もう二度と会わないと思っていた人に会った。青天の霹靂。本当に雷に打たれたような衝撃だった。


  WELLMADE PLAY


九月の上旬とはいえ、まだまだ外は残暑が厳しい。その暑さに反発するかのように店内のクーラーは寒いほどに利いていた。この席に着いてから何度目になるだろう、改めて店内を見回す。その度に懐かしさがこみ上げてきて、なんだか不思議な気持ちになる。
ここに来るのは久しぶりだった。カフェというより喫茶店と呼んだ方が似合う雰囲気を漂わせているこの店には、高校時代とてもお世話になった。外装は勿論内装もあの頃と寸分も変っていなかったので、タイムトリップでもしてしまったのかと一瞬たじろいでしまった。懐かしさを感じるよりも気後れしたというのも可笑しな話だと思う。


待ち人はまだ来ない。アイスティーを頼んだこと後悔する。そうは言ってもこの店に着いた瞬間は干からびそうだったし、店内が異様なまでに冷えているとは思わなかった。汗をかいていたのも原因のひとつなんだろうけど。耐えられなくなって腕を擦っていると、グラスの中の氷が音を立てて崩れた。氷にとってはこの空間も暑いのかもしれない。―――あの頃もやっぱり暑かった。アイスティーに刺さったストローをくるくる回しながら、打ち合わせに励んだっけ。懐かしい。ここから見える景色も、流れるジャズの音色も、さっき久しぶりに聞いた低い声も。緊張しながらかけた電話を思い出す。ほんの数十分前の出来事。


電話番号変わっているかも、という心配がないのは固定電話の良いところかもしれない。同時に緊張が増す要因の一つでもあるため、わたしはなかなか電話を掛けられないでいた。でもわたしはこの番号しか知らない。当時彼は携帯電話を持っていなかった。今持っていたとしても、当然番号なんて知る由もない。
問題はこれだけじゃなかった。今の時刻は午後三時を少し回ったところ。しかも平日だ。彼は進学しなかったから、もしかしたら仕事中かもしれない。家にいない可能性の方が大きいのだ。ああでも夜になった方がリスクが高い。他の人が出る可能性が高くなる。それに夜は夜で予定入ってるかもしれないし。それ以前にもう家を出てしまっているかもしれない。………埒が明かない。思わずテーブルに突っ伏す。


結局は言い訳だ。何かと理由を付けて電話を掛けないまま済ましたいと思っているだけ。元々電話は苦手だし、今回は相手が相手である。なかなか勇気が湧いてこない。
でもいくら言い訳を並たところで電話をしない選択肢がないことはわかっていた。正確には天秤に掛けてみたら、電話を掛ける方が圧倒的に楽だったのだ。


だって、きっと彼は断らない。この狡い思考に、甘えに、我が儘に、わたしはずっと依存している。


覚悟を決めて通話ボタンを押す。呼び出し音がやけに長く感じる。動悸が激しい。このまま誰も出なければいいのに。そんな投げやりな考えが頭に浮かんだ時だった。


『はいはいはーい!松野でっす!』


予想外の元気の良い声に絶句する。え、間違えた?いやでも松野って言ったよね?驚きのあまり頭がついて来ない。どうしよう、一度切ろうか。いやでももう一回掛ける勇気があるかどうか……そう考えているうちに、あることを思い出した。そうだ、そういえば彼は六つ子だった。今電話に出ているのは兄弟のうちの誰かなのだろう。わたしの知っている人だろうか。……わたしを、知っている人だろうか。いや、それは自意識過剰すぎる。接点がない人に覚えられるほど、わたしは目立つ存在じゃなかった。そう気づいたら急に気が楽になった。今までが嘘のように口からすらすらと言葉が出てくる。


「すいません、早瀬と申しますが、カラ松さんいらっしゃいますか」
『カラ松兄さん?ちょっと待ってねー』


ゴトン、という音は受話器が置かれた音だろうか。その音で緊張の糸が切れたのか、ふぅと小さなため息が零れた。保留音が流れてこない受話器からは向こう側のやり取りが聞こえてくる。カラ松兄さーん!電話ッスよ!早瀬って人から!さっきの人の声が大きいのは電話に限ったことではないらしい。聞こえてきた名前に心臓が一度大きくなった。カラ松の声は聞こえない。電話に出てくるまでの時間が酷く長く感じる。


『……もしもし?』


聞こえてきた低い声音に心臓が大きく音を立てた。どんな声か知っているのに、覚悟はしていたのに、なんで体は反応してしまうのだろう。


「カラ松?」
『……綾』


一瞬の沈黙の後に呼ばれた名前。無理もない。わかってはいたけど、実際そういう反応をされると少し胸が痛む。実際話すのは何年ぶりだっけ。


「久しぶり」
『ああ』
「ごめん、いきなりなんだけど今暇?ちょっと協力して欲しいことがあって」
『え?』


曖昧な言い方だな、と思った。言葉を選んだけれど、誤解を招かないとも言い切れない。こういうことははっきり言ってしまった方がいい。疚しいことがないのなら、そっちの方がいいに決まっている。


「後輩の舞台の手伝いすることになったんだけど、よければ手伝って欲しいんだよね」


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