犠牲はつきもの

 最近、やけに目覚めがいい。身体は軽いし、脳内もスッキリと冴え渡っている。そして、何故だかパッタリと性欲が無くなった。日々の訓練、任務によって昇華されているのだと、虎杖は信じてやまなかった。身体の調子が良いのは彼自身にとっても望ましいことだったし、厳しい鍛錬がしっかり自分の身となっているのだと、誇らしく思っていたと言ってもいい。
 だから、流石に驚いた。己の腕の中で、すよすよと穏やかな寝息を立てている彼女が視界に飛び込んで来た時は、一度止まったこと事がある心臓が再び止まるかと思った。

「〜〜〜〜っ?!?!」

 声にならない叫び声を上げた虎杖は、脳内に彼女と夜を共にした存在しない記憶が蘇る。……ところだった。
 自分と彼女が所謂 そういう関係 ・・・・・・になることなど、絶対にありえない。そう彼が確信できたのは、己の中に居座っている両面宿儺のおかげでもあり、この状況の元凶は、全てソレのせいであることに間違いはなかった。

 ──ちょっと待って、一体いつから? いつからなの?? エッ、もしかして俺、知らない間に……! いや、落ち着け。そうじゃない可能性だってある、かもしれないし……オイ、宿儺!! どうなってんだよ、いつもうるさいくせに、こういう時だけ黙んないでくれます?!

 うんともすんとも言わない呪いに痺れを切らした彼は、居ても立っても居られずに、勢いよく起き上がった。
 捲れ上がった掛け布団が、肌を撫でて落ちていく。そこでようやく自分が上裸だということに気づき、卒倒した。

「あ、あ〜〜……」

 声にならない音と共に、大きなため息を零した背後で衣擦れがする。肩を震わせ、恐る恐る振り向いた虎杖は、己が来ているはずだったスウェットを纏っている彼女と目が合った。
 所謂彼シャツ≠ニいう、多くの人が憧れる王道シチュエーションだというのに、溢れ出てきたのは萌えという感情ではなく、冷や汗であった。
 言い逃れできない証拠を突きつけられた気分の彼に、寝惚け眼を擦った彼女は、かさついた声で呟いた。
 
「……え、あれ、虎杖くん」

 若干、戸惑いが伺える声音であったものの、すぐに朝教室で顔を合わせた時と同じトーンで「おはよう」と告げる彼女。

「あ、うん、おはよ! ……じゃなくてですね?!」

 彼女のペースにつられかれた虎杖は、早急に事実関係を確認すべく、ここまで全く言葉を発そうとしない宿儺の代わりに彼女を問い詰めたい気持ちを押さえ、ベッドの上で正座をし、膝の上に手を揃えては、畏まった様子で背筋を伸ばした。

「あのさ……状況から見て、どう考えても、そういうことだと思うんだけどさ、その、実際のところって……」

 ダラダラと冷や汗を流しながら、深刻な顔で問いかける彼に、彼女はキョトと目を丸めた。

「え……? 気づいてるのかと思った」
「全く知らなかったデスネ……」

 カタコトで後頭部を掻いた彼は「ちなみに、いつから?」と怖々尋ねる。

「えっと、初めはあの時。朝、教室で大騒ぎになった、あの日」
「あーあった、あった。えっ、あれってそういうコトだったの?!」

 あの日、確かに異様なまでに宿儺の呪力を纏った彼女のことはおかしいと思っていた。あ、また宿儺が何かやったな、と察しはついていたけれど、皆あの場でそれ以上追求することはなかったから、すっかり忘れていた。
 彼の思考の中で全てが繋がる。謎が解けたのは良いけれど、自分が知らぬところで行われていた行為に、複雑な心情を抱えることになってしまった。

「あ、あの、本当にごめんね」

 おずおずと、虎杖に合わせてベッドの上で正座をした彼女は、困惑した彼の顔を覗き込むようにして謝罪を口にする。
 彼女自身も、まさか肉体の持ち主である虎杖が気づいていないとは、これっぽちも思ってもいなかった。だから、と言い訳をするつもりはなかったけれど、そのまま放置するのはあまりにも言葉が足りない。彼女はたどたどしくも、そう思い込んでしまった理由を並べていく。

「虎杖くんの中に宿儺さまがいるっていうことは理解してるんだけど、どこからどこまでの感覚を共有してるとか、そういう細かいところまでは分かってなくて……」
「それって、もしかして全部俺に見られてると思ってたってこと?」
「うん」

 コクリ、小さく頷く彼女に、それはそれでどうなんだ、と思わざるを得なかった。しかし、虎杖がそれを言及する前に、彼女が一瞬早く口を開く。
 
「だから……申し訳ないとは、ずっと思ってたの」
「どういうこと?」
「どう見ても、虎杖くんの好みじゃないから」

 斜め上へ目を向けた彼女の視線を追う。壁に貼られたポスターには、溢れんばかりのバストをさらに強調した女性がポーズを取っている。それをジッと見つめた彼女は、ポツリと呟く。

「あれくらいスタイルが良かったら、虎杖くんも悪い気はしないかな、と思って」
「イヤイヤイヤ、そういう問題じゃないけど、それでいいの?!」
「ダメなの?」
「ダメでしょ!」

 至って真剣な面持ちでそう言ってのける彼女へ、食い気味で否定するけれど、彼女はいまいち意図を理解していない様子で小首を傾げた。

「宿儺さまがいいなら、私もいいよ」

 彼女の意思など存在しない言葉に、虎杖は息を呑んだ。腹の底で渦巻く何かが、グルリと体内を一周し、ため息となって吐き出される。
 恥じらいも倫理観もない彼女へ、言いたいことはたくさんある。けれど、一番はこれしかない。

「あのさ! 自分をもっと大切にしよ!」

 お願いだから!と両肩を掴み、懇願する。その虎杖の勢いに気圧された彼女は「う、うん」とぎこちなく頷いた。自分自身では大切にしているつもりではあるものの、何故だか必死な彼を前にすれば、飲み込まざるを得なかった。
 彼女が腑に落ちていないことなど分かりきっている彼も、彼女と同様に釈然としない表情を浮かべていた。
 居心地の悪い沈黙とは裏腹に、彼女の薄い肩を掴んだ手に力が入る。そんな彼の様子に狼狽えた彼女は肩を竦ませた。
 ズリ、と襟ぐりが伸びる。顔を覗かせた肌には、情事を思わせる赤い跡。宿儺が付けたであろうそれらから、虎杖は思わず目を逸らす。しかし、視線の先に待ち受けていた乱雑に放り投げられてた彼女の服や下着に、どこもかしこも逃げ場がない!と心中悲鳴を上げながら、思いっきり目を瞑った。

「目のやり場に困るんで、散らばってる服を片付けてもらえるとありがたいデス……」

 眉間に皺を寄せ、耐え忍ぶようにキュ、と口を結んだ虎杖に、彼女はああ、と呻いた後「見苦しいね、ごめん」と何度目かの謝罪を呟いた。
 相手は仮にも思春期真っ盛りの健康な男児である。見苦しい、見苦しくないの問題以前に、この状況を意識しない方がおかしいのだ。しかし、そういったものへの配慮など、彼女が持ち合わせている訳もなく、彼が必死に理性で押さえつけているソレを無遠慮に刺激するのだった。
 布が彼女の肌を擦る。視覚が塞がっている分、研ぎ澄まされた聴覚で拾い上げた音を頼りに、脳が勝手に想像を膨らませようとする。それを払い除けるように、彼は口火を切った。

「その、さ、大丈夫?」

 捻れた肩紐を直しながら、彼女は目を閉じたまま微動だにしない彼に「大丈夫って?」と問い返す。

「何つーか、これまで噛まれたり、骨とか折られたりしてたからさ……」

 宿儺がやったこととはいえ、自分の身体が彼女を傷つけた事実は変わらない。少なからず罪悪感を感じている虎杖は、触れた手のひらに広がる生温かい彼女の血液の感触を思い返しては、拳を握った。
 そんな心中など知らない彼女は「そうだね」と軽く笑うけれど、彼の不安は晴れない。

「……宿儺に、乱暴されてない?」

 衣擦れが止む。シン、と静まり返った空間が、鋭く研ぎ澄まされる。小さく息を呑んだ虎杖は、近づく彼女の気配に、恐る恐る瞼を押し上げた。
 すぐ傍に立っていた彼女を視界に入れる。きっちりと服を着ていることに安堵した彼は、こちらを見下ろす彼女と目を合わせた。

「知りたい……?」

 そう遠慮がちに問いかけた彼女は、彼の知っている少女ではなかった。瞳の奥に見え隠れする女≠ニいう性が、彼の腹の奥底を撫で上げる。

「や、やめときます」

 彼はゾクゾクと何かが背筋を駆け上がる感覚から目を逸らし、ただ首を振ることしかできなかった。



   ◇◇◇



 ゆっくりと意識が浮上する。いつもの夢から覚める瞬間とは違う感覚に、虎杖は顔を歪めた。頭の先から爪の先まで火照っている。
 暑い、暑すぎる。熱を振り払うように、カッと目を開けると、鼻先がぶつかる距離に、彼女の顔が月明かりに浮かび上がっている。

「エッ」

 置かれた状況にデジャブを感じながらも、下半身から迫り上がってくる快感に仰け反りながらも、無意識に腰を打ちつけた。
 己の下で焦点が定まらない彼女が小さく呻く。
 寝起きの思考回路は混線し役に立たない。何が起きているかも分からないまま、快楽に身を任せようとした時「い、いたどりくん」と辿々しく名前を呼んだ彼女に、背筋がスッと冷える。
 ──宿儺だ。宿儺のせいだ。
 きっと情事の最中に入れ替わったのだと、理解すると同時に無視できない昂りに駆られ、本能で泥濘の奥へ腰を沈めてしまう。

「あ、ああ……ッ、ごめん、今止めるからッ」

 なけなしの理性で己を律しようとするけれど、身体は抗えないところまで追い込まれている。
 何故こんな事を宿儺が企てたのかは分からないけれど、無性に腹が立って仕方がない。暴力的な高揚に、頭の中が焼けるような熱に侵されていく。
 
「だい、じょうぶ。だいじょうぶ、だから」

 追い詰められた彼を、うわ言のように繰り返しながら宥める彼女。律動によってくぐもる声に、彼の中でどうしても振り払えない欲が膨れ上がる。
 本能と理性の間で揉まれる彼は、その苦痛と快楽に眉を寄せ、泣きそうな表情で彼女を見下ろした。

「宿儺が、望んだから……?」

 何も大丈夫じゃないのに。宿儺が言えば誰とでもこんな事するのか。……そんなの、ダメに決まっている。
 目で訴えかけられた彼女は、肯定も否定もすることはなく、薄く笑った。それを肯定と捉えた虎杖は、歯を食いしばり息を吐くと、彼女の膝の裏をシーツに押し付けては、体重を乗せてさらに奥深くまで割って入る。

「自分を大切にしてって、言った、のに……ッ」

 突き上げる動きに、こめかみから伝った汗が
彼女の胸元に落ちた。
 決して彼女のせいにしてはいけないのに、口からは彼女を責めるような言葉が零れ落ち、水音に掻き消される。
 全部、この状況に抗えない自分自身のせいだ。そう情けなく顔を歪めた彼の腰に、スルリと細い脚が絡まる。
 あの日のように、少女の中に居た女≠ェ、自分と同じように欲に濡れた瞳で見上げていた。

「いたどりくんなら、いいよ」

 全てを受け入れるように誘う彼女に、何かが弾け飛んだ。その閃光のような衝動に腰が浮く。
 先ほどまで心の中を埋め尽くしていた罪悪感など、すでに存在していない。溶け合った熱が、目眩のするような刺激が、快楽となって全てを埋めていく。
 ──もう元には戻れない。
 ただそれだけが、頭の片隅で自身の行く末を案じていた。
 
 

   ◇◇◇



「ゆ、夢……っ」

 飛び起きた虎杖は、ドドドと激しく脈打つ心臓を押さえ、肩で息を吐く。
 とんでもない夢を見てしまった……と頭を抱えた彼は、下半身に違和感を感じ下着をめくりあげる。予想通りに吐き出されていた自身の欲の塊に、海より深いため息をついた。
 先日の意味深な彼女とのやり取りに影響されてしまったのだろうか。これではしばらく彼女の顔をまともに見れやしない。
 あまりの情けなさに項垂れた彼の顔の上で、パカリと口を開いた宿儺は、一瞬躊躇うような間を開けてから、いつもの毒舌とは裏腹に少し距離を置いた声音を零す。

「小僧……そういう趣味か……」
「原因作ったのだぁれ?!」

 勝手に他人の夢見ておいて引かないで!と彼の悲痛な叫びは、静かな早朝の寮内に響き渡った。










永遠に白線