普段彼は朝が早い。遅くまでロワイヤルに身を投じているわりに、早朝からすっきりと目覚めている。無尽蔵に体力があるのだと思っていたけれど、やはり多少の無理はしているようで今朝はめずらしく誰よりも遅かった。──というか、起きてこなかった。今朝は団での会議の予定があったらしいのだが、そちらのほうはリーダー不在で話が進んでいるようだった。ガイを起こしてきてと急かされたわたしは別に団員でもないただの宿泊客である。
 どこか壊れてしまいそうでひとりで乗るには多少不安なエレベータで二階に上がる。廊下は静まり返って物音ひとつしなかった。朝特有の乾いた、穏やかな時間が流れている。時間の流れがゆっくりとしていた。まるで何か膜みたいなものがこの空間全体を覆って感覚を鈍くさせているみたいだ。それは嫌な感覚じゃなく、まどろみに近い。
 ガイが使う部屋の扉は陽がよく当たる。眩しさに目を細めながら数回ノックする。返事はない。ノブを回すと、驚くことに開いた。不用心だと言いたいところだけれど突如強盗にでも入られない限り安全面の心配はないだろう。その強盗の心配も悲しいことにしなくてよさそうだ。客が入っているかどうかも定かでない古びたホテルに用もない。
「ガイ、はやく起きなきゃ入っちゃうよ」
 僅かに開けた隙間から声をかける。くぐもった返事がある。これで起こしたことにしたらデウロに叱られるだろうか。もちろん、叱られるだろう。
「入るよう」
 事前に宣言しておけば問題ないだろう……と思う。ぎい、と扉が軋んだ。これ自体もだいぶ古くなっている。以前タラゴンさんに蝶番を直してもらっていたのを見たことがあった。こんなことをやらせるなと怒っていたような、どうだったか。
「ガイ、なまえですよ」
 誤解のないように一応自己紹介をしておく。目覚めて突然部屋に人がいたら気分は良くないだろうから。その場合、名乗っても意味はないが。掛け布団で頭まで覆い隠したガイがふにゃふにゃとした声でわたしの名前を呼ぶ。
「はいってくんなよお」
「そうは言っても、デウロ隊長が起こしてこいって」
「はあ……デウロ……?」
 寝転んだまま掛け布団を蹴飛ばす。その動作だけは速かった。髪が乱れ、よれた部屋着。うつろな目で天井を見つめていたかと思えば、ぱっと首を動かしてわたしを見た。
「オマエどうやって入ってきたんだよ」
「鍵があいてたよ」
 信じられない、という顔をする。それはわたしも同じ気持ちだ。昨晩よほど疲れてたんだろう、放っておくとまた瞼がおちてしまいそうなガイに声をかける。はっとして、彼はこちらに向かっておもむろに両手を伸ばした。ベッドに膝を立てるとスプリングが沈み込む。そのまま腕を掴んで引っぱり起こしてやる。
「プリンセス・ガイめ」
「ごめんあそばせ」
「それって使い方あってるのかな」
「知らねえ」
 だいたいプリンセスのことは引っ張らねえだろ。見当違いなことを言いながらガイは伸びをする。それから時計を確認すると「やべっ」と声をあげた。ようやく遅刻に気がついたらしい。
「みんな寝坊珍しいねって言ってたよ」
「はやくいえよ!これ鍵、出るときかけてきてくれ」
 デスクに置かれていた鍵を放り投げられる。拾い損ねそうになったが、すんでのところでキャッチする。不用心な。信頼されている喜びより危機感のなさに意識がいく。悪意に晒された経験がないのか、それでもなお人を信じることに決めているのか。いずれにせよ、こうしてひとり考えていても無駄なことだ。

 ロビーでフラエッテと紅茶を飲んでいると、ぞろぞろと会議を終えた面々が出てくる。よくよく見るとセイカはシニヨンが乱れ、表情には疲労が滲んでいた。デウロも同様にきれいなストレートの髪をおでこでくくることもせず後ろで一本、乱雑にまとめていた。ピュールだけは普段通りかと思ったが、タイを忘れている。
「なんかみんなぼろぼろじゃない?」
 訊くと、デウロが首を振る。
「だって、ここのところやること多くて」
 疲労困憊なのはガイだけではなかったらしい。
「あ、そうだプリンセス。こちら鍵にございます」
 相変わらずぼけっとしているガイに鍵を手渡すと、周りがぎょっとしたようにガイに視線をあつめる。
「なんだよ。あー、その、いろいろあって。というか会議だいたい間に合っただろ?だいたい少し、というか、半分、というか」
「プリンセスになることで間に合わせたんですか」
「プリンセスになるって何」
 ピュールとセイカが言う。ガイが面倒そうに自らの髪をくしゃりとして「ごめんあそばせ」と鍵を受け取った。
「それ使い方あってる?」
と、デウロ。



 その日の晩、ガイの帰りをロビーで待った。フラエッテが心配そうに声をかけてくれるが、やがてAZさんと共に寝室へむかった。それにしても、よくこんな時間までポケモン勝負をして朝から活動できると改めて思う。日付が変わろうとするころ、控えめに入口のベルが鳴った。どうせお客などいないので、だれか最後のひとが部屋に戻るときロビーの電気は切ることになっている。それが着いているので、入ってくるなりガイは目を丸くしていた。
「なにしてるんだよ」
「おかえり」
 本日三杯目の紅茶を飲み干す。
「セイカは少し前に帰ってきたよ。きみが最後」
「最後って……オマエはなにしてるんだよ」
「ガイが鍵閉めて寝るか見届けてあげようと思って」
 四杯目は流石に踏みとどまった。ちょうど空になったティーポットを持ち上げると、ガイが大きな欠伸をする。
「こんな時間まで大変だね」
「まあな。ミアレのためだから」
「ふうん」
 ミアレのためにどうしてロワイヤルに参加するのか、わたしは詳しいことを知らない。ガイもわざわざ部外者のわたしに説明することもない。手伝うかと声をかけるガイに早く寝てと伝えるとばつがわるそうにああだの、うんだの、曖昧な返事をした。
「廊下通りかかったときに確認するからびっくりしないでね。おやすみ」
 茶器を持ってガイに別れを告げるが、片付けを終えてロビーに戻っても明かりは消えておらず、どこか不安げにそわそわとしたガイが変わらずそこに立っていた。視線を彷徨わせ、眉を下げ、まるで迷子の子どものようだった。部屋に戻っていると思っていたから驚くと、ガイは慌てて「待っていてもらってたのにオレが先に戻るわけにいかないだろ」と頭を掻いた。
「なんでそんなところだけ気をつかうの」
「ふだんから気遣いはできてるほうだろ」
 自分で言うことではない。エレベータのボタンを押す。扉の向こうで駆動しているあいだ、会話はなかった。到着を知らせる特有の軋みを察してガイがロビーの明かりを消す。わたしはひと足先にエレベータに乗り込み、手のひらを差し出す。
「また姫扱いかよ」
「そういうつもりじゃなかったけど……」
 そうは言いつつガイは乱雑に私の手を取った。掬いあげるようにその手を引く。扉が閉まる。夜が閉ざされる。