奴良家を後にした名前は夕暮れの道をカナと共に歩いていた。2人の間に会話という会話は全くと言って良いほど無い。カナはちらりと名前を盗み見る。先程から(彼女が迷子になって帰ってきた辺りから)、名前は何処か上の空でぼうっとしていた。その証拠に、カナが呼び掛けてもずっとこの調子である。
「名前ちゃん…」
「…………」
「名前ちゃん…!」
「!ごめん、カナちゃん。ぼうっとしてて…」
「いいけど、大丈夫?何かあったの?」
「大丈夫だよ、心配かけてごめんね」
すまなさそうに謝罪の言葉を述べてくる名前にカナはこれ以上追求するのを止めた。きっと答えてくれないだろう、そう思ったからである。変わりに辺りを見回すと、奴良家で別れたばかりのゆらが繁華街の入口付近を歩いているのが目に入った。
「ゆらちゃん!」
2人に気付き近寄ってきた彼女に、ここら辺は危ないよとカナは声をかける。しかしそれは一歩遅く、気が付いたときには数人の派手な男に周りを囲まれていた。派手な男達はどうやらホストのようで、しきりに名前達を自らの店へと誘(いざな)う。その様子に嫌悪感を露にしたカナは、名前とゆらの手をとりその場から離れようとした。だが。
「か、顔が…化け物っ!!」
「長い夜の始まりだ」
相手は妖怪だった。妖化した数人の男達はジリジリと3人を道の行き止まりへと追い詰めていく。カナはたいそう怯えていて、そんなカナを庇うように後ろに追いやりながら名前は後退していたが。
「後ろからも…!」
彼女らの後ろからも妖怪は迫っていた。唇を噛んだ名前は思考を巡らす。どうする。――どうする。
今変化を解いて目の前の妖達を捻り潰すことなど自分にとっては造作もないことだ。おそらく相手は旧鼠…知性はあっても理性は無い妖怪。そんな妖が竜鯉に敵うだろうか、反語。そんなことを名前が考えていると、陰陽師であるゆらが最初に動いた。
「後ろに下がって家長さん、苗字さん」
「え!?」
「…………」
そうしてゆらは式神貪狼を出し、妖怪達を蹴散らしていく。辺り一面に悲鳴が響き渡っていく。飛び散った直接血がなるべくカナに見えないようにするために、名前はそっとカナを自分の後ろへと追いやった。
「いい子やね貪狼」
「旧鼠さん、この女一体…」
ゆらの式神に怯んだ男達は先程名前達に声をかけてきた男の周りに集まった。やはりアイツは旧鼠のようだ。証拠に味方から旧鼠さんと呼ばれている。確か旧鼠は遠い昔に奴良組を破門されたとお姉様から聞いた。何故奴良組のシマで暴れているのだろうか。これもやはり、奴良組が弱体化しているのが原因なのだろうか。
「………あ?」
「……!」
その一言と共に突然旧鼠の雰囲気ががらりと変わった。その事実に気が付いたのは妖怪である名前だけのようで、怒らせる原因になったゆらはぼんやりとしている。
「旧鼠をネズミ、ね……」
小さく呟いた名前はくすりと笑った。どうやら面白いことになりそうだ。旧鼠が指をパチンと鳴らすとカナと名前の身体にネズミが這い上がってくる。嫌がるカナとは対称的に、名前は不適な笑みを浮かべている。
「その娘らに何するんや!!」
ゆらは慌てて貪狼を出し応戦をしようとするが旧鼠に後ろを取られて殴られてしまった。
「ゆらちゃあん!?」
動揺して飛び出していこうとするカナを制し、名前は地面に倒れ込んでしまったゆらに近付いた。そうしてその身体を抱き上げた。
「あなたたちの言う通りにするわ。だからもう手を出さないで」
私が貴女達を倒してやってもいい。だけどそれじゃつまらないでしょ?貴女達も、私も。
喉まで出かかったその言葉を飲み込み名前はそう言った。そう、今すぐ私がこいつらを倒すことだって出来る。だけれそれで私の正体がバレるようなことになってしまってはお姉様との約束を守れないし、何よりこの状況をリクオくんがどうするのか見てみたい。妖怪を嫌がる、あのリクオくんが。
「君みたいな物分かりのいい女、好きだよ。どうだい、今夜一杯?」
名前の言葉に気分を良くした旧鼠は彼女の髪を軽い手付きで撫で上げる。ゾワリ――背筋に悪寒が走った名前は、優しげな手付きでその手を払い落とした。
「遠慮しておくわ。私、貴方に食べられたくないもの」
「まぁ、そう言わずに。ついておいで」
歩き出した旧鼠に名前とカナは続いた。不安そうに自らを見つめるカナに頷いた名前はゆらを抱え直す。そうしてとある店に入った2人は旧鼠の言うとおりに檻に入った。
「名前ちゃん…」
「大丈夫、カナちゃん。絶対に助かるから」
「う、うん……きゃぁああ!!」
「カナちゃん!!」
旧鼠の部下に殴られたカナはガシャンと派手な音を立てて檻にぶつかった。急いで駆け寄ると彼女は気を失っていて、その頬は赤く腫れ上がっている。名前は自らの掌を最小限の畏で冷やし、そうしてそれをカナの頬に当てて冷やしてやった。
「何てことを…!」
立ち上がってキッと命令した張本人の旧鼠を睨み付ける。しかし旧鼠はへらりと笑った。
「子猫ちゃん…君にも少し眠っていて欲しいんだ。大丈夫…手荒な真似はしないよ」
「遠慮しておくわ、こんな所で寝る趣味は無いの」
「つれないなぁ…」
再び旧鼠がパチンと指を鳴らす。何処かから湧いて出たネズミが名前に迫る。
「いい加減にしないとオレの可愛いネズミ達が君を食べちゃうかもよ…?」
「…………」
「それは嫌だろう…?」
黙り込んだ名前に肯定とったのか、旧鼠は彼女に近付く。そしてその距離があと数センチとなったとき。
「面白い…やってみろ」
「!?」
「私を気絶させるんだろう。やってみろ」
「こ、この女…!」
いきなり纏う雰囲気が変わった名前を旧鼠は畏れる。そう、彼は彼女を畏れてしまった。旧鼠は拳を握った腕を振り上げる。
「このおっ…!!」
しかし名前を殴ろうとしたその拳は空をきった。
「この私が旧鼠ごときを畏れると思うか。笑止」
ガクリと膝をついた自分に旧鼠は唖然とする。何故だ、何故自分はたかが人間の小娘を畏れている。小さく震える身体を、庇うように抱き締める。
「きゅ、旧鼠さん…!」
自分達の大将が膝をついたことで、周りには焦ったような声が飛び交い始めた。にやり、と妖しい笑みを浮かべた名前が檻を出て、手始めにカナを殴った男に手を伸ばした、その時。
「旧鼠様!連れてきました!」
その言葉と共にドサリと地面にリクオが落とされた。名前はそちらを一瞥する。彼はどうやら殴られたようで、唇の端には血が滲んでいた。震えていた旧鼠もその様子を見て我に返ったのか、立ち上がりリクオへと近付いていった。
「よお…初めましてかな?自称…3代目さんよぉ…」
「誰だ…?君…まさか君妖怪?奴良組の人なの!?」
リクオがそう言った瞬間旧鼠の部下の1人がリクオを蹴った。彼は溜まらず痛いと口から悲鳴を漏らす。どうやら旧鼠の狙いはリクオに3代目を継がせないことのようで、回状を廻せと先程から彼は喚いている。
「こいつらを助けたいんだろ?だったら…分かるよなぁ…?」
そう言った旧鼠は気絶したカナとゆらが入っている檻をリクオに見せる。途端にリクオは焦った様子を見せ自分は3代目を継がない、継ぐ気が無いと叫んだ。
「それより名前ちゃんは何処!?彼女も拉致されたって小さな鼠が…彼女も離してあげて!」
「名前ちゃん?あぁ、あの女のことか…」
あの女は生きてるよ、と、にやにやとした笑みから真顔に戻った旧鼠はぼそりと呟く。納得出来ないリクオがそれについてさらに突っ込もうとすると、旧鼠はイラついたようにリクオを追い立てた。
「いいな!?今夜中に全国の親分衆に“回状”を廻せ!もし破ったら…夜明けと共にこいつらを殺す!!」
「ああ…分かった!!」
ダッと走り出したリクオは名前に気付くことなくその場を走り去っていった。そう、これでよい。もし3代目うんたらの話を私が聞いていたことがリクオくんに知れたら彼は青い顔をするだろう。私はあくまで、人間なのだから。
それにしても、いくら友人の命が関わっているからってああも簡単に3代目の座を捨てるとは。妖怪嫌いな彼がどうするのかと思い見守っていれば、このような結果。少し怒りを覚えてしまう。お姉様は、お前を、奴良組3代目を継いだお前を殺すことを楽しみに待っているというのに。
「さて…」
旧鼠は立ち上がる。自分の目的を達成出来たことでたいそうご機嫌のようで、鼻歌を歌いながら彼は名前に近付いた。
「私に近寄るな、旧鼠」
「くくく…オレは目的を達成した」
「……………」
「だから後はアイツが来るのを待つだけ…時間までお前にも檻に入っていてもらう」
「笑止。お前ごときが私に敵うと思っているのか」
「思ってねぇ。だがこいつらは…どうかな?」
「!?」
旧鼠が指を指した方向へと視線を向ける。そこには気絶しているカナとゆらが、檻の中で彼の部下に羽交い締めされている光景が広がっていた。
「今すぐアイツらの首を掻ききって血を貪ることだって出来るぜ。さあ…どうする?」
「ゲスが…」
不快そうに顔を歪めた名前は旧鼠を睨み付けた。ビクリ、と一瞬旧鼠は震えるが直ぐに元に戻り不敵な笑みを浮かべる。名前はギュっと拳を握り締める。ダメだ、妖力は解放してはいけない。ここは奴良組のシマなのだ。そして私は京妖怪なのだ。お互いに相容れない存在。その正体が、バレることがあってはならない。
「分かった。言うことを聞くわ」
人間など、どうでもよいかもしれない。況してや花開院家の陰陽師など、助けるべきではないかもしれない。他の京妖怪に、だからお前は未熟なんだと怒られてしまうかもしれない。お姉様からの命令、つまりリクオくんだけを護ればいいのかもしれない。だけれど、名前にとってはカナやゆらは護るべき対象となっていた。人間として生活していたこの数年、いろんな経験をした。そう、あのまま京都にいたら、決して経験することのないような経験。護りたいと思った。純粋に彼女らを護りたいと、竜鯉という妖は思った。
暴れる竜鯉の血をどうにか静めて彼女は自らの檻の中へと入る。
「この子達を離して、そしてこの檻から出ていって」
彼女のその一言を聞いた部下は急いで檻から出ていった。彼らも、彼女を畏れているのだ。名前はゆらとカナの様子を見る。良かった、2人とも頬の腫れはひいている。相変わらず2人は目を覚まさず、名前は彼女らの傍に座り込む。そうして夜はふけていく。
「ん…うん?」
初めに目を覚ましたのはゆらだった。と同時にカナも目を覚ましたようで、しきりに目を擦っている。
「ゆらちゃん、カナちゃん…目を覚ましたんだね、良かった。大丈夫?」
「苗字さん…このカゴはいったい…」
その時、扉が開いた。入ってきたのは先程から何処かに姿を消していた旧鼠で、彼は2人が目を覚ましていることに気が付きにやりと笑う。
「よう陰陽少女。どうだ…?ネオンの光の中処刑される気分は」
「な…処刑…?」
「そうだ、あの3代目のガキが約束を破ったらな…」
「3代目…なんのことや…?旧鼠…アホなことはやめるんや!!えぇかげんにしぃ!」
旧鼠の言葉が理解出来ないゆらは彼に食って掛かる。しかし旧鼠はその問いに答えようとはせず、それどころかゆらが旧鼠と言ったことが気にくわなかったのか、その眉を歪めた。旧鼠の言いたいことが分かった部下の1人がゆらの胸ぐらを掴む。
「おい女…その名で呼ぶなや」
「だったらどの名で呼べというの?」
「あぁん!?星矢さんに決まってんだろ!」
いきなり食って掛かった名前に部下の男は鋭い視線を向ける。ゆらの胸ぐらを離した彼は変わりにとでも言うように、今度は彼女の胸ぐらを掴みあげた。しかし彼女も負けていない。男に胸ぐらを捕まれながらも、不適に笑う。
「おい、その女はやめとけって…」
「あぁ!?お前はこんな女を畏れてんのか!?」
「さっきまで居なかったお前は知らないだろうけどな…この女、ただ者じゃねぇんだよ」
「へぇ…面白い」
「あら、ありがとう」
男の胸ぐらを掴む手に力が入る。名前の足が宙に浮いた。
「うらぁ…!!」
ビリっと音をたてて名前の制服は破かれる。ちらり、と覗く彼女の胸元はとても官能的で、何人かの部下は顔を赤く染め上げている。やった当の本人は満足そうにゲラゲラと笑っている。
「ざまあみやがれ!おら!恥ずかしいんだろ?泣いてもいいんだぞ?」
「…………」
「怖くて声も出ないってか?」
「………か?」
「あ?」
「これで満足かと聞いている」
ぶわり、名前の殺気が周りに広がる。竜鯉の血が騒ぐ。いけない。いけない。いけないっ…!カナちゃんが、ゆらちゃんが、私の様子を見て驚いている。ダメだ、こんなところで怒りに任せて妖力を解放してはダメだ。静まれ、竜鯉…!
ポタリ、と名前の汗が地面に垂れたのと、辺りに百鬼夜行の妖気が充満し始めたのは同時だった。
お題配布元
確かに恋だった
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