舌先に触れる。熱さで反射を起こすが、引っ込みがつかなくなってそのまま流れていく。喉が一瞬の熱さに驚き、通り過ぎたあとでじわじわと痛みを伴って怨みを伝えてくるが腹まで落ちてしまえばもう分からない。
「うわ、熱そ」
顔を歪めてカナリィが言う。水を飲むと余計に痛みは増したように思う。グラスを差し出してくれたムクちゃんがわたしの料理を指して訊ねる。
「それ何」
「知らない料理」
「知らない料理注文すんな……ん?」
不意に片肘ついたカナリィが後方を示すように握り込んだ拳の親指を立てる。背後にはスマホを構えた青年が二人並び立ち、興奮を押し込めようと何やら言葉を交わしていた。小声のつもりだろうけれど、こちらまでは確実に届いている。
「ちょっと仕事ぶりみせてみなよ」
悪戯でも思いついたようにカナリィが笑う。
「カナリィちゃんに迷惑かけるヤツらなんて……全員許し難し。はやく、なまえ」
ふたりに急かされ、スプーンを置いて席を立つ。一口しか口をつけていないのに。
ひと月前ほど、カナリィがシビルドンとお茶をしていたところをファンに囲まれ、それはもう大変な騒ぎになったことがあったらしい。ちょっと騒がれるようなことはそう珍しくはないらしいのだが、その日はファン同士で乱闘が起きたかなんだかで暴力沙汰、ブルー地区で起きた出来事だった。
「あのう、わたし、サビ組のものですが」
彼らとカナリィを遮りそう名乗ると、彼らは顔を見合わせた。小馬鹿にするようにじろりと視線を向けられる。
「はあ?嘘つけ」
「それはそーう」
席からカナリィが返すと、男たちからは歓声があがる。依然として彼らのスマホのカメラはカナリィを捉えたままだ。
「勝手に彼女を撮影しないでください」
わたしの言葉など聞こえていないかのように、彼らはカナリィに呼びかける。遮ると腕を掴まれ、邪魔だと振り払われた。カナリィがやんわりとやめるよう促しても白熱するばかりで、恐ろしいことにまた相当厄介な相手のようだ。
「……カナリィ、もういっそほっとくっていうのは」
「それじゃなまえがいる意味がない」
痛いところを突かれる。ムクちゃんは相手を睨みつけると立ち上がりかけたが、ふと動きを止める。辺りにドスの効いた声が響き渡り、背筋が寒くなる。
「うわ、サビ組」
男ふたりは怯えた声をあげる。堂々と近づいてくる彼らの格好は一目でそれとわかる一方で、わたしの装いではとてもそうは見えないらしい。組の者ではないから当然ではあるのだけれど。
「なまえさん、やっぱり」
組員であるひとりに声をかけられ、わたしは懸命に首を振って否定した。
「もう少しで追い払えそうな気がしてたところだったんだ」
「どこがよ」
後方から野次が飛ぶ。
「いえ。そうではなく……やっぱり実際いるんですねえ、キモオタって」
男ふたりから悲鳴が上がる。組員が自らの拳を手のひらに突き合わせてにじりよると、彼らは走り去っていった。こんなにもあっさりと。
「けれどやっぱりボスの言うことわかりますよ、こんなかわいい子立たせといてなんの役に立つのかって」
「褒めてるのか貶してるのかわからん、嫌味?」
「嫌味かも」
「カナリィちゃんのほうが一億倍かわいい」
めいめい好き勝手に喋る。
「とにかく、わたしはカナリィの希望だから」
言うと、カナリィが肩に腕を回ししなだれかかってくる。
「そうそう、イカつい人侍らせながらカフェにいたらヘンにバズって炎上するかもっすよ」
「ナメた口ききやがって。小娘のためにやってんじゃねえぞ、街の安全のためにやってんだ。それにおまえはどちらかというと加害者なんだからな」
「どういう理屈」
カナリィのファン同士の喧嘩をきっかけに、このあたりの地区は警備強化が行われたようだった。サビ組としてもボス曰くあらぬ疑いをかけられるリスクは避けたいとのことらしく、カナリィに見張り兼用心棒をつけるよう"お願い"したらしい。詳しくは分からないけれど最終的にカナリィ側からは自分と歳の近い人ならいいという要望があり、それならとわたしが志願した。カナリィのほうもわたしが出てくるとわかっていたにちがいなかった。彼女とは旧知の仲だ。
「なまえさん。カラスバ様が至急、ただちに、早急に戻ってこいとのことです」
スマホを片手に組員が言う。
「なまえシバかれんじゃない」
「……そうかも」
「だからさ、サビ組なんかとはさっさと離れたらってぼくいってるのに」
「んだとコラ!」
「なまえ、生きろ」
喧しさに周囲の視線を集めはじめ、次第にカナリィの存在に注目が集まる。
「やば。じゃーね、こんどじーちゃんが飯食いに来いって」
「うん」
拳を合わせてふたりと別れる。なまえさんにも同い年ぐらいの女の子の友だちがいたんすねと組員のひとりが涙ぐむので、複雑な心境だった。
深く沈むソファに座り、腕を差し出す。
「痛みはありますか」
わたしの腕をやさしく上下させつつジプソが訊くので、首を振る。本当にあまり痛くはないのだが、手首にはカナリィのファンに掴まれたときのあとがくっきりと痣になって残っている。
「折れとんちゃうの」
デスクからボスが言う。折れてたらもっと痛いだろう。「アドレナリンが痛みを麻痺させることもありますからね」そんなにひどい怪我でもない。
「なんにもないよ、ちょっと掴まれたぐらいなんだから」
「失敗したくせになにデカい口叩いとんのや」
空気が振動するほどの怒号に、ジプソもわたしも控えている組員のひとたちも立ち上がり姿勢を正す。正直にいうと、ボスの怒鳴り声には慣れてしまっていて、話の通じないカナリィファン(カナ友というのだと以前教えてもらった)と対峙しているときのほうがよほど恐怖を感じたものだ。
「でもまあなまえちゃんは組員ちゃうから失敗もなにもないか。こっちおいで」
ジプソに背を押され、デスクを挟んで向かいに立つと、無言で横に来るよう指示される。従うと袖を捲られまるで触診のように腕に触れられる。
「もういいよ。どれだけ確認するの」
引っ込めようとすると強く掴まれ、鈍い痛みが走る。ボスはほら見ろと言わんばかりに掴んだ腕を軽く振った。
「怒るとかわいい顔が台無しなるで」
それはやっぱり嫌味なのかと訊ねようとしたが、すんでのところで怯んでしまってやめた。
「あーあー、こんなになって。怖かったなあ。だからやめときいうたのに、傷までつけられてたまったもんやないわ。アイツら地獄の果てまで追っかけ回してどついたるから安心しい」
「いや、いいよ、ボスの」
「ボスいうな」
「……おにいちゃんの役に立ちたかっただけだから」
もうこう呼ぶのは気恥ずかしい。それに、組に入れてと何度も志願している。ボスとは幼いころから交流があった。彼はわたしにとっては支えであり、どんなことでも共有したし、どこにでもあとをついていった。この街で暮らしていくにはどうしたらいいか彼は知っていたし、よく助けてもらったものだ。実兄などいたことはないけれど、彼のことは兄のように思っている。できればそばにいて恩返しをしたいのだけれど、叱られ怒鳴られ嗜められ、結局組には入れてもらえない。こんな仕事するもんやないと、"こんな仕事"をこなしながらその一点張りだ。
「もっとあるやろ、なんか……パン屋さんとか。あのかわいらしい店員さんえらいニコニコしてはるなあいわれて売上鰻上りやで」
「パン屋さんになってどうするの」
「毎日食べたるがな、パン」
パン……。多少魅力的に思う気持ちを振り払うように「飽きちゃうよ」と返す。
「怪我されるよか飽きるほどパン食べたほうがよっぽどええわ」
掴まれていた腕を引かれて体勢を崩す。組員とジプソが一斉にさっと下を向くのが視界の隅に見えて、いつも少し可笑しく思う。前に動画で見たキテルグマの抱擁のように抱きしめられる。ボスが「やっぱりパンええかもな、わりかし」と呟くので、渋々頷いた。クロワッサンが好きだ。
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