーからチラリと視線をよこしてきた運転手の男はそれだけ言うと再び黙ってしまった。複雑な気持ちになりながらも感謝の言葉を述べ、窓の外を眺めているとどうやら目的のホテルに到着した様だった。エントランスに車を横付けし、ドアを開けてくれた運転手の手を取り車から降りる。ベビーイーグルは今回も太腿の付け根に装着してあり、それに気を付けてヒールを鳴らした。運転手に別れを告げ、会場までの道を気持ち早足で進む。入り口に立っていた警備員に招待状を見せると、会場への扉が開いた。

お題配布元:秋桜

[BACK]
ALICE+