夕飯どきに一心不乱にサラダを貪る妙なヤツがいると思ったらなまえだった。彼女はダンデの幼馴染で、ジムチャレンジの際に知り合った。ダンデといるときにはよくアイツの世話を焼いているところを見ていたが、ふたりで話してみるとすこし抜けたところのある女の子で、もうひとりの幼馴染のことでよく気を揉んでいた。
 彼女はこちらに気がつくと、さっと目を逸らした。彼女なりの配慮なのだろうが、オレは彼女の座るテーブル席に腰を下ろす。
「なんで」
「だって他人じゃないだろ?」
「他人です」
 あくまでしらを切るつもりらしい。注文を取りに来てくれた店員がオレを見て、すこし興奮気味に「応援しています」と小声で伝えてくれる。
「ほら」
 去っていった店員の背を見つめ、眉間に皺を寄せてなまえが言う。
「あの女誰?って思われた。終わりだ」
「思われねえって。なあ、なんでそんなにサラダばっかり食べてるんだ?」
 三皿もテーブルに乗っている。訊くと、なまえは言葉に詰まってしばらく葉っぱを口に突っ込み続けていたが、観念したように「今日はソニアに約束をドタキャンされちゃって」と明らかにしょげた顔をする。
「オマエとの約束をキャンセルするなんてかなり勿体無いな」
「勿体無いとかじゃ……でも、やけになったんだけど理性が働いて」
「それでサラダばっかりか」
 恥ずかしそうに頷く。
「かわいすぎるだろ」
「そういうのイヤ」
 むくれて小さく刻まれたきのみを口に運ぶ。悪いと謝るが「思ってない」とさらに怒る。それもまたかわいらしかったけれど、口には出さなかった。
「それで、なんでまたキャンセルなんかされたんだ?」
「……おばあちゃんに緊急でお仕事を頼まれちゃったんだって。それはソニアにとってなにより大事なことだから、わたしにとっても大事なことなの。だから、いいの。仕方ない」
 そう言うわりにはしっかりやけになっている。彼女は本当に、オレの心を掴む天才なのだ。そばにいると一挙手一投足気になって目が離せなくなる。
「それよりさ、キバナくんこんなところにひとりで珍しいね」
 同席しているというのに、わざわざ声をひそめてなまえが訊ねる。本当に偶然だった。まるでここに引き寄せられたみたいだった。言うと、大袈裟だと笑われる。
「なあ、これってデートみたいだよな」
「だめだよ冗談でもそんなこと言ったら」
 彼女は静かにするよう人差し指を立てた。以前ダンデ絡みでパパラッチされていたことがあったし、過敏になっているんだろう。オレもジムチャレンジャーとして顔は割れているが、ジムリーダーに就任してから日は浅いし、ダンデほどの知名度はない。
「大丈夫だって、変装してるし」
「それ本気の発言?さっきバレてたよね。ほかの人にも絶対バレてるよ」
 辺りをきょろきょろと伺う様子は小動物みたいで、たまらなくなって抱きしめたい衝動に駆られる。こんなことがあるだろうか、この生き物のすべてを欲したい。
「じゃあ、このあとは誰にも見られない場所に行けばいい」
「……たとえば?」
 なまえが興味深そうに問う。
「オレの家とか」
 断られるとわかっていた。軽薄なヤツだと引いてくれでもしたら諦めもつくだろうと思ってもいた。なまえはぽかんとして、それから「川下りの合間にって映画置いてある?」と訊いた。観たことも聞いたこともない映画だった。
「ある」
「じゃあ、行こう」
 彼女が傍に置いたコートを手に取る。思わずマジかよ、と漏らすと笑っていた。無邪気で幼さの残る笑顔が好きだ。彼女の心の中にオレに入り込む隙がないことは承知の上だった。そう思っていないと、こんな馬鹿みたいな状況で馬鹿みたいに浮かれてしまう。
 『川下りの合間に』が無いことに、なまえはしっかり落胆していた。翌朝オレが目を覚ますと、彼女はまだ少し湿った髪に手櫛を通しながら「勝手にシャワー借りちゃった。ドライヤーも」と、笑った。朝のきつい日差しに照らされて彼女自体が光って見える。夢でも見ているんじゃないかと思い、そばに寄る。触れれば温かい。顔を埋めたなまえの髪から自分のシャンプーの匂いがしてくすぐったい気分になった。高揚、困惑、動揺。どれもな気がするし、どれでもないような気もする。
「なあ、映画」
「ん?」
「置いておくから」
 情けない響きになって後悔する。彼女の前だといつも情けない姿を晒している気がした。
「でも、つまんないってレビューに書いてあるけど」
「なんだよ。観たことないのか?」
「ない。どれだけつまらないか知りたいの」
 そう言って腕を回される。おもしろくなるにはどうすればいいか考えてしまう。必要のないことだ。

 昨日包んでもらった大量のサラダが彼女の朝食だった。オレも少し分けてもらう。
「ジムリーダーって忙しい?」
「ん、まあ。忙しい」
「そうなんだ」
「チャンピオンよりは楽かな」
「チャンピオンになったことあるの?」
 なまえが微笑みながら揶揄う。
「これからすぐになるさ、オマエの隣で」
 どちらも望み薄だ。そうとは思いたくないが。「楽しみにしてるね」
 彼女もわかっているんだろう。余裕そうで、オレに関心を寄せてはくれない。そういうところはあまり好きじゃなかった。
「そういえば、成り行きで来ちゃったけど……撮られてたらどうしよう」
 葉にフォークを刺したなまえが心配そうに眉を下げた。
「だから心配ないって。自分でいうのも悔しいがダンデと同じ基準で考えられてもな」
「そうなの?」
「そうなの」
 アイツはスーパースターなんだ。なまえは近所の子どもを思い出すような表情で「そっか」と興味なさげに返した。それが何故だかたまらなく嬉しかった。