鴉天狗の青年は、しばらく私を守るかのように常闇の空を私について飛び回っていた。そして私が家に入ったことを確認すると、より一層羽根を大きく広げて夜空を迂回して帰って行ってしまった。真夏でもないのに少しだけ熱くなった頬に掌を押し付け、私はほう、と息を吐く。心臓はドクドクと異常に早いスピード脈打っていた。
その日から、名前は必要以上にぬらりひょんの孫にかかわるようになった。あの鴉天狗の青年に、もう一度、もう一度だけで良いから会いたかったのだ。彼が好きになった。彼に会う“だけ”なら、とても簡単なことである。わざと妖怪が出そうな夜道を歩けばいいだけなのだから。しかし自分という存在を濃く彼に植え付けるのは難しい。そしてそれは名前の中で、孫と仲良くするということに結び付いたのである。今や名前は清十字怪奇探偵団の一員だった。そしてついに、名前の願いは叶うことになったのである。
「え−っと、苗字さん?」
「なあに?」
「わざわざ残ってまで手伝ってくれなくてもいいんだよ?ほら、夜は危ないし」
それに、僕は進んでやってるだけだから。私のことを心配してか焦ってそんなことを言う孫に、私は私だってそうだよ、と笑いかけた。黒板をキュッ、キュッと音をたてながら黒板消しで綺麗にしていく。明日使う先生は嬉しいだろうなあ、とか思ってしまう私は人間らしくなったと自分でも思う。
「…ありがとう」
「いいえ。それとさ、苗字さんってのやめない?名前ちゃんが良いなぁ…」
「!?」
「仮にも清十字怪奇探偵団の仲間なんだし。私もリクオくんって、呼ぶからさ。ねぇ、いいでしょう?」
にっこりと笑った。孫、もといリクオくんは困ったような顔をしながら、うん、と頷く。ありがとう、リクオくん。名前が嬉しそうな声でそう言うと、リクオはこっちこそありがとう。というよく分からない返答を彼はした。
「終わったね」
「うん」
いつの間にか雑用は全て終わっていた。お疲れ様、と言い合った2人は帰るために鞄を手に取る。そのまま一緒に学校を出た。2人きりで帰れたところをみると、側近はもう帰宅してしまったようだ。彼には2人の側近がいる。それは中学に入学した名前が直ぐに分かったことだった。奴良リクオはこの間旧校舎に行ったときまで気付いていないようだった。が、いくら人間に変化して妖気を抑えていても名前は京妖怪。人間に変化した彼の側近を見付けることなど造作もないことだった。それにしても、孫を1人きりで帰すなんてなんて不用心なのだろう。まぁ、今回は私がいたからいいけど、これからはなるべくないようにして欲しい。
「ねぇ、名前ちゃん」
「なあに、リクオくん?」
そんなことを考えていると、リクオくんがどこか困ったような顔で私を見ていた。いったい何だろう、と、名前は彼に視線を向けた。
「あのさ、あれ以来…妖怪とか見た?」
「妖怪?」
「いやほらさ、清継君があんな話してたし…この間の人形のこともあるからさ、本当にいるのかもなぁって思って…」
ピンときた。彼は、リクオくんは、妖怪という存在を世間に余り露見したくないようで、ぬらりひょんという妖怪の血を継いでいる自分のこともあまり良く思っていないようだった。進んで雑用をこなしているのはその為である。きっと奴良組の妖怪達が悪さをしていないかどうかを気にしているのだろう。妖怪の血がたった4分の1しか混じっていない彼だからだろうか、リクオくんはどこか考え方が人間らしかった。いや、人間だった。
「妖怪、ねぇ…」
「うん、妖怪。旧校舎にはいなかったけど、この間の人形のこともあるし…妖怪なんていないと思いたいけど、もしかしたら、さ。いるかもしれないじゃない」
「くすくすくす…そうだね」
どこか焦っているリクオを横目に、名前は思考を巡らせる。妖怪は見ている。むしろこの浮世絵町は、妖怪だらけだった。それこそ父から聞いていた、昔の京のようだ。中には奴良組では無い妖怪達も沢山いたし、旧校舎にいた妖怪の量は、名前が驚く程だった。これは奴良組の勢力が弱まっている証拠だろう。お姉様が私を差し向けてまで“孫の命”の心配をする理由がなんとなくこの町に来てから分かった気がした。
「で、妖怪に会ったかどうかだよね?」
「うん」
「会ったよ」
「…ぇぇええ!!」
自分の予想した通りの反応をしたリクオに名前は再びくすくすと笑った。そんな名前の肩を持ちリクオは彼女の肩をゆらゆらと揺らす。
「だっ、大丈夫なの名前ちゃん…!怪我してない!?」
「くすくすくす…大丈夫だよ、リクオくん。怪我なんてしてないよ」
「そもそも名前ちゃんはなんで笑ってるの!妖怪なんだよ!?ホントに大丈夫なの!?」
「大丈夫だよ、リクオくん。助けてもらったから」
「良かった…って、え?」
さわり、さわり。風が吹いた。ひらり、ひらりと、鴉の羽根が舞う。2人の頭上では数羽の鴉が寂しげに鳴いていた。
「羽根…」
「そうだね羽根だね…ってそうじゃなくて!助けてもらったってどういうこと名前ちゃん!」
「そのままの意味だよ」
「名前ちゃんってこんなに抜けてる子だったの!?妖怪だよ!?そんな軽く助けてくれる人とかいないでしょ!?それとも助けてくれた人もまさかとは思うけど妖怪だったの!?」
ぎゃあぎゃあと騒ぐリクオを尻目に名前は夕焼けの空を見上げた。やはり鴉が飛んでいる。そしてその中にはあの鴉天狗の青年がいる、ということも名前には分かっていた。たとえ、姿が見えずとも。帰りが遅い若頭を迎えにきたのだろうか。
「聞いてる、名前ちゃん!?」
「?」
「助けてくれた人!まさかその人も妖怪だったとか言わないよね?」
「あぁ…あのね、誰が助けてくれたのか分かんないんだ」
「?」
「暗かったし、姿が見えなかったの。ただ、あの時も今みたいに鴉の羽根が舞ってたなって」
「…!」
一枚の黒い羽根を掴んだ。ふわふわとしたそれは、しっかりと掴んでいなければ直ぐにでも無くしてしまいそうだ。まるで私と彼の関係を表しているようで少し笑えた。だってそうじゃないか。私が掴まえていなければ、私達の関係は変わることすら、いや、始まることすらないんだから。
リクオくんは何かを思い付いたようで、急いで辺りを見回した。当たり前か、私を助けたのは奴良組の鴉天狗。彼はその存在を私なんかよりよく知っているし、何よりもこの鴉の羽根が良い証拠である。そうこうしているうちに、別れ道に着いた。彼は右、私は左。さよならの時間である。
「じゃ、リクオくん。また明日ね」
「…………」
「リクオくん?」
「…わぁぁあごめん名前ちゃん!!」
「くすくすくす…面白いの、リクオくんって」
口元に手を当て笑った。今日は土曜日だ。
「じゃあリクオくん、明日はよろしくね」
「そっか、明日は日曜日だっけ」
「うん」
彼に手を降る。リクオくんバイバイ、と言いながら背を向けると彼もじゃあね、名前ちゃん、と返してくれた。明日は待ちに待った日曜日だ。くるりと振り返ってみる。リクオくんの姿はもう遠くて、でも相変わらず彼の周りには鴉達がいた。すぐそばに彼はいるのに、なんてもどかしい。でも、明日になれば会えるのだ。きっと。名前はなんと言うのだろう。
“自分は京妖怪、奴良組の宿敵”という事実が名前の頭の中を掠めた。しかしこの時の名前は自分が持つ彼への気持ちがどれだけのものだったかに気付いていなかった。
お題配布元
確かに恋だった
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