長くなりそうなんだけど時間大丈夫?と聞くと、暇しているから直接会いに行く、と意訳するとこんな感じの答えが返ってきた。今日会うことは想定外だったので一瞬返答に困ったけれど、もし本当に手伝ってくれるならまた別のタイミングで顔を合わせなければならない。それよりは今日一度会った方が精神的に楽だ。それに、家じゃなくわざわざここで電話を掛けたのは無意識のうちにこうなることを想定していたのかもしれない。


「じゃあ…お言葉に甘えようかな」
「わかった。どこに行けば良い?」
「いつものお店」


それは考えるより先に口から出てきた。驚き慌てて口を塞いだけれどももう遅い。第一、そんな動作をしたところで電話先の相手に伝わるわけがない。それでもそれに対してのカラ松の答えはやっぱり「わかった、すぐ行く」で、その返答の速さに拍子抜けしてしまう。カラ松はそこで会話が終わったと判断したらしく、そのまま受話器を置かれてしまった。耳元では無機質な音が繰り返し響いている。いつもの、っていうのはいつまで有効なんだろう。誰も答えてくれない答えは出るはずもなく、気付けば鳴り続いていた電話の音も止まっていた。



―――それにしても。あれからどのくらい経っただろうか。早く来られても困る、と思ったけど流石に時間がかかりすぎだと思う。どうしよう。来る途中で何かあったのかもしれない。さっきの電話で連絡先聞いとけば良かった。不安ばかりが膨らみ、いてもたってもいられなくなる。

と、その時だった。


入り口のドアにつけられている鐘が控えめに鳴った。入り口からまっすぐにしか席がないこの店は見通しがよく、待ち人を探すのに苦労しない。だから彼が来たことは一瞬でわかった。彼の姿のおかしさも、一瞬でわかった。


「フッ…久しぶりだな」
「え、ちょっと待って、この暑い中皮ジャンで来たの?」
「神に導かれし二人の再会にパーフェクトファッションで現れるのは当然だろう?」
「そんなに汗かいて何言ってんの。熱中症で倒れるよ。ほら、サングラスも早く外して。アイスコーヒーでいい?」
「…相変わらず冷静だな…」
「あなたがそんなだから冷静に成らざるを得ないって知ってた?」


カラ松を適当にあしらいながらマスターにアイスコーヒーを注文する。一緒に追加でホットの紅茶も頼んだ。カラ松には悪いけど、一時間もクーラーの利いた部屋で待っていたわたしの体は冷え切っていた。その暑さ、今は少し分けて欲しいかも。そう思いながら彼にハンカチを手渡す。すまないと一言謝る彼はあの頃とあまり変わっていない。
マスターがコーヒーを持って来ても、彼はなかなかコーヒーを飲もうとしなかった。不思議に思っていると、頼りなく眉を下げたカラ松は静かにわたしに謝った。


「…待たせてすまない」
「いいよ、無事に辿り着けて良かった。とりあえず飲んだら?」
「ああ…」


カラ松は促されるままにグラスを手に取り一気にコーヒーを飲み干す。その勢いが凄くて一瞬放心してしまった。よく倒れずたどり着いたね。よく店についてすぐ飲み物求めなかったね。呆れを通り越して感心する。


「…相変わらずかっこつけたがりなのね」
「カラ松ガールに会うんだ、この程度の嗜み当然だろう?」
「もう一杯飲む?」
「あ、いや…金がないから大丈夫だ。水を…」
「奢るから」
「そんなわけには、」
「いきなり誘ったのわたしだし。これくらいさせて」


カラ松の発言を無視してマスターに追加でアイスコーヒーを頼む。ここのお店は他の店より安い。だからこそ高校時代、よくお世話になった。それにわたしはもう高校生じゃない。バイトもしてそれなりにお金はあるからコーヒー一杯くらい優に払える。


「…すまない」
「いいってば。それよりいきなり呼び出してごめんね」
「いや、暇してたから大丈夫だ」
「そう?それならよかった。平日の昼間だし、連絡つかないんじゃないかと思った」
「フッ…俺にとっては毎日がホリディだ」
「え…もしかしてまだニートしてんの」
「戦士には安らげる場所が必要……」
「………」
「…お前は」
「え?」
「お前はなんでここにいるんだ?」
「ああ…大学はちょうど夏休みで。というか、今四年で単位もあと卒論だけだから下宿引き払って帰って来ちゃった。ゼミのある日だけ大学行こうと思って。時間かかるけどその方が安上がりだし」
「そんなことが可能なのか」
「まあね、もともと通えない距離じゃなかったんだよ。一人暮らししたのも早起きするのが嫌だったからだし…」


うそ。もうひとりの自分が囁く。そんな理由で一人暮らしを始めた訳じゃない。


「なら今はこっちに住んでいるんだな」
「…まあね」


歯切れの悪くなったわたしにカラ松が不思議そうな顔をする。それ以上追求してくるような人じゃないけど、と思った時マスターが二杯目のコーヒーを持ってきた。マスターはいつもそうだった。客に無関心そうにしているのに、ちゃんとこちらを気にしている。ちょうど良かった。仕切り直しだ。


「…じゃあ改めて。電話でも言ったんだけど、演劇部の助っ人頼まれてさ。詳しいことはわたしもまだよくわかんないんだけど、もし時間あるなら一緒に手伝って欲しくて」
「この手から生み出される奇跡を…」
「ニートなら時間有り余ってるでしょあなた」
「あ、はい」
「ちょっと話聞いただけなんだけど、今年ブロック大会進出決めたみたいなの」
「本当か、すごいな」
「ね。で、間に文化祭挟むじゃない?そこでその演目すればいいのに、三年生がやりたがらないみたいで」
「どうして」
「どっちにしろブロック大会で終わりだからだってさ。通過できても三年は全国行けないし、どっちにしろ卒業公演はそのプログラムでしょ?だったら最後にやりたいことやって終わりたいんだってさ。意欲的だよね」


聞いた話と少し違うけれど、大まかな話は間違っていない。細かい部分は言ったところで関係ない話だ。手伝ってくれるならそれでいい。


「手伝うのはいいが…何すればいいんだ?まさか役者じゃないだろう?」
「もちろん。役者は部員のものだからね。だからわたしたちは大道具小道具衣装かな。照明や音響も部員にさせるみたいだし。ま、できるだけ部室にあるもの使えたらって思ってるけど、まだ何するか聞いてないからなんともいえないかな」
「なるほど」
「とりあえず一度現役部員と打ち合わせしたいと思うんだけど、土曜日空いてない?」
「その日はカラ松ガールズに会いに行く予定だったが…仕方がない、そっちは延期にするか」
「そうだねニートだもんねいつでも会えるよね。じゃあ朝十時に校門前集合でいいかな」
「ああ、わかった」


話は滞りなく進み、そんなに時間が掛からないまま打ち合わせは終わってしまった。わざわざ呼び出したのに悪い気はしたけれど、用事は済んだしさっさと帰ろう。鞄から財布を捜しながらなんだか居心地が悪くて顔を上げると、カラ松がこちらをじっと見ている。目が合うと微笑まれた。心臓が小さな音を立てた。


「なに」
「いや、こうして話してると高校の時に戻った感じがするなと思って」
「…そうだね」
「綾は大人っぽくなったな」
「え、いきなり何」
「雰囲気が違うから一瞬誰かわからなかった。髪型も変わっていたし。昔の長いのも似合ってたけど、今のも可愛いな」
「…それは、どうも」
「でも芝居が好きなのは変わってないな」
「…そうでもない、けど」
「そうじゃなきゃわざわざしないだろう?自分達の代と被っていない後輩の手伝いなんて」
「姫に、」


カラ松の言葉を遮り出てきた言葉に息をのむ。絶対に言いたくなかった。結果バレるとしても、自分の口からは言いたくなかったのに。


「…姫に、会った」


それでも口にした言葉を取り消すことはできない。何を聞かれるだろう。咄嗟に口から出てきたわけだから、上手く嘘をつける自信もない。膝の上に置いた手をぎゅっと握る。知られたくなかった。もう一度思った。


「そうか」


カラ松が言ったのはたったそれだけ。驚いて顔を上げるとカラ松は席を立つところだった。


「じゃあ土曜日の朝十時だな」
「あ、ねえ、待って」


慌ててわたしも立ち上がる。テーブルの隅に置かれていた紙ナプキンを取り、再び鞄を漁った。ボールペンを取り出すと紙ナプキンに英数字を書いていく。


「これ、わたしのラインのIDだから」
「あ…」
「え?」
「すまない、携帯持ってなくて…」
「本当に?どうしよう…最悪電話番号だけわかればいいけど、写真見られないの相談する時困るな…」
「よければ…俺のブラザーはスマホ持ってるからそれを借りようか?」
「え、流石にそれはまずいでしょ!個人情報だし…」
「写真送るだけなんだろ?」
「まあ…最悪それが出来れば。どっちにしろ弟さんのスマホ借りることになるけど」
「大丈夫だろ。トド松だし、綾面識あるだろ?」


その名前に高校三年生の教室の風景が思い起こされる。松野トド松。カラ松の弟。なんでその可能性を考えなかったのか。もう彼と関わり合うことはないと思っていたのに。


「面識、は、あるけど」
「じゃあトド松には俺から話しとくから。このメモを渡せばいいのか?」
「あ…うん」
「わかった。…コーヒーごちそうさま」


やっぱりさっきのはなしで、なんて言えなかった。カラ松はわたしが松野トド松を苦手にしていることを知らない。恐らく松野トド松があまりわたしのことを好いていないことも知らない。松野トド松がいらないことを言わなければいいんだけど…革ジャンを着込みドアへ向かうカラ松の背中を見ながらそう願う。………ん?革ジャン?


「待って!」


ドアノブに手を掛けたカラ松がこちらを振り返る。いつの間に出したのだろう、目元にはサングラスが掛かっていた。


「皮ジャンは、脱いで帰った方がいいと思う!」
「…男には戦わなければならない時がある…」
「ばか!熱中症で倒れるよ!」


カラ松はわたしの話が終わらないうちに外へと出て行った。とりあえず、帰りの方が日差しは優しいからマシかもしれない。そんな慰めにもならないようなことを考えながら、わたしは再び鞄に手を伸ばした。


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