彼は妖怪だった。そして私は人間だった。普通に生きていれば重なり合うはずがない私たちの運命が重なり合ったのは、もう何年も前の話だ。その日のことは今で鮮明に思い出せる。街中に妖怪が溢れ出し、私たち人間を襲っていた。恐怖で震える足を引きずるようにして走っていた私は、真上から今にも私を食べようと口を開いている妖怪に気がつかなかった。気付いたときにはすでに時遅し。ギュッと目を瞑り死を覚悟した、そんな私を助けてくれたのが彼、黒羽丸だった。
それから、私たちの運命は重なり始めた。
彼と私は良き友人として付き合い始めた。妖怪の世界にも色々あるらしく、彼の話を聞くのは楽しかった。反対に彼は私の世界の話を楽しそうに聞いてくれた。そんな日々を過ごす中で、いつしか私たちはお互いに惹かれ始めていた。そして初めて彼に出会った日から何年も経ったとある日に、私はプロポーズをされのだ。
「俺がなまえをどんな困難からも護り抜く。だから、俺と結婚して欲しい」
好きだ、とか愛してる、とかそういうベタな言葉は無かったけれど、私は涙が止まらなかった。嗚咽で声を出すのも苦しかったけれど、どうにか「はい」と返すと、彼は「潰れた蛙のような声だな」とムードをぶち壊すようなことを言ってくれた。
そして私たちは夫婦となった。
彼の父親には最後まで反対された。しかしそんな義父様も最後には私のことを認めてくださり、祝福の言葉を下さった。盛大な結婚式を挙げた数日後、義父様は私に結婚を反対していた理由を教えて下さった。
「なまえさんのことを認めていない訳ではないのだ。頑なに反対してすまなかった」
「いえ、あの時の私は嫁としてまだ未熟者でした。義父様に反対されて当然です」
「いや、なまえさんほど出来た嫁はない。あんな真面目だけがとりえな馬鹿息子と結婚してくれた事、感謝しておる」
そして彼は昔話を始めた。何でも黒羽丸や義父様が所属している奴良組の先代の総大将の奥方は、私と同じ人間だったらしい。その時も義父様は散々反対したそうなのだが、総大将は聞く耳を持たなかった。晴れて結婚した二人は、それはそれは仲が良かったらしい。当初は反対していた義父様も、奥方様の優しいお人柄に惹かれ、彼女が人間だということは気にならなくなっていた。何時までもこんな日々が続けばいい、そう思っていた矢先に事件は起きた。
「珱姫様がご病気で倒れられたのだ。そこからは早かった。我々も必死で看病したが、病魔は彼女を連れていってしまった。珱姫様が亡くなってからの数十年間、総大将はいつもその面影を探していた。人間の一生は我々妖怪と比べるとあまりにも短い。お二人を見ていてその事実を改めて突き付けられた気がしてな…だから息子がなまえさんを連れてきたときに真っ先に反対してしまった」
本当にすまなかった。畳に額をこすりつけるようにして謝る義父様にどうにか頭を上げて貰おうとしながら、私は涙が止まらなかった。分かっていた。分かっているつもりだった。私は彼より早く死ぬ。この事実は変えられない。覚悟はしていた。彼に最期を看取ってもらえたら、思い残す事はない、そう考えていた。
でも、残された彼はどうなる?義父様のお話の中の総大将のように、私の面影を探すのか?そこで初めて私は、彼を残酷な運命へと引き入れてしまったことに気がついた。ある時彼にこの話をしたことがある。
「私が死んだら、私に遠慮せずに黒羽丸は新たな幸せを見つけて」
「何故そんなことを言う」
「貴方を私に縛りつけたくない。黒羽丸には未来を生きて欲しいの」
「………」
「私のことは忘れてもいい…だからっ」
「どうしてそんなことを言う。なまえと過ごしたこの日々を、無かったことにしろと言うのか!あまつさえ、俺になまえを忘れろと言うのか…」
彼に掴まれた手首も痛かったが、それと同時に心も痛かった。彼は頬から一筋の涙をこぼしていた。それは私が初めて見た彼の涙だった。彼を苦しめたい訳ではない…でも私にも譲れない事がある。
「私だって!忘れて欲しいわけないじゃない!本当はずっと一緒に同じ時を生きていたい…貴方より早く死にたくなんて無い!でも、それは無理だって分かってるから…」
「………」
「私、自分のことばかりで黒羽丸のことを考えて無かった。残して逝く方も辛いけど、残される方も辛いって事。恥ずかしいけど、義父様の話を聞くまで気がつかなかった」
「…話?」
「珱姫様と先代の総大将の話。珱姫様も、人間だったんでしょう?」
「あぁ」
黒羽丸の力が弱まったのを機に、私は彼から受けた手首の拘束を解いた。そして素早く彼に抱きつく。彼と私の間に寸分の空気の隙間さえ、許したくない。
「総大将は、数十年間珱姫様の面影を探していたんだって」
「!」
「すごく幸せな事だと思う。死んだその後も、愛する人に思ってもらえて。でも、私は貴方に未来を生きて欲しいから。どんな形でもいい、だけど私の残像と生きることだけはやめて欲しいの」
「…なまえの言いたいことは良く分かった、」
黒羽丸の腕が背中に回り、ギュっと抱きしめ返される。いつの間にか私も涙を流していたようで、頬に伝った涙を彼がそっと拭ってくれた。とくり、とくり。心臓の音が聞こえる。今、私と彼は確かに生きている。このまま時が止まってしまったらどんなに嬉しいか。
「俺はなまえがいなくなった世界を生きなければならない。確かにそれは変えられない事実だ。だが、俺はお前以外愛さないと決めた。共に生きたいと願うのは、なまえ、お前だけだ」
「……」
「けれど、お前がいなくなった世界で一人で生きるとなると、俺もかつてのぬらりひょん様のようにお前の残像を探してばかりの毎日を過ごすかもしれない」
「だからそれは…!」
「だから俺は、なまえが生きたという証が欲しい。…お前との子が、欲しい」
黒羽丸のその言葉に驚いた私は、今まで泣いていたのが嘘のように涙が止まってしまった。彼の顔を見ると、哀しそうな、切なそうな、でも優しい…そんな顔をしている。――もしかして、彼は。涙がなまえの頬を再び濡らす。気が付いているのかもしれない。私の、本当の気持ちに。
「なまえ…俺との子、生んでくれるか?」
「それで、黒羽丸が未来を生きれるなら。私は生みたい…ううん、生ませて下さい」
「決まりだな」
その時見せた彼の横顔を、私は生涯忘れることは出来ないだろう。今、私は念願の彼との子を身ごもっている。日に日に大きくなるお腹に正直身体がついていかないが、愛しい黒羽丸との子だと思うと耐え抜くことなど造作もなかった。
「性別は分かったのか?」
「女の子だって。きっとこの子はお嫁にいけないね、黒羽丸?」
「当たり前だ。俺達の大切な娘は誰にも渡さない」
「ふふ、パパって大げさだね〜」
笑いながらゆっくりとお腹を撫でる。やはり黒羽丸は私の嘘に気がついている。気付きながらも、気付かない振りをしてくれている彼の優しさが私には救いだった。義父様の話を聞いた時から、私は彼に嘘をつかなければならないという使命感で一杯だった。私が嘘をつかなければ、彼はきっとその長い障害を苦しみながら生きることになる。だから私は本心を隠して、生きた証を残さないようにしてきた。結婚してからあの時まで子供を作らなかったのも、私のそんな思いからだった。でも、黒羽丸は私の嘘に、本心に気が付いた。気が付いたからこそ、私の生きた証を残そうとしてくれているのかもしれない。私の人生最大の嘘は、結局意味をなさなかった。
未来を生きて欲しいなんて綺麗事だ。私を忘れて欲しくない。何時までも私を思って生きて欲しい。況してや新しい誰かと幸せになるなんて、許せない。人間は、いや私は、どこまでも欲深で汚い生き物だ。
「この子には、黒羽丸を支えてもらわなくちゃね、」
「……そうだな」
彼が嘘に気が付いていると知りながら、私は今日も嘘をつく。そして迫り来る死に怯えながら、日々生き抜いていくのだ。
嘘だと空も知っている
僕の知らない世界で様に提出
私の稚拙な文じゃ言いたいことが伝わりそうにもありません…改めて短編の難しさを思い知らされました。参加させていただきありがとうございました!
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