春をつかまえた秋田くんの話
あるのどかな昼下がり。冬のあいだ中ぴったりと締め切られていた障子が、今は開け放たれ心地よい春風を受け入れていた。花瓶の中で秋田がいけたチューリップが揺れる。床の間に掛けられている書は、初期刀によって書かれたもので、あの時の彼の刀の自慢気な顔といったらどうしようもなかった。
たし、たし、たし。春の陽気を目一杯受けてふかふかになった尻尾を、秒針宜しく畳に打ち付ける狐。その目線の先には書き損じた書類を前に身を震わせる審神者がいた。
「……これで何回目よ?もう、なんでこの二十三世紀に政府は紙に筆で報告書書かせるわけ?テクノロジーはどこへいったのよ!」
感情任せに紙をクシャクシャに丸めて、狙うは数メートル離れたゴミ箱。綺麗な放物線を描いて見事その他大勢の紙くずの仲間になった。狐の大きな瞳がそれを追う。
「……バックアップ、というのは嘘で政府の方でもちろん戦果の記録は得ているのです。しかし、筆というのは人柄が出ますからね。そのようなものを見ているのですよ」
審神者は言葉に詰まった。最近冗談を言うこと覚えたらしい狐の声に心なしか、背筋が伸びて少し気が張る。何を考えているのか読めない政府の手前、安直に捉えることもできないがしっかりやっておくに越したことはない。それでも、審神者の体には疲労が蓄積されてどうしようもなかった。頑張ろうという志だけで身体が動くような若さはとっくのとうに忘れている。狐は今度は、時計の秒針に夢中のようで、首が左右に揺れている。
「いや、やっぱり疲れた。もう、これはこんちゃんのふわふわに癒してもらうしかないね」
隙あり、とばかりに狐に向かって両手を広げ迫る審神者。しかし、掴んだのは残り香だった。
「審神者様お求めのこんちゃんは今からおやつタイムなのです、それでは」
狐は政府と本丸の橋渡しのような役で、そばに居るのも狐の自由で、居ないのも狐の自由だった。
「そんなぁ……」
唯一の気を紛らわす存在もいなくなってしまい机に突っ伏して紙くずを恨めしく思っていた時、入るぜという低い音が聞こえた。目を向けると、声の主はメモ用紙に目を落としながら線が細い整った指で障子を閉じた。
「大将、万屋で買いたいものがあるんだが……」
「うん、うん。それでいいと思うよ。許可出しとくね。いつがいいかな、今日すぐ行きたい?」
「いや、すぐじゃなくていいぜ。有難うな」
とても短刀には見えないこの刀は、先日顕現したばかりの薬研藤四郎だ。噂には聞いていたが、儚げな見た目にそぐわないセリフと声に顕現当初、審神者は思わず出処を疑ってしまった。今でも少し慣れないところはあるが、いつまでもギクシャクしている訳にもいかない。それを感じとったのか、やはり気の利く刀のようで気さくに接してくれていた。色素の薄い肌と対照的な黒髪が映える。話題探しか、さまよっていた薄紫の目がある一点で止まった。
「大将……」
呆れのような、憐れむようななんとも言いがたそうな目だ。慌てて口を開こうとしたが言葉は思いつかず、審神者は目を泳がせ下を向くしか無かった。視線を向けられている紙くずたちだけが不変だった。
「大将、大将さえよけりゃ……」
薬研が話し始めたのと同じ時だった。決して荒い訳でもないが、普段よりは興奮気味の足音が響く。それが障子の前で止まると、ふう、とひとつ息が吐かれた。
「主君、秋田です。失礼します!」
我慢しきれないとでも言うような声音が襖越しに伝わってきて、思わず薬研と目を見合わせてしまった。すすすーっと襖が開いて、可愛らしい桃色が上気させた頬を携えてやってくる。
「や、薬研兄さん!」
兄を捉えたその瞳をまん丸に開いて、驚きを示す。どうやら、興奮しすぎて気づいていなかったらしい。
「落ち着けよ、秋田。どうした」
先程までの呆れた表情はどこへやら、今の彼は兄だった。刀同士の仲は良好で、顕現順に関わらず兄弟としての絆も築いているようだ。兄に促され秋田が一歩前に進む。
「先程、縁側を歩いていたら春を捕まえて、それで、主君にもお伝えしたくって」
言葉はたどたどしくも、きらきらと眼を光らせて白い布を広げる小さな手。布団用のシーツだろうか。これのどこが春なのだろう。疑問に思っているのを感じ取ったのか、秋田が続ける。
「乾きたてのシーツです。この子はお日様の光をうんと浴びていい匂いがするんです。だから、きっと」
ぼく、これが春だと思ったんです――
柔らかい春を背負って微笑む存在があまりにも美しく胸を打たれた。刀でありながら人の身体を得て、ありふれた自然を日々享受するこの神様は今度は無邪気にその場でくるくると回ってみせる。シーツがヒラヒラとなびいて、薬研が春だなと言うのでそうだねと返した。麗らかなある日の午後だった。
この後、誰が聞いてる訳でもないのに内緒話をするみたいに教えてくれた掛け布団の元へ秋田に手を引かれて連れていかれた。いや、ついて行った。もちろん3人して布団に顔を押し付けているところを初期刀に見つかり、怒られたことは言うまでもないだろう。
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