こりゃあ今晩はピュールも戻ってこられないねえ。地面を強く叩く雨音を聴きながらデウロちゃんは肩をすくめた。キョウヤくんが「送っていくよ」と上着を羽織る。
「い、いいよ。だって、あんなの傘も役に立たない」
 警報でも出ているのではと疑うほどの大雨だった。ニュースを見てみると幸い非難の指示などはでていないようだが、余程のことでない限り今晩出歩く人はいないだろう。
「泊まっていったらどうかな。ほかの部屋掃除してないけど……タウニーがぜんぶやってたんだよねえ。あの子も出て行っちゃったし。そもそもいまはホテルとしては機能してないしいいよね?」
「前からそうだったよ」
「でも一回カラスバ来たじゃん」
「ねえ、ここの宿泊代っていくらなの?」
 二人は声を揃えて知らないと答えた。
「え、知らないの」
「エムゼット団に入る代わりに泊めてもらってるから」
「俺も。気になるならなまえも団員になったらどうかな」
「キョウヤが言うなら誰も反対できないよねえ」
「な、なれないよ」
 腕も立って勇気ある彼らの一員になるだなんてとてもじゃないけど考えられない。冗談でもすごいことを言われて心臓がどきどきと音を立てる。
「なまえかわいい」
「惚気るなら叩き出すよ」
 デウロちゃんが扉を指差す。キョウヤくんは両手を小さく上げて降参の意思を示した。彼は本当によくわからないひとだ。何を考えているかちっとも読めない。デウロちゃんとは随分と気の置けない仲のように見えるけれど、わたしはまだああいうふうに親しげに彼と接することは難しい。揶揄われても真に受けて恥ずかしくなって、いまも変な汗をかいている。頬がちりちりと熱い。
「あのう、わたしやっぱり帰ろうかな」
「だめです。キョウヤのせいでしょ、謝りな」
「どうして?」
 柔らかく微笑みかけてくるキョウヤくんを見ていると身がもたなくなるので壁の絵に視線を移す。眺めているふりはするけれど、意識はまるでそちらにない。
「とにかくなまえが使う部屋を掃除しないと」
 デウロちゃんが立ち上がる。
「ほんとにいいのかなあ」
「大丈夫だよ。いまは所有者も誰なのかわからない」
「あの子がうまくやるんじゃないかな。それに誰かが使ってくれたほうが部屋もきっと喜ぶじゃない。たぶん」
 この場所が彼らにとってどういう場所なのか、そのすべてはわたしにはわからない。デウロちゃんの背中がエレベータに吸い込まれていく。キョウヤくんのほうはどこかへ消えて行ったと思うと、リネンを抱えてあらわれ「行こう」と示す。

「そんなに汚れてないね。埃はちょっと溜まってるけど」彼女の持つハンディ掃除機の音と激しい雨音が混ざりあう。
「ありがとう、わたしがやるよ」
「でもお客さんだし」
「お客さんじゃないよ」
「まあ、それもそうか」
 納得してくれたらしい。わたしに掃除機を手渡すと、ほかの掃除道具持ってくるねと彼女は部屋をあとにした。
「帰らなくてよかったね」
少し離れたところで枕のシーツを取り替えていたキョウヤくんが窓のほうを見た。雷が近い。どこか少し離れたところに落ちたようだった。
「うん、ありがとう」
「同じ建物で眠ると思うと緊張するな」
 彼が枕をベッドに置いた。冗談。
「おもってない、こと、ばっかり」
「思ってるよ」
 焦げ付いてぼろぼろと崩れていくんじゃないかと自らの頬を両手で挟む。手のひらの温度が低い。馴染んで合わさってくっついてしまいそうになる。戯れだ。わかっている。そう言い聞かせて、伸びてきた指先を受け入れた。目元を人差し指で拭われる。
「熱いね」
 喉が詰まって声が出てこない。極端に狭まった視界に映るキョウヤくんは微笑みを崩していた。いつ見ても余裕を感じさせる面持ちがいまでは神妙だった。ばりばりと世界を剥がすようなするどい雷鳴が地の底から這い上がってくる。光は夜を染める。近くに落ちたようだった。デウロちゃんの慌てた声が響いてくる。「デウロ、はやく戻っておいでよ」キョウヤくんが大きな声で彼女を呼ぶあいだ、わたしは肩に置かれた手の重さばかりを気にして、捕らえられた獲物のように縮こまる。心臓が痛いほど鳴っていた。