それさえもおそらくは平穏な日々 #02




ジリジリとした夏の日差しが照り付けていた。
世間様が行楽に浮かれる若葉の季節も、陽気も妖気も鬱陶しい梅雨も終わり、今は嬉し楽しの夏休みである。
因みに、六月に迎えた折原の誕生日だが、二年の任務と一年の実習が重なったため、五条肝入の誕プレは後日渡しとなった。
はたして折原が快く受け取ったのかどうかは定かではないが、五条がいつもの五割増しでデレていたので、取り敢えずは受け取って貰えたようである。
しかし、夏休みの課題と自主練、そして容赦なく突っ込まれる任務とで、凡そ夏休みらしいイベントにはまだありつけていなかった。

「――しかし、律ちゃん、本当に近接上手いね。七海と灰原が面白いように投げ飛ばされてる」
「アイツの術式って実戦向きじゃないから、結局肉弾戦になりがちなんだよね。まぁ、それで体術習得する方向に走ったんだけど」

一年生組がグラウンドで近接戦の訓練をしているのを見かけた五条、夏油、家入の三名は、一方的に投げ飛ばされている灰原と七海に野次を飛ばすべく、ガラの悪い見学者となっていた。

「灰原ー! そういうのは目で追わなーい!」
「――っ! 無理っす! こんな、変則技繰り出すコイツが変なんです! って、うわーっ!」
「おーし! 七海行けー! 律から一本取れたら何でもいうこと聞いてやるぞー!」
「っく、そっちの…方が、面倒くさそうなのでっ、遠慮しておき―――っ!」
「―――やれやれ…、七海は受け身ちゃんと取れてるけど、問題は灰原だな」
「そうだね。高確率で受け身失敗しているからねぇ」

その高確率で受け身を失敗している灰原が「水分補給ー!」と叫んで自販機のある棟へと逃げるように走って行った。
どうやら休憩に入るらしい。
折原は灰原の後ろ姿を見送ったあと、軽く嘆息して二年生組の元へとやって来た。
七海は七海で自分の荷物からペットボトルを取り出すと、暫し逡巡して、結局折原の後を追って来た。たぶん、五条に絡まれる面倒くささと夏油から貰えるアドバイスを天秤にかけたのだろう。

「先輩方、稽古しないんですか?」
「そのつもりだったんだけどねぇ」
「……暑くてやる気失せたんですね」
「「「………」」」
「折原ー! ほら、お前もちゃんと水分取れよ」
「あ、サンキュー灰原」

自販機から戻って来た灰原は、親切にも折原の分だけでなく五条たちの分まで飲み物を買ってきたらしい。
各々が礼を返しつつ飲み物を受け取って、批評混じりの雑談が始まった。

「――でもさぁ折原、俺が近接ダメダメなのは認めるけど、お願いだからもうちょいハードル下げてよ」
「何いってんの、ハードル下げたら実戦見据えた稽古にならないじゃん」
「灰原、残念ながら折原の言う通りだ。苦手のままにしておくとソコ突かれたときお前が大変なことになる」
「七海まで酷い…、いや、うん、分かってる、分かってるけど…」
「――そういえば、夏油さんは式神を扱うみたいに呪霊を使役していますが、近接も得意ですね」
「そうだね。一般的に式神使いは近接戦が苦手だって思われているから、それを逆手に取った戦い方ができるのは利点かな」
「なるほどねー。――ところで、硝子先輩は護身術とかやらないんですか? 簡単な技なら教えられますよ」
「いやー、ちょっと…、技一個覚えるのに2、3回死にそうだから遠慮しておくー」
「えー、さすがにぶん投げる相手は選びますって」
「はい、はーい! 律、俺と対戦しよう、ね」

パッと見爽やかな好青年風の笑みを浮かべた五条は、飲み終わった缶を掌の上で“ペキ”っと圧縮すると、ゴミ入れに弾き飛ばした。

「………裏は」
「ないよ」
「………」
「ないって」
「………分かった」
「よし! じゃあ、始めよう、か!」

言うなり、五条は膝を抜き体制を落とすと足払いをかけた。
が、折原も黙って倒されるわけがない。
後方へ体を捻り、側転して距離をとる。

「いきなり? っていうか、デカイ図体してコンパクトな技も得意とかマジやめて」
「いやー、サッサと寝技に持ち込んだ方が楽しいかなーって」
「ちょっと! 裏はないんじゃなかったの?」
「えー? 裏の裏って、結局表じゃん」
「そういうところがイヤなのっ!」

今度は折原が攻撃を仕掛けた。
軽くステップを踏むと一気に距離を詰め、回し蹴りを放ち――

「――え、今の折原の攻撃、なにあれ…」

灰原が驚くのも無理はない。
折原は今、回し蹴りの後、その軸足で飛び上がり、続けざまに回し飛び蹴りを繰り出したのである。
しかも二回目の回し蹴りは、飛び上がった軸足で頭部を狙うと見せかけて、そのまま体を一回転半捻り、逆の足で踵蹴りをするという、何ともトリッキーな技であった。
そしてその後ろ回し蹴りは、五条の顔は捉えなかったものの、掛けていたサングラスを弾く結果となったのである。

「へー、そのコンビネーションは初めて見るなぁ。今のなに?」
「普通の回し蹴りに、テコンドーの跳び後ろ回し蹴りアレンジして繋げてみた。不意打ち狙いには効くかなーと思って」
「ふーん、それを初動なしでやるとか、相変わらず器用だねぇオマエ。でも、その足癖の悪さは問題じゃね? ってことで新ルール!」
「えー?」
「俺が律捕まえたら、触り放題!」
「………」
「勿論、律が勝ったら俺を触り放題!」
「あたしのメリットどこにもないじゃん! やだよ!」
「はい、スタート!」
「人の話き――!――え、」

折原が驚いたのには訳がある。
五条がスタートと言った時には既に、折原は五条の目の前に引き寄せられていたからだ。
悲しいかな、術式を使われたことに折原が気付いたのは、五条にホールドされた後であった。

「はい、いらっしゃーい」
「ズルい!」
「なんとでもー」
「ちょっ、 触んなバカ! っていうかマジやめて!」
「聞っこえませーん」
「やめ! ちょっ! や、や、やめ、みぎゃあああああああ―――!」

折原の悲痛な叫び声がグラウンドに響き渡った。
触り放題と言っていた五条だったが、一応公衆の面前であることを考えたのか、擽り放題に変えたらしい。
しかし、それでも、ジャージの中に手を突っ込んでまさぐっている絵面は、かなりどうかと思われるものがあった。

「…ちょっと、誰か助けてやったら?」
「……家入さん、それ、私たちに言ってるんですか?」
「夏油さーん」
「あー、私も、ああいう時の悟には、ちょっと関わりたくないかなぁ」
「お前等、揃いも揃って…」

夏休み中なのに、何故かうんざりするほど聞いている担任の声がして、夏油と家入は揃って振り返った。
はたして、そこには自分達二年の担任である夜蛾が、米神に青筋を浮かべるというオマケ付きで立っていたのであった。

「あー、夜蛾センセー」
「硝子、校内でタバコは吸うなとあれほど…」
「吸ってませーん。咥えてるだけでーす」
「屁理屈言うな! まったく…。で、あいつ等はグラウンドのド真ん中で何をやってるんだ…」
「えー? バカップルがイチャついてる以外の何に見えます?」
「…まったく…、――悟! 遊んでないで来い!」
「………」
「お前達に任務だ!」
「………ちっ」

聞こえないふりしてばっくれよーとも思ったが、任務と言われてはそうもいかない。
五条は、笑いすぎて悶絶している折原を抱えあげると、思いっきりダルそうな足取りで夜蛾の前にやって来た。

「先生、また任務? いくら俺達が最強でもさ、ちょっと人使い荒すぎじゃね?」
「まぁそう言うな。実は、冥冥達とこの二日間連絡が取れんのだ」
「それって…、冥さんと歌姫先輩で行ってる静岡の案件ですか?」
「あぁ、二人が怪我で動けなくなっている可能性も考慮して、今回は硝子も同行してくれ」
「へーい」
「…急がせて悪いが、20分後にロータリー前に集合だ。俺は同行の補助監督に指示を出してくる」
「………」
「…だそうだよ悟」

五条は抱えあげていた折原を地面に下ろすと乱れた髪を手ぐしで整えてやった。

「…そういうわけで、律」
「うん」
「俺達またオシゴト入ったから出掛けてくんね」
「…うん、気を付けて」
「―――あー、もう!」

五条は今しがた自分の手で整えてやった折原の髪をワシャワシャっとかき混ぜると、その頭頂部に口付けた。
折原は、そんな五条の行為を黙って受け入れている。
学生だからといって安全な任務などない。
折原は五条の呪術師としての強さを知っている。
けれど、呪術師がいつ死んでもおかしくない仕事であることも、また知っていた。
五条達二年生がグラウンドから立ち去ると、灰原がことさら明るい声で折原に呼び掛けた。

「折原、もう一本頼めるかな?」
「へー、急にやる気だしてどーしたの?」
「だってさ、先輩達が身を粉にして頑張ってるんだから、僕達が頑張らないわけにはいかないだろ?」
「…良い心がけ。――じゃあ、かかっておいでよ」

七海は、二人の若干暑苦しいノリにうんざりしつつ、仕方がないとばかりに重い腰を上げ稽古に加わるのであった。


□ □ □



冥冥と庵が担当していた案件は、五条が呪霊の結界ごと建物を破壊したことにより、あっさりと解決してしまった。
怪我人もなく、家入の同行が無駄になったのは喜ばしいことではあったが、五条の暴走で帳を下ろし忘れたため、夜蛾に大目玉を食らったのは想定外のことであった。
おまけに休みもなく新たな任務――星漿体、天内理子の護衛と抹消――に駆り出されてしまい、五条は本気で「俺の夏休み返せー!」と叫びたい衝動に駈られていた。
天元様のご指名とは言え、折原の顔を見ることもなく、掛け替えのない青春の一日がまた終わってしまう。

「あー、律と来たかった」
「………」
「律に可愛い水着着せてイチャイチャしたかった」
「…あの、律さんとは?」
「ははは、二人とも気にしないでください。悟はちょっと現実逃避しているだけなので」

ここは沖縄である。
呪詛師集団「Q」を撃破して、天内の学校で懸賞金狙いの呪術師を退けたところで、黒井が拐われてしまったのだ。
そして、黒井を拉致した盤星教が取引先に指定したのが、ここ沖縄であった。
なぜ沖縄だったのか、無事に黒井を奪還して拉致犯を捕らえても分からなかったが、とにかく、ここは沖縄である。
そして、“海水浴 now!” なのである。

「でも、いいんでしょうか、観光なんて…」
「言い出したのは悟ですよ。アイツなりに理子ちゃんのことを考えてのことでしょう。――でも、そろそろ……悟! 時間だよ」
「あ、もうそんな時間か」

予定では今日中に東京に戻り、二人を高専に避難させることになっている。
しかし、目に見えて気落ちする天内に、五条はもう一泊することを提案したのだった。

「……だが」
「天気も安定してんだろ? それに東京より沖縄の方が呪詛人の数は少ない」
「…もう少し真面目に話して」
「それに、フライト中に天内の賞金期限が切れた方がいいっしょ?」
「…悟、昨日から術式解いてないな? 睡眠もだ、本当に戻らなくて大丈夫か?」
「問題ねぇよ。それに、オマエもいる」

険しい表情を崩さない夏油に、五条は明るく言い放つが、その目の下にはくっきりと隈が見てとれた。

「とにかく帰りは明日の朝な。傑、七海達に滞在延ばすの言っといて」
「…分かったよ悟」
「……そうと決まれば、――天内! 次、何して遊ぶー? それともメシー?」

応援に呼びつけた灰原と七海には悪いが、五条が自身の体力と神経をすり減らしてまで天内に想い出を作ってやろうとしている。ならば、自分も腹を括るしかない。夏油はそう決心すると、灰原に連絡を取り、想い出作りの輪に加わるべく五条達の元へと向かったのであった。




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