「あ−来て良かったぁ〜」
「本当、こんな別荘持ってるなんて凄いね、清継君」
湯に浸かった名前は、ゆっくりと息を吐いた。ゴ−ルデンウィークを利用してやって来た捩眼山。旧鼠に襲われた次の日に、いきなり清継君から捩眼山合宿について発表されたそうだ。私は破れてしまった制服を買い直しにゆらちゃんと共に学用品店に行っていたため、その事を知ったのは皆より少し後である。それに、いくら彼に会いたいからと言ってあまり奴良組本家に行くのも頂けない。あそこには、ぬらりひょんがいるのだから。
捩眼山合宿について、清継君は妖怪研究家の化原先生に会いに来たと言っていたが、昼間に会った当の本人は妖怪に操られていた。この山は、危ない。それは名前が捩眼山に一歩足を踏み入れた瞬間から気付いたことであり、何者かに操られている化原を見た時にその疑惑は確信に変わった。
そしてその時から名前はぐんと警戒心を高め、どんな妖気も見逃さないように常に気を張っている。化原は牛鬼の山と言っていた――牛鬼は奴良組の妖なので若頭と一緒にいる限り襲われることはないだろうが、旧鼠のこともある。気を張っておくに越したことはない。
そんな彼女の気持ちも露知らず、先程清継達は妖怪探索に行くと別荘を後にしてしまった。その時は護衛対象のリクオが彼らに付いて行ってしまったのでお風呂場に向かう女の子軍団とどちらを行動を共にするか悩んだが、結局女の子軍団の元に残り今にいたる。雪女が付いていたし、奴良組の若頭がそう簡単にやられることもないだろう。
「あれ?氷麗ちゃんは?」
「そ−いえば…」
「ちょっと…」
悶々と考え込んでいる名前の傍ら、氷麗がリクオを追いかけたのだと分かり焦ったカナは急いで立ち上がる。
「私もう出るね!」
「早!もっとゆっくりしていきなよ−」
そう言ったカナはお風呂場から出ていってしまった。どうやらリクオ達を追いかけるようだったので、焦った名前はカナを追いかけるようにしてこちらも急いで風呂を上がる。
「えっ名前ちゃんも出るの!?」
「うん、カナちゃんが心配だから…ごめんね」
最後の謝罪の言葉は、この場が妖怪に囲まれていると知りながら、彼女達を見捨てる罪悪感からだろうか。いや、この場には陰陽師であるゆらちゃんもいるのだから大丈夫なはずだ。そう、祈ろう。
「待って、カナちゃん!」
「名前ちゃん!」
「私も行くよ!一人じゃ危ないよ」
懐中電灯を持ち、今にも宿を出ようとしていたカナに漸(ようや)く追い付いた名前はにっこりと笑う。一人で行くのはやはり怖かったのか、強張っていたカナの身体が少しだけ緩む。
「行こう」
「うん!」
二人で歩き出した道は真っ暗で、妖気に満ちている。この調子では清継達も妖怪に会っているのではないかと名前は思った。それくらい、この山は闇が深い。
「清継君達、いないね」
「本当、もう…あの二人どこ行ったの…」
「あの二人…?」
「えっ、あぁっ、な、何でもないよ!」
「くすくす…変なカナちゃん」
おそらくリクオと雪女の関係が心配なのだろう。少し前の名前だったらカナがとても若く感じただろう。しかし今の彼女は恋を知ってしまったのだ。カナの気持ちは良く分かった。そのまま暫く二人で歩いていると、暗闇に突如階段が現れた。二人はその階段を登ることにしたのだが、それが間違いだったのだ。
「名前ちゃん…」
「…………」
二人の目の前には牛鬼組の一員である妖怪がいた。見たところ下っぱのようなので名前にとって倒すことは造作もないことなのだが、如何せん今はカナがいる。カナに自分の正体を知られるわけにはいかなかった。
「私が引き付けるから、カナちゃんは走って階段を登って!」
「名前ちゃんは!?」
「私は大丈夫だから。とりあえず清継君達を見付けないと。まだこんなのがわんさかいたら大変でしょ?」
「で、でも…」
「私を信じて!」
そう言った名前は階段から反れて夜の森へと飛び出した。カナの泣きそうな顔を見て加護欲が湧いたのか、胸が疼く。元来竜鯉は護る妖なので当たり前の現象と言えばそうなのかもしれない。兎に角、上手く妖怪を導き出すのに成功した名前はカナがいる階段から十分に離れた森の奥深くで立ち止まった。
「さて…」
相手の妖は言葉が操れないようで、口の端しから大量の涎を垂らし唸っている。
「あまり力を使うわけにもいかないから…一瞬で逝かせてあげる」
妖艷に微笑んだ名前は静かに畏を解放しようとした。竜鯉の畏、竜の舞。彼女は扇子を翻し水と風を操り、舞を舞うように相手を倒していくのだ。懐から扇子を取り出した名前は優雅に其れを広げる。――しかし。
「ぎゃぁああ!!」
目の前にいた妖怪は一瞬の隙に絶命していた。とある事実に気が付いた彼女は、畏を解放する事を中断し急いで自らを人間の姿に戻す。と言っても、彼女の場合はリクオと違い人間と妖怪の時で姿かたちはあまり変わらなかった。強いて言えば、妖怪時は髪の毛が人間時より少しだけ長い、というくらいである。
「大丈夫か?」
「………」
黒羽丸さん。喉まで出かかったその言葉を名前はどうにか唾(つばき)と共に飲み込んだ。彼は随分急いでいたようで、ほんのりと汗をかいている。
「お前はよく妖怪に襲われるな」
苦笑しながらそう言う彼に、あの時と同じように、貴方が助けてくれると信じていますから大丈夫です、と笑みを返すと、彼は顔を赤くしながら怪我は無いかと聞いてくれた。その問いに対し静かに首を横に振り否定の意を示すと、彼はホッとしたように胸を撫で下ろす。
「そうか、よかった…」
「どうして、貴方がここに…」
「この山に少し用事があってな、山頂を目指していたんだがその途中、つまり此処だが、でお前が襲われていた」
「…………」
「本当に、間に合って良かった」
そう言って泣きそうな顔で笑った黒羽丸に、名前は目を見張った。なんて綺麗な顔で笑うのだろう。なんて美しいのだろう。
「……泣くな、」
気が付いたら、涙を流していた。本当に無意識で、彼に言われるまで自分が泣いていることに気が付かなかったくらいだ。
「……怖かったか?」
黙ったまま首を横に振る。今の気持ちを表す上手い言葉が見付からない。ただ、自分で思っている以上に自分は彼のことが好きなんだと、そう思った。彼が好きだった。愛していた。静かに涙を流す私の頭に、彼は黙ったまま掌を置いてくれた。その掌の温かさに、私はまた涙を流すのだ。
君の笑顔が眩しすぎて、僕はひとりなみだを流した
気付かないふりをしていただけで、本当は分かっていたのかもしれない。彼と描(えが)く未来など無いということを。それでも、この気持ちは止まることを知らなかった。私は彼に、恋をしたのだから。
お題配布元
確かに恋だった
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