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孔雀妖怪なまえの朝はかなり遅い。それにはちゃんとした理由があるのだが…誰かが起こさない限りはほとんどの確率でお昼過ぎまで寝ているのだ。太陽が真上にだいぶ近付く時刻。黒羽丸は今日もなまえを起こすために廊下を歩いていた。
「なまえ、入るぞ」
寝ているのは分かっているがなまえも一応女の子。彼女が中学校に通うようになってから、黒羽丸は彼女の部屋に入るときは一応一声かけるようにしているのだ。
「はぁ…」
想像通りの光景に溜め息を吐きながら、黒羽丸はまずなまえから布団を引っ剥がす。すると彼女は眠いながらも一応目を開けるのである。
「眠い…あと1時間…」
「もうすぐ昼になる。いい加減起きろ」
「ん〜…」
「ほら」
未だ布団に寝転がったままのなまえを転がして、布団から追い出した。そしてその隙にシ−ツを剥がし、敷き布団は四つ織りにして押し入れにしまってしまう。要するに、なまえを強制的に起きなければならない状況に追い込むのである。しかしこの娘、なまえはこんなことで諦めるような神経が細やかな子ではない。起こしに来ているのが兄貴分ということもあり…彼女の本領はむしろ今から発揮されるのだ。
「ほらなまえ、行くぞ」
「ん〜〜…」
ごろりと畳の上に直に寝転んだなまえは再び薄目を開けた。そしてまた閉じたかと思えば小さな頃よく口にしていた言葉を口にしたのだ。
「だっこ〜…」
「お前な…」
ちなみになまえは今年で12歳。人間の世界でいえば中学1年生とまだまだ子供だが、妖怪の世界ではあと1年で成人である。しかしなまえは人間のリクオと兄弟のように育ったため、子供らしさが抜けきらないところが多々あった。特に朝が弱い彼女はただの甘えん坊になるのだ。
「子供じゃないんだから自分で起きろ。手を貸してやるから、ほらなまえ」
「だっこぉ〜…」
「……………」
「んっ…………」
このまま放置しておけばまた寝てしまいそうだ。そう考えた黒羽丸は二度目になる溜め息を吐いた後、寝転がるなまえの膝裏と背中に手を回し俗に言うお姫様抱っこで抱き上げてやるのだった。ちなみに小さな頃のように脇の下に手を差し込んで抱き上げることはもうしない。と言うよりも、もう出来ないのである。黒羽丸の腰よりも小さかったなまえの身長は今や彼の肩にこそ届かないがだいぶ延びてきていた。これでも、あと1年で成人する妖怪にしては成長が遅い方である。
黒羽丸はなまえを広間に運んでやりながら、再び眠りの世界に旅立とうとしている彼女を起こすために声をかけた。そんないつもの朝の光景を小妖怪達は何も言わずに見守っているのである。
「黒羽丸も過保護だよな〜…」
「奴さん、なまえのこととなると目の色を変えるもんな…」
ニヤリ、と笑った小妖怪達。果たして彼等の望む運命になるのだろうか。それは謎に包まれたのままだ。
「ほら、なまえ。いい加減起きろ」
「…ふぁい…」
くあ、と欠伸をした。お行儀が悪いぞ、と黒羽丸に注意をされたが聞こえないふりをする。広間の襖の前で彼の腕から降りた。コキコキと眠っている間に固まった背骨を鳴らす。
「お−、やっと起きて来たのか」
広間には黒羽丸の父親である鴉天狗がいた。さっさと席に着いたなまえは掻き込むように朝食を食べ始める。突然、早くなったなまえの行動の意味が分かった黒羽丸はくすりと、笑みを漏らす。
「……ごちそうさまっ!!」
ようやく食べ終わった。これはマズイ。非常にマズイ状況だ。何故お父様がいるこのタイミングで自分と黒羽丸は広間に来てしまったのだろう。自分達のタイミングの悪さを呪った。兎に角、早めに彼の視界から消えるのが吉である。光の速さで食べ終えた食器をまとめ、若菜がいる場所まで持っていくためになまえは立ち上がる。そして広間を出ようと襖に手をかけた時だった。
「これ、待つのじゃなまえ」
「…………」
鴉天狗がなまえに声をかけたのは。そしてなまえはブリキ製の玩具にでもなったようなスピ−ドで鴉天狗の方に頭だけ向けた。
「ワシが言いたいことが分かるな?」
「……………」
「分かるな?」
「…………」
声は出さずこくりと頷いた。変に反抗すると彼の小言が長くなることをなまえはその身を持って過去に十分に体感している。ただ黙ってその場が早く収まってくれるのを待った。しかしそうもうまく物事は進まない。
「…じゃあなぜこんなに起きてくるのが遅い!今何時だと思っとるのじゃこの馬鹿娘ぇぇぇえ!!」
「…いったぁぁぁああい!!」
何処からかハリセンを取り出した鴉天狗は豪快になまえの頭を叩いた。スパーンと気持ちのよい音がする。あまりの痛みに涙目になったなまえは食器を持ったまま急いで黒羽丸の後ろに隠れる。鴉天狗のお小言はまだ続きそうだった。
「リクオ様は無遅刻無欠席でいらっしゃるのにお前ときたら…」
なまえは鴉天狗にハリセンで叩かれた頭を擦った。地味に痛い。脳細胞百万個近く死んだよコレ。たん瘤でも出来ていたらそれこそ恥ずかしくて学校に行けない。いや、むしろ見せ付けるようにして行ってやろうか。そしてこう言ってやるんだ。リクオ様、リクオ様、お父様がなまえを虐めるの、って。
「…って聞いとるのかこの馬鹿娘ぇぇえ!!」
「聞いてる、聞いてる」
「ぜんっぜん聞いとらんではないか。全くどこで育て方を間違えたんだか。昔はあんなに素直でいい子だったのに…」
「………」
キュッなまえとは黒羽丸の羽織を掴んだ。それに気付いた黒羽丸は少しだけ身体を斜めにしてなまえの頭を撫でてやる。鴉天狗のお小言は終わらない。
「だいたいお前は普段からダラダラした生活を送りすぎじゃ。若者なら若者らしくもう少しシャキッと…」
「そのくらいにしてやれよ、親父。こいつが学校に行く時間がどんどん遅くなるだろ」
「う…それもそうだな馬鹿息子よ。仕方ない、行ってよいぞ」
見かねた黒羽丸が仲介に入った。先程なまえは彼の羽織を掴むことで彼に助けを求めていたのである。可愛い妹分の頼みとあれば、聞かないわけにはいかないだろう。鴉天狗からお許しを得たなまえは早速立ち上がった。そして今度こそ広間から出ていく。若菜のいる台所まで、食器を運んだ。
「あらなまえちゃん。おはよう」
「若菜様!おはようございます!」
台所では若菜が食器洗いに勤しんでいた。なまえの姿を視界に写した若菜は一旦その手を止めて布巾で手をふく。なまえはそんな若菜に近付き、唇を尖らせる。
「おと−さまにまた叱られました」
「あらあら、鴉天狗殿はよっぽどなまえちゃんが可愛いのね」
「そんなことないですよ!毎朝毎朝会うと何かと理由をつけて私のこと虐めるんです」
むう、と未だに唇を尖らせるなまえに若菜はクスクスと笑みを漏らす。そして戸棚から袋を取り出した後、なまえに渡した。
「親は子供が可愛いから叱るのよ。はいこれ、今日の分のお弁当」
学校頑張ってね。そんな若菜の声に後押しされながらなまえは台所を出た。手に抱えたお弁当箱の包みを見つめながら、先程若菜に言われたことをぼんやりと考えてみる。いや、やっぱり分からんわ。お父様はリクオ様ラブなんだもん。遅刻の件だってどうせ私がリクオ様の護衛だからあんなにうるさく言ってるんでしょ−よ。
なまえは今鴉天狗(お父様)に対し絶賛反抗期中だ。中学校に行くようになってから、周りの人間の子供が反抗期中なのに感化され彼女まで反抗するようになってしまったのである。別に進んで悪いことをしているわけではない。ただ、昔は素直に鴉天狗の言うことを聞いていたなまえが言うことを聞かなくなったのである。
「…………」
なまえは常々思っていた。自分は鴉天狗にとってなんなのか、と。黒羽丸を兄貴分と慕うなまえだから、鴉天狗のことをお父様と慕うようになったのはごく自然のことだった。鴉天狗もそれに応え、なまえを本当の娘のように可愛がっていた。しかし最近、いや、リクオが覚醒してからというもの、どこか心の奥底で違和感が拭えないでいた。この違和感の正体になまえはとっくに気付いていた。しかし言えなかった。言うことなんて出来なかった。だから、自分を守る唯一の手段として反抗期に突入したのである。
「………ばっかみたい」
ふあ、と再び欠伸を漏らした。弁当を片手に持ち直し、洗面所に向かう。そこで歯磨きをした後、髪の毛を結いお団子に纏めた。いつものスタイルの完成である。そして部屋に戻った後、制服に着替え学校指定の鞄の中に弁当箱を詰め込んだ。
「忘れ物なし、っと」
最後に鏡台の前で変なところがないか最終チェックする。そして鞄を肩にかけ部屋を出た。長い廊下を門に向かって進む。
「もう行くのか?」
「うん!」
今しがた広間から出てきたであろう黒羽丸は制服に着替えたなまえの姿をじっと見つめ、そして何をするかと思えば彼女のスカ−トの裾を引っ張る。
「短くないか?」
「これが普通」
「忘れ物はないか?」
「子供じゃないんだからないよ」
「とか言ってこないだ今日提出の書類忘れた〜!と泣く泣く戻ってきたのは誰だ?」
「……う」
今日は確認したから大丈夫だもの!となまえは黒羽丸を見上げた。その時のことを思い出してか少しだけ笑っている黒羽丸の足を軽く踏み、横を通りすぎる。そして少しだけ進んだところで振り返り、行ってきます、と伝えた。何時もの朝だ。
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