満たされたあの日のまま、終われたらよかった

「リクオ様…どういうおつもりか〜〜!!」

もう夜も近い時刻だというのに、親父が五月蝿く飛び回っている。不審に思った黒羽丸がひょいと顔を覗かせれば、ちょうどリクオが鴉天狗に頭を下げている瞬間だった。

「わかってるよ…わかってるよ…だからこそお願いだよ」

「若が…頭を下げてるぞ」

一部始終を見ていた妖怪によると、どうやら若が三代目を終生継がぬことを宣言する回状を全国の親分衆に廻してくれと親父に頼んだそうで、親父はそれに大反対しているらしい。確かにリクオ様は前々から三代目を継ぐことを良く思っていらっしゃらなかったが、どうしていきなりそんなことになったのか。黒羽丸がそんなことを考えているうちに騒ぎを聞き付けた総大将によってリクオは連れていかれてしまった。

「リクオ様…」

自分は無理をしてまでリクオ様に三代目を継いで欲しいわけではない。が、やはり継いで欲しいと思う気持ちは大きかった。親父が総大将を慕っているように自分はリクオ様を慕っていたし、自分達三羽鴉は三代目の百鬼夜行に入るものだと信じて疑わなかった。もし、リクオ様が三代目を本当に継がないとしたら奴良組はどうなるのだろうか。

「最悪解散、もありうるな…」

ぼそり、黒羽丸がそう呟いたのと同時に襖が開いた。出て来たのはリクオで、鴉天狗の問い掛けに何処か迷ったように、でもハッキリと返事を返す。

「僕には力なんかないんだ!僕には…」

「リクオ様…」

その時、桜が舞った。風は吹いていない。枝垂れ桜から花びらが散る。“時間だよ”その囁きと共に、リクオの姿は変わった。その姿はまるで―――

「わ、若…?」

「鴉天狗…皆を此処へ呼べ。夜明けまでの鼠狩りだ」

――ぬらりひょん。数年前と同じ。リクオ様が覚醒された。

「リクオ様…」

「おう、黒羽丸」

親父はリクオ様の言い付け通りに皆を呼びに行った。つまり、此処には自分とリクオ様の二人きりだ。何を話せば良いのか分からなくて言葉に詰まる。自分は元々口数が多い方ではないし、何より妖怪のお姿のリクオ様とこうして面と向かって対面するのはまだ初めてと言ってよい程なのだ。彼は人間の時とあまりにも違っているから、戸惑いを隠せないというのが本音だった。

「お前も、行くか?」

「勿論、リクオ様がお望みでなくてもお供させていただきます」

「それは頼もしいねぇ…」

ふぅ、と息を吐いたリクオは言葉を続ける。

「俺の友達が旧鼠に捕まってる。その中には名前ちゃんもいる」

「…!」

「そこでお前に頼みがある」

その事実に、俺は動揺を隠せなかった。彼女が、名前さんが、旧鼠に捕まっている。先程自分がパトロールをした際には何も異常は見つからなかった。彼女は人間だというのに。手汗が、冷や汗が止まらない。俺のせいだ。異常を見つけられなかった、俺の。どうか、どうか無事でいて欲しい。君だけは。ギュッと拳を握る。

「彼女らを守ってやって欲しい。頼めるか、黒羽丸?」

「御意」

「恩に着るぜ」

黒羽丸が下げた頭を上げると、ちょうど出入りの騒ぎを聞き付けた妖怪達がわらわらと庭へと集まり始めた時だった。人間を助ける、しかも陰陽師を助けるなど言語道断、などと騒ぎ立てる彼らを一言で纏め上げたリクオは、百鬼夜行を引き連れ歩き始める。

「トサカ丸、ささ美」

「何だ、兄貴?」

「俺はリクオ様に着いていく。お前達は残って本家を守って欲しい」

「分かった」

一つ返事で頷いた兄弟達に頼んだぞ、と言い残し黒羽丸は急いでリクオを追う。久しぶりの出入りに皆興奮しているようでわいわいと騒がしい。彼らは夜の街をねり歩く。そうして暫くすると、旧鼠とその部下達、そして――

「名前さん…」

その場に不釣り合いな檻の中に捕まっている彼女が見えた。百鬼夜行と旧鼠組が対峙する。黒羽丸と首無、そして青田坊は旧鼠達が百鬼夜行に気を取られている内に後ろ側から檻の近くへと回り込んだ。そして青田坊が檻の柵を破壊し、彼女達を救出する。

「捕まって…!」

オロオロとする彼女達を先導したのは首無の紐だった。これで一先ず彼女らが襲われる心配は無くなった、と、黒羽丸達がホッと一息吐いたのも束の間。彼女が、出て来ない。黒羽丸が急いで檻の中に視線を戻すと、彼女は角の方で小さくうずくまっていた。怖いのだろう、無理も無い。彼女は陰陽師でもなく本当にただの人間。これ程多くの妖怪を見たのは初めてなのだろう。黒羽丸は檻の中へ入り、彼女へと歩み寄る。

「………!」

「き、来ちゃダメ…!」

そうして手を延ばしたら届くかもしれない、という距離まで彼は彼女との距離を縮めたのだが。彼女から制止の声がかかってしまった。黒羽丸は彼女から感じられる拒絶に一瞬驚いたのだが、直ぐにその理由が分かってしまった。

「胸元、が……」

「来ちゃダメだってばぁっ!」

彼女は無惨に破かれた服のせいで、胸元が露出していたのである。恥ずかしいのか、顔を真っ赤にさせながらどうにか自分に見せないように四苦八苦する姿に黒羽丸は理性を擽られるが、ハッと気付き自分の羽織りを脱いで彼女に渡してやった。何をやっているんだ、俺は!名前は渡してもらった羽織りを急いで身につけ、胸元を隠す。

「あの、」

「…………」

「ありがとうございました…」

恥ずかしい。黒羽丸、名前、両者の顔は真っ赤である。黒羽丸は動かない口をどうにか動かして「あぁ…」とだけ返した。どくり、どくり。お互いの心臓の音は外に聞こえてしまう程に煩い。

「夜明けと共に塵となれ」

「「!」」

聞こえてきたリクオ君の声。鳴り止まぬ波紋。燃えさかる炎。叫ぶ旧鼠。――終わった。ふぅ、と息を吐いた名前は立ち上がる。

「出ましょう」

「あ、あぁ…」

ガシャン、と壊れた鉄格子を踏み付けながら檻の外へと出た。羽織りの前が開(はだ)けないように押さえ付けながら歩いていると、ゆらちゃんとカナちゃんが近づいて来る。

「名前ちゃん!」

「カナちゃん、」

「だ、大丈夫!?何処か怪我してない!?」

カナは焦ったように名前の身体をあちこち触った。そんな姿に苦笑しながら、名前は言葉を返す。カナちゃんやゆらちゃんには私の畏を少しだけとはいえ見せてしまった。

「大丈夫だよ。少し興奮しちゃって…ごめんね?」

「ううん、私こそ、守ってくれてありがとう」

「うちも…苗字さんを守らなあかん立場なのに守られてしもうた…ごめんなぁ」

その言葉を聞いた名前はホッと息を吐いた。良かった。ゆらは未熟とはいえ花開院家の陰陽師である。それゆえもしかしたら自分の正体に気付いてしまったかもしれないと彼女は危惧していたのだ。
名前は後ろを振り返る。そして事の成り行きを見守っていた黒羽丸と、視線を絡めた。

「あの…これ、」

そう言って名前が指差したのは羽織りである。ポカンとしていた黒羽丸だったが、何と無く彼女の言いたいことが分かったのか口を開いた。

「あぁ…そのまま帰って構わない」

「迷惑じゃありませんか?」

「問題ない」

「…ありがとうございます」

そこまで喋った黒羽丸は先程の官能的な彼女の胸元を思い出したのか、再び顔を赤く染める。そんな彼に彼女が嫌そうな視線を向けることは無く、寧ろ恥ずかしそうに彼女まで顔を赤く染めていた。不思議だ。旧鼠に髪を撫でられた時は、旧鼠の部下に胸元を見られたときは、不快感しか湧かなかったというのに。彼に対しては不快感というより、恥ずかしいという気持ちの方が勝(まさ)ってしまう。

「送ろう」

「…へ?」

「家まで送ろう」

ジッと自分を見つめてくる彼の視線に身体がじわりと熱くなった。慌てて拒否の意志を示せば、彼は不快そうに眉を寄せてしまった。怒らせてしまったのかもしれない。でも、今の私では彼と二人きりになることなんて絶対に出来ない。いろんな意味で興奮しているこの身体を、静める術(すべ)を私は知らなかった。

「す、すみません…」

「いや、」

「送ってやれよ」

「「!」」

突如介入した第三者の声に驚いた二人がビクリと肩を震わせれば、その声の主であるリクオは面白そうに笑った。

「残った残党に襲われるかもしんねぇだろ。送ってやれよ、なあ?」

「しかしですね、若…」

「命令だ、送れ」

これ程リクオ君を殴りたいと思ったのはきっと最初で最後だろう。ある意味では最高の、ある意味では最低のお節介である。若頭からの命令とあっては聞かないわけにもいかず、かといって当の本人、まあ私なのだが、は拒否の意を示している。どうすれば良いのか、どちらの意見を優先すべきなのか、困ったように眉を下げている彼に、私は笑った。

「よろしくお願いします」

お題配布元 確かに恋だった

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