包丁が懐いた夜明けの話


目が覚める。あたりはまだ薄暗く誰かの寝息と布のこすれる音しか聞こえない。ぐうと自分のお腹が鳴ったので、包丁は慌ててお腹をおさえた。まあまあな音だったと思うが幸いにも目を覚ますものはいなかった。みんなの布団の間をぬって障子を少し開けるとひんやりとした人気のない廊下の冷たさが伝わってくる。そこでまた包丁のお腹がぐうと空腹を訴えるので、厨に行けば何かしらあるはずだと思いそのままそっと廊下に出た。
「少し寒いかも」
普段なら怖くて厠に起きる時は誰かしら声をかけるのだが、今はそんなだった。包丁が来た時には既に賑やかだったこの本丸が、寝静まった不思議な空間をひとり歩いていく。目当ての部屋に着いて、背伸びして電気を付ける。ぱちぱちっと光が数回瞬いて、目の前にたくさんの戸棚が現れた。ぐうとまた腹の虫が鳴いた。誰か、――それこそ厨当番とか――に見つかれば間違いなく怒られるだろうが、我慢できなかった。包丁は少し迷って、とりあえず1番大きな戸を開いてみる。単純にここにいっぱいのお菓子があったら嬉しいなという気持ちだった。そう現実は上手くは行かないので、包丁は次に大きな戸棚、その次に大きな戸棚……とまだ見ぬお菓子への思いを馳せ開けていく。
「ここも違う。一体どこにあるんだよう……」
半ば意地になりながらいくつもの戸を開け閉めしたころ、既に声を出すことに躊躇う気持ちはどこかへ行っていた。
「そこにいるのって、包丁かな」
突然後ろから声をかけられ包丁はバッと振り向く。審神者だ。探求に夢中になり気配に全く気付けなかった。見つかった。鼓動が手をあてなくてもわかるくらい激しい。包丁が弁解するよりも早く審神者の口が動いたので、包丁は怒られると思い身をすくめた。その時、今までで1番の大きなお腹の音が厨に響く。
「あはは、お腹すいたの。別に怒らないからこっちおいで。お菓子は無理だけど……」
包丁の想像とは違って審神者は笑顔だった。審神者は包丁には届かない上の方のガラス戸を開けて、何やら茶色の袋を取り出し見せてくる。
「じゃーん、ココア。甘いから包丁も飲めると思うんだよね」
お菓子じゃないので残念に思ったが、甘いものは好きだった。慣れているのか鼻歌を歌いながら手際よく動く審神者が、あ、と零す。
「ごめん、マグカップ……湯のみとかってどこにあるかわかるかな」
湯のみは確かあそこだっただろうと先程の探索の記憶を掘り起こして指を指す。なんだか落ち着かなくてソワソワしていたが、程なくして湯気が出ている取っ手付きの湯のみを両手に持った審神者がおいで、と言うので大人しくその後ろをつけた。

着いたのは縁側でそこから見渡せる庭も普段とはまた違う表情で、植物もまだ寝ているみたいだった。ココアを渡されて審神者と隣合って座る。少し緊張したけど、居心地は良かった。日が昇る前の冷たい空気に身体が少しブルっとする。
「ブランケット一緒に入ろう」
審神者との距離が近いのとブランケットに包まれたことでぽかぽかと暖かい。隣で審神者がココアを飲むのに合わせて包丁も口をつけた。実を言うと包丁はココアを知っていた。自分のものよりも他からもらう一口の方が美味しいことを知っていたから、兄弟のを少しもらっただけだったが。審神者の入れたココアはそれと少し味が違ったけど包丁はこっちの方がまろやかで好きだった。
「……おいしい」
「ありがとう」
よく笑う人なのだなとぼんやり思った。包丁の知っている審神者は多くの刀に囲まれていて近づき難い印象で、面と向かって話したのはこれが初めてだった。深い深い青の空に赤色が差し始める。
「他の子達とは仲良くしてる?」
「……うん。みんな良い奴だよ。でも、歌仙はちょっとヤダ。いっつもおこってるんだもん」
包丁は、歌仙に怒られた時のことを思い出して顔を顰めた。鬼のような形相で追いかけてくるから半べそで逃げ回ったのだ。ちらっと横を見て審神者の視線の先を追うと、空ではじんわりと赤が主張を強めていた。
「和泉守とつまみ食いした時の?」
「そう! 唐揚げ一個であんなに怒んなくてもいいよなー。主もそう思うよねっ」
審神者はくすくすと笑って、肯定も否定もせずただ包丁の頭を撫でた。ゆっくりと毛並みにそって撫でる手に、大事にされている実感が湧いてくすぐったい。誤魔化された気がしなくもないが、安んじてそれを受け入れた。
「あ、包丁見て。そろそろだよ」
朝露がきらりと光る。同時に眩い光を携えて太陽が遠くの山から顔を出した。薄暗かった地面が、草木が、陽の光に照らされて目を覚ます。
「うわぁ、きれー」
感嘆の声が漏れる。
「たまにね、来るんだ」
審神者が深呼吸をして続ける。顔に影ができて表情が隠れた。
「いいでしょ、ここ」
「たまになら一緒にいてもいいぞ。……ココアくれるなら」
包丁はもぞもぞと移動してちゃっかり審神者の膝の上を陣取る。安心するいい匂いがした。
「人妻じゃないけどいいの?」
「もー!特別ってやつだよ」
頬を膨らませてみせても、審神者はよしよしと包丁を可愛がる手を止めない。

「今日のことはふたりだけの秘密ね」
朝日が昇りきるのを見届けてから審神者は言った。しばらくして包丁を膝から下ろし立ち上がって厨に向かっていく。包丁も置いてかれないように追いかける。あの凄まじい空腹感はもう無くなっていた。

「先に戻っててもいいけど」
洗い物をしている間もそばを離れようとしない。審神者が苦笑しながら、首をこっくりこっくりさせながら目を擦る小さな頭に声をかける。しかし、可愛らしいつむじをぐりぐりと押し当てて動かないものだからしょうがない。空が明るくなりふたりきりの厨に朝日が差し込んでくる。本丸に今日も朝がやってきた。


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