恋を、しました

私の父は、京都の妖だった。だった、と言っているからといって、今は京都の妖ではないという訳ではない。父は死んだのだ。今は、私が京都の妖なのである。

私の父の話を少しだけしようか。父はあの京都の大妖怪、羽衣狐の側近であった。400年前に魑魅魍魎の主を、京妖怪の宿願を、奪われたあの日をその目で見た1人だったのである。父はぬらりひょんという妖を酷く憎んでいた。それは当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。京妖怪のほとんどが奴良組を憎んでいたのだから。そう、彼等のせいで、私達京妖怪はその姿を表舞台に曝すことなく今日まで生きてこなければならなくなったのである。その事を考えると、やはりそれは当たり前のことのように思えた。
兎に角、側近だった父の死後私は父の跡継ぎとして羽衣狐の側近になった。そう、凶骨の娘のように。そして私は命じられたのだ。浮世絵町に行け、と。その日のことを私は今でもよく覚えている。夕焼けが綺麗な日だった。

「のぅ、名前」

「なんでしょうか、羽衣狐様」

「妾は憎きぬらりひょんの子をこの手で殺めた。その時、妾は見たのじゃ。“孫”なる存在を」

「…………」

「今はまだ、我等の宿願が果たされる時期ではあらぬ。この依代に転生したばかり、力が足らなんだ。花開院家の封印を解くことさえもこの身体では出来ぬ」

「…私(わたくし)にその“孫”をどうしろと言うのですか?」

「流石名前じゃ。妾の言いたいことがよく分かっておる」

「お褒めの言葉、光栄でございます」

羽衣狐はカチャリと音をたて紅茶のカップをソ−サ−に置いた。そしてナプキンで少し口を拭った後、艶やかな笑みを浮かべる。見たものを魅了するような、そんな微笑みだった。

「見ていてほしいのじゃよ、その“孫”を」

「…見張れ、と言うことですか?」

「そうでもあり、そうではない。ぬらりひょんの孫、名前にはその存在の成長を見守って欲しいのじゃ」

「…………」

勘がするどいと言われている私でも、今回ばかりは我が主の言っている意味が分かりかねた。何故、敵であるぬらりひょんの“孫”という存在をわざわざ見守るのか。顔をしかめた私に気付いたのか、羽衣狐様はくすくすとその美しい顔で笑みを溢す。さらりとした黒髪が夕焼けに揺れた。

「お主のしかめ面、初めて相見(あいまみ)えたわ。中々可愛らしいのぅ」

「…からかうのはお止めください、お姉様。そして真意をお教えくださいませ」

しかめ面が更にしかめ面になったことは自分でもよく分かっていた。元々私の性格は冷静沈着ではない。しかし敵に対して非情なれるのは他の京妖怪とよく似ていた。嫌ではなかった。寧ろ長寿が多い京妖怪の中で、若い私は子供扱いされることが多かったため、それはある種の誇りになっていたのである。そんな私の顔を見たお姉様は、笑うのをやめ再びあの笑みを浮かべる。

「…妾は子を殺した時、手に取るような感動を覚えたのじゃ。宿願に一歩近付いた。なんと嬉しきことか」

「……………」

「つまりじゃな、名前。妾はその感動を再び味わいたいのじゃよ。憎きぬらりひょんの孫…この手で殺め、あの夕焼けのように朱で染めつくしてやりたい…」

「分かりました、お姉様。要するにお姉様が、私達京妖怪が宿願を果たす時まで…他の誰に倒される事の無いように“孫”を守れ、ということですよね?」

やはり名前は賢いのぅ。お姉様はそう言ってまた笑みを浮かべる。しかしそれはあの見る者を魅了するような笑みではなく、私を信頼しての笑みだった。手を伸ばした羽衣狐は、名前の頭を数回撫でる。そしてその手を名前の白い頬に滑らせると、再び口を開いた。

「頼んだぞ。妾の可愛い名前…」

「お任せください、お姉様」

私達は立ち上がった。紅茶のカップは相変わらず振動でカチャリと音をたてていた。
そしてその後すぐに、私は京を出だ。お姉様が見送りにとわざわざ出てきてくれたが、なんだか子供扱いされているような気持ちが抜けなくてもやもやしたものである。兎に角、私は浮世絵町の住人となり人間として、彼のクラスメ−トとして、ぬらりひょんの孫、奴良リクオを見守っていた。私が妖だとばれるのはなるべく避けたかった。ここは奴良組のシマ、他の組の妖怪が入り込んだのが見つかれば色々と調べを入れられるのは目に見えている。そして私は京妖怪なのだ。お姉様に言われた使命を果たすために、なるべく穏便に事を運びたかった。

「……ふぁ、」

今、私は人間界で言う中学1年生である。勿論、孫と同じ浮世絵中学校に通っていた。ビックリするほどに変わったことは何も無かった。これでは守れているのか疑問である。あったとすれば彼、奴良リクオが小学3年生の時…一度だけ彼は妖怪に襲われた。その時私はバスに乗っていて、後部座席で眠っていた。あまりの振動に目を覚ますと、辺りは妖怪だらけであったのである。その中には孫もいた。彼はいつも見る人間の姿とは違い、完全にぬらりひょんという妖怪になっていた。父が持っていた巻物に記してあったぬらりひょんの姿によく似ている。素直な感想だった。それから彼は敵の妖の大将を倒し、自分が魑魅魍魎の主となると言った。それには鼻で笑ってしまったが気付かれることは無かった。魑魅魍魎の主となるのはお姉様であり、私達京妖怪が妖怪を仕切るのだ。ふざけたことはあまり言わないで欲しい。

今は夜だった。妖怪に会いやすい時間だ。学校指定の鞄を持ち直した私は、家に急ぐ。妖怪にはなるべく遭遇したくなかった。何度も言うが、ここは奴良組のシマなのである。事は穏便に済ませたかった。がしかし自分が望まないような事が起きてしまうというのがこの世というものである。

「旨そうな人間の娘だ」

下等妖怪が。唇を噛んだ私は知恵を巡らせる。どうしようか。自分の力でこんな下等妖怪なんぞ、一瞬で倒せる。しかしここは奴良組のシマ。自分の妖気を出すなど持っての他だし、かと言って人間の小娘の足で逃げ切るというのはなんとも微妙である。そもそも逃げ切れるかどうかが問題なのだ、たかだか人間の小娘では。そうこうしている間に妖は口を開け、名前に迫る。万事休す。自分が死んでは仕方がない。そう思った名前が変化を解こうとしたときだった。
ドカンと音がしたのは。そして次の瞬間にはその妖は消えていた。まるで初めから何も存在していなかったようである。しかしそうではないと確証できるものが残っていた。黒い羽根である。

鴉の、羽根だった。

名前は上を見上げる。そこには常闇の空が広がっていた。誰も、何もいない。勿論、鴉さえもいなかった。ただそう思うのは、見た者が人間だった場合である。妖怪である名前には人間に変化をしていてもちゃんと見えていた。1人の鴉天狗の青年が、妖怪に襲われた人間である自分を心配して見ていたことを。そして名前は、その青年に恋をしたのだ。一目惚れだった。


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