特級仮想怨霊・両面宿儺 前半

 ──もう帰ってくることはないと思っていた。
 私は再び故郷の地に立ちながら、以前より清浄に感じる風の通り道で思いを馳せた。廃村になってしまったこの土地は、すっかり静寂が板に付いていた。
 もともと整備が甘かった道端は雑草が蝕んでいる。このまま放って置けば自然に飲み込まれて行くのだろう。その方が良い。出来れば早く自然に還るべきだ。変に心霊スポットなどとして人が集まるようになってしまえば、呪いが溜まりやすくなってしまう。暫くはこの土地も、この土地にいた人間たちの思いも、全て休ませてあげて欲しい。

「おい、なに辛気臭いツラしてんだ。置いてくぞ」

 苦い思いが顔に出ていたのだろう。喝を入れるように背を叩いた真希さんが颯爽と私を追い越して行く。

「しっかり頼むぞ、案内役ぅ!」
「しゃけ!」
「は、はい」

 パンダ先輩と狗巻先輩が明るく声を上げた。気を使わせてしまったかと眉を下げるも、気を取り直して顔を引き締めた。

「それにしても、宿儺の気配がするって本当なのか?」
「どうだかな。まあ、それを確かめるためにわざわざやって来たわけだしな」

 その会話を聞きながら、ここに来る前に告げられた五条さんの言葉を思い出した。
 彼は確かに両面宿儺の気配≠ノついて語った。指は回収しているし、土地に根付いてしまっていた呪力自体はどんどん抜けている。それと共に呪力を隠すための結界は役目を終え、既に消滅しているらしい。だからこそ、おかしいのだ。この土地に根付いていた呪力が弱くなればなるほど、両面宿儺の気配が大きくなる。まるで、宿儺の一部がまだここにあるかのようだ、と五条さんは言った。
 何か知っていることはないか、と問われたけれど、特に思い当たる節もなかった。そもそも、私に隠されていた事だったのなら知る由もない。
 五条さんは最近より忙しくなったと嘆いていたせいか、調査は生徒たちに任せると言い、普段一緒にいる野薔薇たちは一年生三人で任務らしく、私は今回二年の先輩たちと共に行動するよう言いつけられた。先輩たちと一緒なら安心だが、私の役は土地勘があるための案内役兼宿儺さま絡みで何かあった時のための保険だった。役に立てるのは素直に嬉しいけれど、本当に保険になれるのか定かではないので気が重い。五条さんも先輩たちも、私が宿儺さまの手綱を握っていると勘違いしている。私は手綱を握られている側なので、もう前提から既にすれ違っている気がする。
 正直なところ、今回の件は宿儺さまの意思に反することだったらどうしよう、と肝を冷やしている真っ最中である。

「すじこ?」
「え、ああ、大丈夫です。先輩方のお陰で何とか、ですけど……」

 眉間に皺が寄っていたらしい。狗巻先輩が己の額を指差し、首を傾げた。私は今できる精一杯の笑顔でそう答えるも、表情筋が引き攣っている自信がある。それを見た真希さんが呆れたように肩を竦めた。

「心配すんな。悟は確実に宿儺だって言い切ったんだ。お前なら宿儺に害されることはないだろ」
「いや、それはどうなんでしょう……絶対は無いですし、宿儺さまが害するなら私は受け入れるだけなのでなんとも……」

 私だけだとしても保証はないのに、先輩たちが害されない保険にはなり得ないのだ。そう主張すると、三人は渋い表情の顔を突き合わせては「大分重症だな……」「明太子ぉ……」「今に始まった話じゃねぇけどな……」と口々に言葉を失って行く。

「そんなに引かなくても……」

 私は肩身が狭い思いでそう零すしかない。既に十分すぎるほど私の宿儺さまに向ける想いが普通ではないことは分かっているが、彼らの反応は少々大袈裟過ぎやしないだろうか。そう思う私に「無茶言うな」と真希さんから突っ込みが入る。……やっぱり解せない。

「ま、まぁ、害するというより、悪意を持ってお前を脅かすことはしないだろうな」
「ああ。それは百パーねぇ」
「百パー!?」

 思わず上げた高い声が、静寂の地に響き、吸い込まれていった。
 先輩たちの確固たる自信はどこから湧いてくるのか不思議でたまらなかった。けれど、私もそうでなければ良いなとは思うので、宿儺さまに悪意だけは向けられないように頑張るしかない。その為には、調査が何事もなく終わるのが一番だ。
「今回の件、何もないと良いですね」と何気なく口にすると、狗巻先輩は両腕でバツを作り「おかか!」と訴えた。私は何故否定されたか分からず首を傾げる。

「棘の言う通り何もない≠ニ逆に危ないぞ。ここに強い宿儺の気配がするのは確定してるんだ。それに呪霊寄ってくるのを防ぐために、呪力の発生源を突き止めて排除、もしくは封印しなくちゃいけない」
「あ……なるほど」

 すっかり抜けていた問題点を提示してくれるパンダ先輩。どうやら、宿儺さまのことに気を取られて一番重要なことを忘れていたらしい。
 何事も早い方が良い。私たちは集落の奥へと歩を進める。

「ざっと見た感じ確かに気配はあるけど、場所は特定できねぇな」
「可能性があるとしたら、集落の一番奥にある神社の裏山ですかね……? 指が祀られていた祠があるので、もしかしたら何か手がかりがあるかもしれません」

 思い当たるのはそこしかない。私は先輩たちを誘導し山道に連なる石階段を登って行く。手入れされていない分、以前より上りにくい。足を取られないように気をつけながら洞窟までたどり着くと、皆で手分けして祠の周辺を隅々まで探す。しかし、手がかりは何も見つからなかった。

「呪霊は湧いてないみたいだが、気配の源が分かんねぇな」
「もう一度集落の中を見て回るしかない、か」

 先輩たちが口々に意見を述べている。
 ──他の可能性を考えると神社の中、とかだろうか。
 元へ来た道を下りながらどうするか考えながら、ふと視線を木々の中へ向けると、何か・・が過った。早すぎてそれが一体何なのかは分からない。けれど、確実に私たちが探し求めていたものだ。
 私は咄嗟に駆け出した。草木をかき分け、山の斜面を蹴り上げる。先輩たちならすぐに追いつくだろう。今は一声かける時間でさえも惜しかった。
 強い呪力を放つ何かの影は完全に見失ってしまったけれど、まだそう遠くには行っていないはず。山の裏側に出てしまえば街に続く一本道に出てしまう。街での確保はより難しくなるだろう。それならば何としてでもこの場で捉えておきたい。
 それにしても正体は何だ。この土地にまだ宿儺さまの呪物があり、それを誰かが持ち出し、逃走しているのだろうか。そう、以前の私のように。
 その可能性は十分にあると考えを巡らせた刹那。ズル、と足元を取られ視界が揺れる。木の根に引っかかったのだろうか、そう思った瞬間にはすぐ傍の老木に背を叩きつけられていた。
 肺が体内から飛び出そうな勢いの衝撃によって呼吸が止まる。確実に足を滑らせたわけではない。人為的に足を掴まれ、放り投げられたのだ。咳き込みながらそう理解した時には、目の前に探していた気配があった。

「貴様、何者だ」

 地を這うような冷徹な声音。しかし、それは鼓膜に刻み込まれ、決して間違うことのない彼の声だった。

「あ、え……宿儺さま……?」

 顔を上げ、目を見張った。宿儺さまだ。間違いなく宿儺さまの姿。それなのに、膝をついた私の目線と同じ高さにある顔。まるで私の知る宿儺さまを、そのまま幼くしたようだった。
 子供の姿をした彼は、ジリジリと刺さるような視線を向け、私を見下している。混乱しきった私は、息を止めるように身動き一つできずにいた。やがて「……ほう」という彼のため息のような一声を合図に、ようやく目を瞬がせた。

「お前、両面宿儺の何だ?」
「宿儺さまの、何……?」

 幼い姿だとしても、それを宿儺さま≠ノ問われるのは、あまりにも不自然で違和感があった。
 もしかすると、幼子の姿をした彼は私の知っている宿儺さまではないのかもしれない。そう仮説を立てたところで、私は問いの答えを探すけれど、簡単に説明のつくものではなかった。
 尚も必死に思考を巡らせる私を眼差しで射てくる彼。私は迷いながらも不明瞭な胸の内を言葉にする。

「本当に、何なんでしょう……。もしかしたら名前なんてないのかもしれません」

 想いを打ち明けて、それを受け止めてもらえた。その事実に満足してしまって、今まで明確な言葉にしてこなかった。
 どうやらその言い訳も目の前の彼には通用しないようだ。納得いかない、と言いたげな無言の圧に、私は視線を彷徨わせた。
 今、私の主観で適当なことを言えば、宿儺さまを不快にしてしまうかもしれない。迂闊に発言できないながらも、なんとか捻り出した答えを口にする。

「強いて言えば……宿儺さまの傍に在りたいと願っている者、でしょうか」
「なんだ、願うだけか。相手方は随分と入れ込んでいると見えるがな」

 彼は少し小馬鹿にしたような言い草で目を細めた。反対に私は彼の言葉に目を丸くする。そんなことが分かるのだろうかという疑問と、本当にそうなのだろうかという疑念が渦巻く。私は戸惑いがちに視線を落とした。

「……どう、なのでしょう。今は傍に置いてもらえていますけど、先のことは誰にも分かりませんからね。……それでも、私は宿儺さまを信じています。信じる以外の選択肢は全て自分の意志で捨てました。私の帰るべき場所は宿儺さまの元ですから」

 宿儺さまと共に生き、共に死ねたらと願ったあの時のことを思い出す。そう時は流れていないはずなのに、懐かしい思いに満たされる。そんな私をよそに、彼は口角を吊り上げて「良い、気に入った」と言い放った。

「その両面宿儺のもとへ連れて行け」
「え……」

 予想外の提案に言葉を失う。彼は満足気に私の顔を覗き込んだ。

「お前の帰る場所は両面宿儺のもとなのだろう?」
「……ええ、はい」
「ならば迷う必要などないではないか。そうだろう?」

 すぐには頷けなかった。彼は宿儺さまであって、宿儺さまじゃないかもしれない。しかし、それを確かめるには高専へ連れて行くしかないのだから、実質彼の言う「両面宿儺のもとへ連れて行け」という条件は満たせる。

「分かりました。行きましょう、スクナさま・・・・・

 そう確かに頷いた私は立ち上がり、木の葉がついた服の裾を払った。山の斜面を滑らないよう足元を確かめながら歩き出すと、クイと袖を引かれる。

「小娘、背は痛むか」
「いいえ、こう見えて痛みに強い身体なので大丈夫ですよ」

 強いと言うか鈍いだけなのだけど、と思いながら応えれば、彼は「そうか」と呟いた。そのまま、そっと握られた手のひらに驚くも、明らかに手加減された力に、ふふと小さな笑みを零した。





   ◇◇◇





『ちっちゃい宿儺が居たぁ!? 何それチョー見たいんだけど』

 キン、と鼓膜に響く大声。電話越しに叫ばないでほしいと不満を漏らすと、相手は悪びれない様子で『ごめんごめん』と口先だけで謝った。

『そうだ、写メ送って写メ。あ、写んないか』
「写メって……いつの時代ですか」

 至極どうでも良いことばかり口にする五条さんに、呆れたため息を零す。

「そんなこと言ってる場合じゃないんです。とにかく私たちじゃどうすることもできないので、とりあえず高専に連れて帰りますね」

 本人もそれを希望しているし、と胸中で呟きながら、駅のホームで時刻表を確認している真希さんたちを横目で追っていると、五条さんは電話の向こうで『まぁそれしかないね〜』と間延びした声を漏らした。この場にいる誰も祓うことはできないし、封印することもできないのだから、そうするしか方法はないと踏んでいた私は、そう驚くこともなく「分かりました」と返した。

『ていうか、そのちっちゃい宿儺? そんな簡単に言うこと聞くの?』
「はい、大人しいですよ。はぐれないように手も繋いでますし」

 五条さんの問いに答えながら、私の左手をひしと握っているスクナさまに目を移す。彼は無言で私を見上げており、完璧に視線が交わってしまった。あまりに無表情で凝視してくるものだから、居た堪れなくなり曖昧な笑みを返す。しかし、彼は大きな瞳でジッと見つめることをやめようとはしない。私はそっと時刻表の前にいる先輩たちに視線を向け、突き刺さるような眼差しから抜け出した。

『ハ〜〜〜流石扱い慣れてるねぇ』
「……五条さん、それってからかってますか……? 反応に困るんですが……」
『ごめんごめん、褒めてるんだよ。君を向かわせた甲斐があるなってね』
「そうですか……まあ、お荷物扱いされるより良いんですけどね」

 腫れ物に触るかのように遠巻きにされるのはもう懲り懲りだ。例えそれが私を守るためであっても、私は守られることを望んでいない。
 五条さんの優しさを踏み躙ったことは、今でも少しだけ後ろめたく思うこともあるけれど、自分で自分の行く道を選んだことは後悔していなかった。
 五条さんは今までのふざけた口調にほんの少しだけ真剣さを混ぜて、念を押すように口火を切った。

『これは君が選んだ地獄だ。もう君は保護対象じゃない。宿儺と運命を共にする限り監視対象には変わりないけどね。これからは存分に役に立ってもらうから安心しなよ』

 これから先、私の感情に配慮することはないときっぱりと言い切られる。その言葉に清々しさを覚え、好意的に受け取った私は小さく笑みを漏らした。

「役に立ってもらうからじゃなくて、利用するから・・・・・・ の間違いじゃないですか?」
『お、言うようになったねぇ! 大正解! でも、君にとってもそっちの方が後腐れなくて良いでしょ?』
「はい。それについては、五条さんには感謝してもしきれないです。……本当に、ありがとうございます」

 彼らの利になるように動く代わりに、私はこのまま高専で宿儺さまの傍に置いてもらえる。ただ利害が一致しただけの、それ以上でもそれ以下でもない関係。それが一番居心地が良かった。
 それを見越して、その利害の一致を外部、それも上層部の目から見ても成り立つように取り計らってくれたのは彼だ。今こうして比較的自由に行動できるのも全て彼のお陰であるため、恩を返せるならいくらでも搾取されてもいいと思っている。
 それを感じ取ったのか、湿っぽくなった空気を断ち切るように彼は口を開いた。
 
『ま、高専に着いたらまた連絡してよ。僕も急いで仕事片付けて向かうからさ』
「分かりました。ではまた」

 通話を切れば、タイミングよく列車がホームに滑り込んで来た。走り寄ってくる先輩たちと一緒に二両編成の車内に乗り込んで、ボックス席に向かい合って座る。スクナさまは迷うことなく私の膝の上を陣取り、それを見た先輩たちの「懐かれたな……」という無言の視線送る。それを感じながら、四人がけのボックス席では一人余るため、こうなるのはしょうがないと胸中で言い訳をしながら列車の揺れに身を任せていた。
 主要駅まで着けば補助監督が迎えに来てくれている。席が足りないのは今だけだ。そう考えていたけれど、結局補助監督の運転するミニバンの中でも膝の上は占領されたままだった。
 何故ここまで気に入られたのかは分からなかったが、知らない場所に出向くというのはやはり不安なのだろうと思うことにした。
 そうして数時間高速を走り、ようやく高専へ帰り着いた頃、五条さんへ到着したことを報告するためにメッセージを送る。あれ以降無言を貫き通しているスクナ様が膝から降りる気配がないので、仕方なく抱き上げて車から降りた。駐車場から移動していると、ちょうど前から野薔薇たちが歩いてくる。三人の視線は当然腕の中の彼に向けられている。

「お! お疲、れ……? えっと、ソレ何……?」
「どう見ても宿儺よね。集団幻覚か?」
「んなわけねぇだろ。現実だ」

 淡々とやり取りされた会話に、事の経緯を説明するため口を開きかけた時、ポケットの中のスマホが鳴る。両手が塞がっているので、真希さんに確認して貰えば、画面には『そういえば言い忘れてたけど、ちっちゃい宿儺の正体が分かるまで君の宿儺に会わせちゃダメだからね』と五条さんから返信が映し出されていた。

「あんのバカ、連絡がおせぇんだよ」
「いや〜もう手遅れだな」
「私は一体どうすれば……」
「高菜!」
「こいつが頑張ってどうにかなりゃ良いけどな」

 一番重要なことじゃないかと五条さんへ文句の一つくらい言いたいところだが、それどころではない。卒倒寸前の私はパンダ先輩に支えられながら、寿命の縮む思いで腕の中のスクナさまと、虎杖君の頬の上で開眼している宿儺さまへ交互に視線を向けた。

「ほう、これはまた随分と愉快ものを拾ってきたなぁ」

 好奇心に満ち溢れた軽快な口調が異様だった。
 皆も宿儺さまの異変に気づいたのだろう。その場にいた全員からの「この状況をどうにかしろ」という無責任な期待が込められた視線に責め立てられながら、私は口の中で言い訳にもならない無意味な言葉を呻く。
 それを聞いた彼は口調を崩さず「良い良い」と言い放った。

「不快以外の何ものでもないが、弁解は聞いてやろう。……ソレを殺した後でゆっくりとな」

 問答無用で咎められるわけではないことに安堵するのも束の間。殺気の籠った冷えた視線を向けられ背筋が凍りつく。例え、それが私ではなく、スクナさまに向けられていると分かっていても無視できるものではなかった。
 腕の中の彼は依然として私の胸元にしがみつき、無言を貫いている。もはや、彼と言葉を交わしたのは幻であったのではないかと錯覚した矢先、緊張を裂くような高らかな笑い声を上げた。

「呪いの王とやらは肉の器を得たというのに、[[rb:以前 > 指]]と変わらず会話はままならないらしい。よほど余裕がないのだなぁ」

 幼い顔立ちに似合わぬ口ぶりだった。したり顔で煽る様子に私たちは皆、戦慄し息を呑んで宿儺さまの反応を窺った。

「呪霊風情が随分と知った口を利いてくれる。二度はないと思え」
「呪霊……?」

 冷たい声音であったものの彼の言葉が引っ掛かった。私は思わず反芻するように問い、抱き上げている幼子をしげしげと見つめた。

「呪術師は仮想怨霊と呼ぶのだろう。俺にとっては全て同じようなものだが」
「それじゃあ……」
「俺への畏怖の感情でできあがったのがそのだ。憐れだなぁ? 今すぐに殺してやろう」

 畏怖の感情。噛み締めるように胸中でそう呟く。
 思い当たるのは、あの集落の人間が全滅したことだった。御神体を無くした彼らは確実に神である両面宿儺を恐れたはずだ。その念によって仮想怨霊の両面宿儺が生み出されてしまったのだとしたら、発端は全て指を持ち出した私にある。
 全身から力が抜ける思いだった。自分の行いを忘れていたわけではない。それでも、ようやく心穏やかに過ごせる場所に身を置けるようになったせいで、気が緩んでいたことは否定できない。己の行動がどれだけ影響を与えていたか再び思い知った。
 重たい気持ちに押しつぶされそうになりながら目を伏せれば、するり短い腕が首に回る。満足気な表情の彼は、生み出した原因を作った私の頬に己の頬を寄せた。
 
「殺せるのなら殺せばいい。その時は小娘も道連れだぞ」
「侮られたものだな。ソレは人質になんぞになり得ない」
「ほう、小娘は健気に想いを募らせているというのに、その程度とは。可哀想になぁ、宥めてやろう」

 より一層身体を密着させ、宿儺さまへ視線を向ける彼に内心ヒヤヒヤしながら会話に口を挟まないよう、なるべく気配を消して口を噤んだ。

「知った口を利くな。言ったはずだぞ、二度はない、と。能無しなのはどうやら見目が童だからというわけではなさそうだなぁ……覚えておけ。貴様が見くびったのはソレの覚悟だ」
「ほう? ならばお前自身はどうなのだ、呪いの王よ」
「──何が言いたい」

 話が噛み合わないと宿儺さまは訝しげに目を細めた。その様子に何か思うところがあったのか、仮想怨霊の彼は何度か頷く。

「なるほど、段々と見えてきたなぁ。小娘の悩みも頷ける」
「え……?」

 いきなり話を振られ、わけが分からず声を漏らす。何のことを指しているのか思い浮かばない私に彼は「相手があれでは確かに即答できまい」と耳元で呟いた。
 ハッと顔を上げる。彼が指したのは私が「両面宿儺なの何か」を問われてすぐに答えを出せなかったことだった。

「折角だ。ここではっきりさせたらどうだ」

 楽し気に口角を吊り上げた彼に、私は焦って首を横に振った。

「あの、大丈夫なので、だからその」
「大丈夫? それではあの時適当なことを言って誤魔化したと?」
「いえ、そうじゃなくて……本当のことではあるんですが、今話題にするべきではないというか……」
「なんだ、恥じらっているのか? ならば代わりに言ってやろう」
「だ、だめ……! それは絶対駄目です……っ!」

 これ以上話されたら困る。その一心で彼の口を塞いだ。
 まさか「私って宿儺さまの何ですか?」なんて今更聞けるわけがなかった。子供っぽく言葉が欲しいと駄々をこねるなんて情けなさすぎる。
 呆れられて、嫌われてしまえば捨てられる。そんな俗っぽい恋愛感情に当てはめている時点で、私はもう宿儺さまの隣に居るべきではないのではないかと自信もなければ、宿儺さまに合わせる顔もない。
 周囲からの「何が何だか分からないからとにかく説明しろ」という視線が容赦なく刺さる。宿儺さまにも言えやしないのに、皆に言えるわけがなかった。
 顔に集まっていく熱を感じながら、私は宿儺さまから何かを言われる前にその場から逃げ出した。









永遠に白線