「こんにちは、ガイさんまでお揃いで」
 ロビーで歓談していた皆がそれぞれ挨拶を返してくれる。ゆったりとした空気感と漂ってくる香りからおそらく昼食を済ませたばかりなのだろう。彼らの宣伝動画にとんでもない料理が映っていたが、それだろうか。カレーの匂いだし。
「なまえこんにちは、今日はなにしにきたの?」
「遊びに。あと……セイカちゃんの様子をみに」
「私?なんで」
 自らを指差してセイカちゃんが驚く。
「カラスバでしょ」
「セイカはあの人に妙に気に入られてますからね」
「ねえ、ちょっと、呼び捨てだめだよー」
 ふざけてそう返すと、皆が一斉にピュールのほうを振り向き、ピュールはきまりが悪そうに顔を背ける。
「え?どしたの」
「いや、こっちの話。な、ピュール」
「……一瞬、そのぐらいいいじゃないかと思った気持ちを忘れないようにします」
「おお」
 わたしの与り知らないところでなにか感心するようなことが起こったらしい。
「まあ座りなよ」
 セイカちゃんが椅子を引くので、ありがたく座らせてもらう。主を失ってしまったのだというこのホテルも、彼らさえいればあたたかな場所だった。足を踏み入れるなり時代を遡ったかのような心地にさせる装飾はどれも美しく、アンティークの調度品には埃ひとつない。湿っぽくも柔らかい光のベールがそっとロビーを覆っている。この空間が纏う湿度に皆の笑い声が混ざると何故だか寂しげな雰囲気が滲む。しかし妙に居心地が良かった。
「オマエよく来てるのか?」
 訊ねられ、頷く。ここにガイさんがいることは珍しいからそこまで親交は深くないのだけれど、ボスが目をかけているセイカちゃんをはじめ、デウロちゃんやピュールくんとはもう随分打ち解けてきて、彼女らのお休みの日を狙ってはよくお邪魔している。
「今日は遊ぶもの持ってきたの」
「あぶないものじゃないよね?」
「なんでよ。あぶなくないよ、ほら見て」
 訝しむデウロちゃんの前にボスから貰った桐箱を突きつけた。
「なんかやばそうだな、高そう」
 ガイさんが割り込んで覗き込む。
「特注なんだって。お友だちと遊ぶことがあったらやんわり自慢してこいって」
「もうすでにやんわりどころじゃないんですけど、中身はなんなんですか?」
「ガラス玉だよ」
 蓋を開けると薄紙の下から等間隔に八つ並べられた小さなガラス玉が姿を見せる。箱は三段になっていて、それぞれ同じように球体が並べられているが色はすべて違う。
「……メガストーン?」
「みたいに見えるデザインなんだって」
 皆が顔を寄せてしげしげと眺めている。
「綺麗な細工だね。これで遊ぶって、なにをするの?」
 セイカちゃんが訊ねる。
「あのね、こうやってテーブルに落として」
「うわっ、うわあ!そんな乱暴に、傷がついてしまいますよ!」
 ピュールくんが慌ててわたしを制止する。
「でも、そんなこといっても……これはじいて遊ぶんだよ」
「は、はじ……そんなことしないでください」
「ええ」
「はやくしまえって」
「そんなあ」
 これで遊びに来たのに。言うと「だってこんなので遊んだらあとから多額の請求が来るかもだし」とデウロちゃん。
「そんなわけないでしょ」
「そんなわけあるよ。あたしにとってはサビ組ってそういうところなんだよねえ、怖すぎなんだから!ねえガイ?」
「あー……悪かったって」
 ガイさんはばつが悪そうに言うと「そういえば、なまえになにも出してやってないな。オレ特製カフェオレつくってきてやるから待ってろ」といなくなる。
「逃げた」
「逃げましたね」
「本当にちゃんと社長になれるのかな?」
 マグカップ片手に、からかうようにセイカちゃんが笑う。そういえばとデウロちゃんが声をあげる。
「なまえが来ると、何故かいつもあの日のこと思い出すのよね」
 腕をくみ、ううんと唸る。「あの日?」ピュールくんが訊ね、しばらくして彼も理解したように頷く。
「きっと香水ですよ」
「香水?あ、そうかも!」
 話が見えない。
「うっすらあの人からした匂いがなまえさんからもするんですよ」
「それカラスバが来たときのこと?」
 セイカちゃんが訊ねる。
「そうそう、カラスバが泊まりに来たとき。びっくりしたよねえ」
 ボスはここに宿泊までしたことがあるのか。わたしはあまり組の情報を教えてもらえない。
「同じものを使っているんですか?」
 ピュールくんが訊ねる。
「そういうわけじゃないけど……どこか行くときはいつも呼び出されて、殺虫スプレーみたいに噴射されるんだよ」
「殺虫スプレーって」
「こうすれば誰も手出してこないっていうから、しかたなく浴びてるの」
「手出してこないってなに……?」
 デウロちゃんが恐る恐る口にする。
「こいつを殴る前に筋通せ、みたいなことかな?」
「どんな世界よ」
「手出してこないって本当にそういう意味なのかな」
 セイカちゃんが言うのと同時にガイさんがキッチンから戻ってくる。マグカップを手渡されるので受け取った。注がれた薄いブラウンは柔らかく、たちのぼる湯気がひかりの中に散りばめられた塵に混ざって消えていく。
「オマエ、なんか手冷たいな」
 触れた箇所をそっと握られる。ガイさんの手は僅かにあたたかく、すこし湿っていた。
「ほら、きっとこういうことをされないようにって意味なんじゃないかな。手を出すって本当に手ってわけじゃないと思うけど……」
 セイカちゃんが言う。
「ああ、つまりわるい虫……てこと?だとしたら効いてないけど、殺虫スプレー」
「なんだよ虫扱いか?」
 ガイさんが眉を寄せる。
「ガイはサビ組からお金を借りるような人ですからね。きっと鈍いんですよ」
「何度も蒸し返すなって、謝るからさ」
 ぱっと手が離され、わたしはカフェオレを一口含む。ミルクの甘みが強くて美味しかった。四人はわたしを置いてひとしきり言い合いを続け、たまに脱線して好きなアイスクリームの話になったりしていたりもしたが、最終的に殺虫スプレーが効かなかったことをボスには内緒にしてねと言われ、この話は落ち着いた。ボスのことだから内緒にしていてもそのうちバレると思うけれど、そう言ったら警戒されてもうここに入れてもらえなくなるだろうか。それは困る。ふたたびカップに口をつけながら、静かに頷いておいた。