夕飯を食べ、シャワーもすませ、自室へ戻りベッドに横たわる。いろんなことがあった一日だった。どうしてこんなことになったんだろう。今日、家から出なければよかった。後悔したところでもう、何もかも遅い。


(…カラ松、無事に家に着いたかな)


道端で行き倒れてなければいいけど。それを確認する為には彼の自宅に電話しなければならないので、土曜日無事に会えるよう祈ることにした。大丈夫、流石にそこまで馬鹿じゃない……と信じたい。


本音を言うと、もう一度会いたかった。でも自分から連絡することは一生ないと思っていた。わたしにそんな権利ない。拒否されたって仕方がない。けれど、彼は来てくれた。何も聞かず、わたしを責めることもしなかった。知っていた。彼は優しい。すごくすごく優しい。だからきっと、来てくれるって心のどこかで確信していた。わたしはどこまでも狡い。


(…寝よう)


こんなことを考えていたって自己嫌悪に苛まれるだけだ。寝たら多少すっきりするだろう。電気をつけたまま、寝返りを打ち目を閉じたその時だった。
着信を告げる音が部屋に響いた。完全に寝る体勢に入っていたからか、そんなに大きな音でもないのに驚いて思わず飛び起きる。慌ててスマホを手に取ると、急いでディスプレイを確認した。表示されているのは知らない電話番号。しばらく待ってみると電話は切れ、すぐにまた着信音が鳴り出す。表示されるのはさっきと同じ番号。ということは間違いじゃなくて、誰かがわたしに電話を掛けているのだろうか。考えているとまた電話は切れてしまい、すぐに着信音が鳴り始める。この様子だとわたしが出るまで電話は鳴り止まないだろう。……仕方がない。意を決して画面をスライドし、誰かわからない電話先の相手に話しかける。


「…もしもし」
「あ、早瀬さん?」


不意に呼ばれた名前に驚き咄嗟に声が出ない。男の声、それにしては少し高めの声は自分の記憶に引っかからない。誰?何でわたしの名前知ってるの?


「…どちら様でしょうか」
「嫌だなぁそんなよそよそしい言い方しちゃって。僕たちクラスメイトだったじゃない」
「クラスメイト…?」
「そ。クラスメイト」


そう言われても、わたしに電話を掛けてくるような親しい男友達は今いない。しかもクラスメイトということは中学か高校の同級生だった人だろう。そうなると関わりがあるのはそれこそ部活の仲間くらいのものだし、でも男の部員とは同じクラスになったことなんてなかった。だとしたら一体誰。………そういえば。忘れてた。ひとり、心当たりがある。


「…松野君?」
「うわー、やっぱり僕のことは名字で呼ぶんだね!カラ松兄さんのことは名前呼び捨てなのに」
「だって、名前で呼べるほどあなたと親しくないから」
「早瀬さん変わってないねー。久しぶりー」


どうも心当たりは的中だったらしい。カラ松の弟、松野トド松。今日間接的に連絡先を交換した相手。彼とは確かに高校三年の時クラスメイトだった。まあ同じクラスだったっていうだけで、しゃべったことはほとんどない。わたしは彼が苦手だった。松野兄弟とはもうひとり一緒のクラスになったことがあるけど、六つ子とはいえ全然性格が違うということに驚いた記憶がある。


「で、何の用ですか?」
「えー、何その言い方。せっかく僕のスマホ使ってカラ松兄さんとやりとりさせてあげるのに?」
「…その節に関しては感謝してます」
「まあ勝手に使われてる気がしてあんまり嬉しくないんだけど。今度何かお礼してよね」
「はぁ…」


なんだこれ。彼はなんでわざわざ電話をしてきたのだろう。スマホを借りる件に関しては文句を言われても仕方ないけど、それにしても何かおかしい。嫌な予感がする。


「あの…用がないならもう切っていいですか」
「待ってよ、何もないのにわざわざ電話なんてすると思う?」
「………」


そしてそういう予感は大体当たるものだ。何を言われるかは何となく想像ができた。そして、わたしはその言葉を受け止めなければならない義務がある。


「カラ松兄さんね、あの後結構落ち込んでたよ」
「………」
「ぺらぺらしゃべるような人じゃないから何か言ってたわけじゃないけどさ。自分を責めてたよね」
「………」
「ふたりの間に何があったかは知らないよ。口出しする気もないしね。ただ、またあんなことになったら許さないから」


さっきまでの馴れ馴れしさから一転、突き刺すような鋭い口調に息が詰まる。なにか、なにか話さなきゃ。そう思えば思うほど全てが言い訳になってしまう気がして声が出ない。松野君は続きの言葉をしゃべらない。それが更に責められているように感じられて、なんとか必死に堪えようと短く息を繰り返した。この音は電話の向こうに聞こえているんだろうか。一瞬焦ったけれど、相手はこちらの状況には特に関心を示していないらしかった。


「じゃあねー」


一方的に電話を切られ、一気に嫌な汗が噴き出す。動悸が激しい。よろよろと窓際まで歩き、浅い呼吸を繰り返した。新鮮な空気が肺に入り込んでくると足の力が抜けてその場に倒れ込んだ。目の前がチカチカする。気持ち悪い。


『またあんなことになったら許さないから』


さっき松野君に言われた言葉が耳の奥で木霊する。わかってる、そんなこと。あなたに言われなくても。でも、そんなこと言えなかった。わたしはなにもしゃべってはいけない。


(…たばこ吸いたい)


こんな時に吸ったら気分が更に悪くなる。思いながらも這い蹲りながら鞄に手を伸ばした。バージニア。実家に帰ることをきっかけに変えた銘柄にまだ馴染むことが出来ない。それでもその箱を見ているだけで少し呼吸が楽になったような気がする。もういいや。大丈夫。わたしはちゃんと汚れてる。
ひとつ深い息を吐き出してそのまま体の力をぬいた。ベッドに上がることも電気を消すこともどうでもいい。なにを選んでも、望んでいなくても、耐えていれば朝はやってくる。


.

ALICE+