兄貴がおかしい。トサカ丸がそう思い始めたのは、何も最近からでは無い。少し前から自分の兄は様子がおかしかった。
まず、パトロ−ルの際の報告だ。あの“ド”がつく程真面目な兄貴が親父に報告し忘れていたことが何回かあったし、報告書は流石に誤字は無かったのだが、脱字が酷いのである。自分とささ美でそれらを手直ししてから提出しなければならない程、酷い脱字だった。
それにいつも心此処に在らず、という状態なのである。何処かぼうっとしていて、自分が背後から近寄っても声をかけるまで気づかないということが多々あった。今までの兄貴からは考えられないことである。
「一体全体一体兄貴に何が起こってるんだ…」
「一体が一つ多いぞ、トサカ丸」
ハァ…、と溜め息を吐いて沈んでいく太陽を見つめる。黒羽丸が夕方のパトロ−ルに行くと言って奴良組を後にしてから既に二時間が経過していた。いくら奴良組のシマが広いと言っても遅すぎる。やはり、自分の兄はおかしい。
「……ささ美。俺、やっぱり兄貴探してくるわ。親父に言っといて」
言いながら二回目の溜め息を吐いたトサカ丸は立ち上がった。そうして羽根を広げて夕焼け空へと飛び立って行く。そんな彼を見送りながらささ美が深く溜め息を吐いたのは、誰も知るよしが無かった。
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「いねぇ…」
奴良家を後にしたトサカ丸は、とりあえずいつもパトロ−ル時に通るルートをゆっくり辿っていくことにした。しかし一向に自分の兄の姿は見えず、もうすぐ日が暮れてしまいそうである。
「ったく…マジでどうしたんだよ、兄貴…」
少し前、ぼうっとしていた兄にさりげなくその理由を聞いてみたことがあった。しかし肝心の兄は何でもない、の一点張りで、結局何一つ分からなかったのである。だが絶対に、絶対に最近の兄の様子はおかしいのだ。何かあるはずだ。トサカ丸はそう断言出来た。これは自分ではなく妹のささ美がたまたま見かけてしまったそうだが、ついこの間下ばかりを見ていて前を見ていなかった兄貴が電柱に正面衝突したらしい。仮にも鴉天狗である自分達が電柱にぶつかるなどよっぽどの事がないかぎり起こらない。飛び始めのひよっこか、または力が弱いお年寄りくらいである。
「はぁ…」
本日三回目のトサカ丸の溜め息は鴉の鳴き声に交じって消えていった。やはり兄は見付からない。もしかしたら、入れ違いになってしまったのかもしれない。
「もういいや…帰ろ…」
何だか疲れてきた。体力的に、では無く精神的に。カァ、と鴉が鳴く。それをちらり、と一瞥したトサカ丸が奴良組の方角へと方向変換した、その時。
「!」
彼の目に入ったのは自分の兄、黒羽丸だった。
「あに………き?」
だが様子がおかしい。ささ美が言っていたように、黒羽丸は下ばかりを見つめている。あの状態では、電柱にぶつかったという話も素直に頷けた。
ふらふら、と黒羽丸は今にも闇に飲み込まれそうな夕焼け空を飛んでいく。弱々しく飛んでいく姿とは対照的に、彼は一心不乱に何かを見ていた。いや、見つめていた。不思議に思ったトサカ丸は兄の視線を辿る。
「あいつって…」
兄の視線の先には一人の女の子がいた。いや、女の子というべきか、女性というべきか。兎に角、綺麗な人である。
そして、トサカ丸は彼女に見覚えがあった。この間奴良家に来ていた人間達をトサカ丸はたまたま見てしまったのだが、確か彼女はその中にいた子だ。
「でも何で兄貴が…」
トサカ丸の疑問は尤もである。若の御学友ではあるが何ら自分達とは接点が無い彼女を、何故自分の兄は一心不乱に見つめているのか。しかしその疑問は直ぐに解決してしまった。
兄貴の横顔が、赤い。
夕焼けで染まっていると考えるにしても、あの頬は赤すぎる。何だ、そういうことか。一瞬にして全てを悟ってしまったトサカ丸は、自分の頬が緩んでいくのを押さえられなかった。どうやら堅物で有名な自分の兄にも春が来たようである。
「あの兄貴が恋、ねぇ…」
帰ったらささ美にもこの事教えてやろう、そしてこの恋が叶うように精一杯応援してやろう、そんな事を思いながらトサカ丸は黒羽丸に声をかける。まさか自分の姿を弟に見られていたとは思わなかったのか、激しく動揺し支離滅裂な黒羽丸と、頬が緩みっぱなしのトサカ丸を置き去りにして太陽は西へと完全に姿を隠した。
:)リクエストありがとうございました!
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