それとこれとは別の話


 ──きっと仕方のないことなのだ。
 そう己に言い聞かせなければやってられなかった。三日寝ていない頭では、何を考えたって愚策しか出てこないのだから。
 私は机の上に積み上げられた書類の山を呆然と見つめながら、先程やって来た生徒たちとの会話を思い返す。
 任務の報告書を持ってきた虎杖くん達一年生。彼らはいつも賑やかだけれど今日は一際テンションが高かった。365日年中無休で社会の畜生として飼い慣らされている補助監督の身からすると、若いパワーというのは近くで浴びるだけでもご利益があるのだ。いつもなら癒される〜と拝んでいるところなのだが、今日はそんな余裕もないほど疲弊していた。まるで遮光板なしで直射日光を目視しているような気分で、私はつい「元気だねぇ。何か楽しいことでもあったの?」と聞いてしまったのだ。

「今日、五条先生の誕生日だからさ! 先輩たちと一緒にサプライズパーティーするんだよね!」
「え……?」

 嘘だ。もう十二月に入ってから一週間も経ったの……? 年末までに終わらせなきゃいけない仕事が日々降ってくるっていうのに、神様は何で一日を二十四時間にしてしまったの。これじゃああっという間に年が明けてしまう──って、そうじゃない。それより重大な問題が発生してしまった。まさか悟の、彼氏の誕生日のことを綺麗さっぱり忘れてしまっていたなんて。
 やってしまった。ザッと血の気が引いた私は、くらり目眩にやられる。そして積み上げていた書類の山を、見事に薙ぎ倒した。
 そうして、今に至る。散らばった書類達は、虎杖くん達が拾うのを手伝ってくれたおかげでことなきを得た。本当にいい子達だ。こんな教え子に祝ってもらえるなら、私に祝われなくたって悟も満足だろう。
 無理やり都合の良い解釈をしてみたものの、やっぱり無理だ。私が逆の立場で、彼氏から祝われなかったら相当ヘコむ。
 私は頭を抱えた。プレゼントだって用意してないし、なんなら朝一度顔を合わせた時に「おめでとう」すら言っていない。通常なら事前に欲しいものだってリサーチするし、当日はデートらしいデートをした後、少しいいところでディナーをするくらいは考えるのに。
 年末! 納期! とひたすら書類と睨めっこするばかりで、プライベートのことなど全く頭になかった。
 ごちゃごちゃ考えても言い訳でしかない。私は泣く泣く顔を上げて、斜め向かいでパソコンの前から離れられずにいる五徹目の伊地知くんへ声をかけた。

「ねぇ。今日の私、どう?」
「そうですね、とてもお綺麗ですよ」
「伊地知くん、一切こっち見てないよね?」

 伊地知くんはキーボードの上で走らせていた指を止め、のろのろと顔を上げた。
 こんなクソ忙しい時にダル絡みですか? 後輩いびりもいい加減にしてください、みたいな顔で見ないで欲しい。そんな悟みたいな真似、私がするわけないじゃないか。
 抗議の意味も込めて、今日が悟の誕生日だということを伝える。やはり彼も忘れていたようで、「あぁ、もう七日なんですね」と絶望感に満ちた声で嘆いた。

「プレゼントを用意してないどころか見て、この顔を」
「いつ見てもお綺麗ですね」
「お世辞抜きで正直に」
「えぇ〜? そうですね……もし、あえて言うのであれば……五条さんと同い年には見えな」
「酷い! 悟が特別童顔なだけなのに! 私なんてどうせクマだらけでやつれた年増女ですよ!」
「正直にって言ったじゃないですか……」

 萎縮した視線を向けられるけれど、伊地知くんも相当だ。人のことは言えないぐらいには老けて見える。

「その時々理不尽な感じが、年々五条さんに似てきてますよね……」
「一緒にされたくない……」

 天上天下唯我独尊の五条悟と似てるなんて世も末すぎる。
 お互い椅子の背もたれに体重を預け、ほぼ白目を剥いた状態で天井を仰ぎ見る。

「私って常識人枠だった気がするんだけど」
「もちろん常識人だと思いますよ。……ただ、一緒にいる時間が長いほど相手に似てくるとよく言いますから。それだけお二人が変わらず一緒に居続けられている証拠なのだと思いますよ」

 伊地知くんは伸びをして、再び私へ視線を向ける。

「これまで築いてきた信頼関係があれば、たとえ誕生日を忘れていたとしても一緒に居てくれるだけでうれしいんじゃないですかね?」
「伊地知くん……」

 後輩が本気でフォローを入れてくれている。情けないが、本当に助かった。
 私は意を決して立ち上がった。

「そうだよね……ありがとう、なんだか勇気が湧いてきたよ」

 事務室を飛び出して、私はサプライズパーティーが開かれているはずの一年生の教室を目指して走る走る。平衡感覚が曖昧なせいか、足がもつれそうになりながらも、必死に彼の元へ急いだ。

「悟!」

 飛び込んだ教室内の盛り上がりは最高潮だった。それに割って入ったのだから、視線が集まるのも無理はない。久しぶりに顔を合わせた二年生たちは私の顔色に驚きの声を上げた後、すぐに「早く帰って寝ろよ……?」と優しく背中をさすってくれる。
 もしかして、ついにストレスで気が触れたとでも思ったのだろうか。たしかに九割方正解なのだが、今はそんな精神状態でも向き合わねばならない人がいる。

「……お誕生日おめでとう」

 そう言って私は悟を見上げた。できればまじまじと見ないで欲しいと念を込めながら。

「それで?」
「それで……とは?」

「愛しい愛しい僕の彼女は、いったい何をくれるのかな? 今朝会った時、おめでとうの一言もなかったってことは、何かサプライズで用意してくれてるんでしょ?」

 そんなものはない。そう、ないものはないんだ。そんな笑顔を浮かべて、期待値を上げないでくれ。全部忘れた私が悪いから……!

「ごめんなさい! 悟の誕生日のこと、さっき思い出したのでプレゼントはありません!」

 生徒たちの前で醜態を晒すことなど気にも留めず、私は勢いよく土下座したまま叫んだ。誰にだって誠意を見せなければならない時がある。そんな時に体裁なんて取り繕ってられない。それこそ補助監督として学んできたことだった。
 これが大人による本気の土下座……と、引き気味に称賛される声は、悟の一言によって掻き消された。

「うん。知ってたよ」

 語尾にハートがつきそうなくらい茶目っ気あふれる言い方だった。
 私は呆気に取られて顔を上げた。

「だって君たちの仕事増やしてるの、ほぼ僕だし〜」
「た、確かに……!」

 見方によっては横暴とも取れる、フリーダムな彼の後始末が当たり前になりすぎていて完全に忘れていた。
 悟は衝撃の事実に固まっている私の肩をポンと叩いた。

「ここのところ、君が呪霊の如く這いずって家と高専を行き来してるのは知ってたから。まぁ、僕の誕生日のことなんて忘れてるだろうなとは思ってたよ」
「彼女に向かって呪霊は流石に酷すぎない……? でも、本当にごめん、今回は私が悪いので別れるのだけは……」
「いいよ、そんなに謝らなくても全然怒ってないよ? むしろそんなに思い詰めてたなんてねぇ。そのくらいで別れるなんて言い出さないよ。今さら君を手放す気なんてないし」

 一緒に居てくれるだけで十分だよ、と柔らかな笑顔を向ける悟。私はこれまで築いてきた信頼関係を噛み締めながら「ありがとう……」という他なかった。
 伊地知くんに勇気づけられたままに、素直に打ち明けてよかったと胸を撫で下ろす。そう安堵したのも束の間、「でもさぁ〜?」と間延びした悟の言葉に、雲行きが怪しくなっていく。

「何も無くていいわけじゃないからね。無いなら今あるものを貰うだけだから」

 急に取り立て中のヤクザみたいなこと言い出した。そう思ったけれど何も言えずに、ただポカンと彼を見つめた。

「埋め合わせ、もちろんしてくれるよね?」
「それは、もちろんです……」
「それじゃ今夜は寝かせないから」

 今年見た中で一番いい笑顔だったのではないか。眩しいご尊顔に混じった邪なものに背筋が冷たくなる。ブルっと肩を震わせた私は簡単に俵のようにかつがれてしまった。

「待って、私今仕事を手放せないから……!」
「え〜? 一日休んだところでたいして変わんないから大丈夫、大丈夫」

 決して大丈夫ではない。無責任にも程があるだろう。私の代わりに仕事をする後輩達の身にもなってみて欲しい。明日恨めしい目で見られるのは確実だ。
 それだけは嫌だと抵抗しても無駄だった。何せ相手は最強と呼ばれるあの五条悟なのだから。
 ごめん、伊地知くん。そう心の中で合掌する。鼻歌を歌いながら軽快な歩調で廊下を歩く悟の肩の上で、私はガクリと項垂れた。結局、その後どうなったかなんて、そんな野暮なことは語るまでもないだろう。




2021.12.07 Happy Birthday!








永遠に白線