翡翠航路[ひすいこうろ]

リクエスト:迅悠一と男主,歳上夢主

はぁ、と迅悠一はため息を漏らした。

つい数日前までとても忙しく、気がついたら10日間蒔田さんに会えていない。勿論長い期間会えなかったことは今回が初めてでは無かったけれど、今落ち込んでいるのはそのことではない。会えないのだから蒔田さん自身から蒔田さんの未来は見えないのは当たり前なのだが、今回は蒔田さん以外の人からも見えなかった。

今まではたまに会った人が蒔田さんと話をしてる未来が見えたり、深く関わらなくても誰かの横をすれ違う蒔田さんの存在が未来の隙間に見えたりしていた。その未来が見えるだけで蒔田さんが居ない生活もあまり苦ではなかったし、見える未来で蒔田さんがいつも通りの生活を送っているだけで嬉しかった。

「つまりお前は由紀の未来が見えなくて不安を感じてるってことか」
「そういうこと」

蒔田さんのことを気軽に名前で呼ぶ太刀川さんは蒔田さんと同級生だってだけで名前で呼べるんだからちょっとズルい。おれがどうしても呼べない名前をさも当たり前のように呼ぶことのできるその1歳差がおれにはどうしようもなく欲しいものなのに絶対に手に入らない。

「で、お前はどうしたいの?」
「分かんない。太刀川さんは蒔田さんに会った?」
「俺は会ってないけど、風間さんが由紀と一緒にどこかに行くとか言ってたな」
「えっ、それって遠征?」
「さぁ?」

またおれの口からため息が落ちた。

蒔田さんの未来が見えないことが、これほどまでに不安なことだとは思っていなかった。

おれの未来には常に蒔田さんが居て、それが当たり前で、それが良いものでも悪いものでも甘んじて受け入れていた。おれの見る未来に蒔田さんがいることが、おれの幸せだったのかもしれない。

「あー、会いたい」
「今日で終わるんだろ?」
「そう、今日まで」

明日になれば蒔田と会える。その確認をしただけで迅の顔が緩んだ。いつも飄々としていて緩んでいるような顔だが、よく見るとそんな作り物のような緩みではなく、迷子の子供が親を見つけて安堵するような、心の底からの笑みのような緩み方だ。

「あのさ、聞くかずっと迷ってたんだけど、お前と由紀って何なの?」

太刀川が少しだけ重いトーンで話しかけるが、迅はそれほど気にしている様子もなく、少し遠くを見ながら「おれの片思い」と答えた。片思いが長すぎてきっかけが無いと前に進めないような[こじ]らせ方がなんとも迅らしい。

水底に深く沈んだ石が揺れる水面に影響されることもなく、ただその場で水面を通して見える空を焦がれるような、そんな石のような迅の目は、綺麗な空色をしていた。

「おれっておかしいかな」
「いや、いいんじゃないか?俺から見ても由紀はかっこいいし」
「そっち?」
「他に何があるんだよ」
「いや、ほら、蒔田さんからは迷惑じゃないかなって思って。蒔田さんは優しいからよく一緒に居てくれてるのかなって思ってさ」
「はぁ?由紀はそんなやつじゃないぞ?」

ここで太刀川はひとつ気付いた。迅は勘違いをしている。

「由紀ってさ、普段あんまり笑わないんだよ。ポーカーフェイスってやつ」
「そう?」
「そう」

迅の中では烏丸京介の顔がチラついた。しかしその顔は蒔田とはかけ離れていて、どうしても蒔田とポーカーフェイスという単語が結びつかない。迅の記憶の中の蒔田はいつも穏やかな笑みを浮かべていて、1歳しか差がないのに妙にお兄さんぶって迅を気にかける人間だ。

「お前の未来視ってどんだけ正確に見えるの?」
「その時によって差はあるかな」
「お前の未来の中の由紀はどんな顔してんだよ」
「いつも通りかっこいい」
「はぁ」

今度は迅ではなく太刀川からため息が落ちた。

◇◆◇

太刀川と話をした翌日。

正確には翌日の19時。昼頃には終わるはずだったが遅い時間になってしまった。今日は久々に蒔田さんに会えると思って頑張ったのに結局これだ。ついてない。

会いに行くのはまた明日にしようと玉狛支部の玄関を開けると夕食のいい香りがした。この香りは何だろう。優しい香りだ。

いつも通り靴を脱いで、手を洗って、リビングの扉を開けながら「ただいま」と言う予定だったが、その言葉は声にはならず、扉を開けた瞬間に喉の奥へと吸い込まれた。

「迅、おかえり」
「あ、えっと、ただいま。何で蒔田さんがいるの?」
「迅が今日の昼頃に仕事終わるって聞いて待ってたんだけど、全然帰って来ないし、上層部まで乗り込んで聞いたら遅くなるって言われるし、お前遅くなったら『また明日にしよう』とか考えるタイプだし、それなら俺がここに来るしかないじゃん?」

こんなのずるい。思わず笑みがこぼれ落ちた。そうだ、蒔田さんはこういう人だ。未来視なんてなくてもおれの行動は手に取るように把握されている。それがどうしようもなく嬉しくて、かっこよくて、おれはまだ蒔田さんには追いつけないと思う。

「ふっ、ふふ、おれより優秀な未来視ですね」
「俺サイドエフェクト持ってないけど?」

この空間には不思議そうな顔をしている蒔田さんしか居ない。いつも賑やかな空間のはずの場所が静かな静寂に包まれていた。

「他のみんなは?」
「みんな用があるからって出かけて行っちゃったよ。陽太郎も雷神丸と一緒に林藤支部長がどこかに連れて行った」

だから今はふたりきりだね、なんてふわりと笑うこの顔が俺は好きだ。

玉狛支部からの気の聞いたサプライズかと思考を巡らせていると、蒔田さんは皿にシチューをよそいながら「俺がつくったもので申し訳ないけど食べるよね?」なんてのん気に聞いてくる。玉狛支部全員の不自然な行動を気にもとめず、そのまま配膳を始めたので手伝おうと近づくとそっと静止させられた。

「迅はなんかまた面倒な仕事をしてたんでしょ?せめて今日くらいはゆっくりしてて」

語尾に「ね、」と言われたらもうおれから言うことは何も言うことはない。そのまま何もせずに席に座ると目の前に温かいシチューが置かれた。

「多くつくったから、たくさん食べても大丈夫だよ」

一緒の食卓で食事を済ますと、蒔田さんは調理器具と食器を片付けようと席を立つ。スラリと背の高いその体躯をかっこいいと言わずになんと表現しようか。

その瞬間見えた未来は俺の口角を上げるには十分なものだった。蒔田さんの背中に向っておれは見えた未来通りの言葉をかける。

「蒔田さん。おれ、寂しかったです」
「急にどうした?未来、見えなかった?」
「はい。どこ行ってたんですか」
「風間さんと一緒に県外の大学の研究室を見学に行ってたんだよ」

それがなかなか面白くて、と楽しそうに話す蒔田さんの瞳は輝いていた。もともとは3泊4日のつもりが大学の寮の余ってる部屋を貸してくれるという甘い誘いにのってズルズルと向こうに居続けたらしく、よく見ればリビングの隅に見慣れない大きめのバッグが置かれている。

食器を置いて戻ってきた蒔田さんはソファに座り直した俺の横にゆっくりと腰を下ろした。

「ああ、あれは俺の着替えとかタオルとか歯ブラシとか色々。現地で調達したものが多かったから荷物が行きより少し多くなっちゃった。あ、お土産も入ってるから今から出そうか?」
「後でいいです。それよりもおれ、寂しかったです」
「2回目」
「わざとです」
「ふふっ」

また笑った。そう、さっき見えた未来はこれだ。蒔田さんのこの笑顔。この余裕がおれを崩していく。おれはこんなにも蒔田さんの存在を感じない空虚な10日間を過ごしたというのに。

「俺さ、本当はあと4日間向こうに居るか悩んだんだ。丁度2週間ってことでさ」
「え、」
「でもさ、迅が今日戻ってくるって聞いたから、昼に慌てて戻って来た。風間さんはたぶん今頃戻ってきたくらいかな」

そんなこと言われたら返す言葉がないじゃないか。どんな顔で、どんな気持ちで、どんな思いで帰って来たのだろう。本当に見たいことを見せてくれないこのサイドエフェクトに少し苛つきを感じたが、それよりも蒔田さんがおれのこの、今ここにある目に映っている方が嬉しいから、今はそれで良しとしよう。

「でもさ、メールとか電話くらいしてくれても良くないですか?」
「え、大丈夫だったの? 忙しいと思ってた」
「メールを見る時間も電話をする時間もありました!」
「じゃあ何で迅はしてこなかったの? 俺達いつもメールも電話も全然しないじゃん」

そうだ、おれにはサイドエフェクトがあったからこまめに連絡を取らなくても蒔田さんが何をしているかなんて何となく分かってしまうし、おれから連絡をとる必要はなかった。

「迅がして欲しいって言うならこれから寝る前に電話してもいいけど?」
「え、本当ですか?」
「して欲しいの?」
「その聞き方ズルいです」
「で?俺、迅の口から聞きたいんだけどなぁ」
「……ぃです」
「なになに?」
「もーーー!電話して欲しいです! 蒔田さんに会えなかったのダメでした! 不安でした!」
「迅は可愛いなー! よくできました!」

おれを抱きしめてわしゃわしゃと乱暴に頭を撫でる蒔田さんは至極嬉しそうだった。

◇◆◇

ということがあったんだよ、太刀川さん。

と、話しかける迅の顔は先日見えていた疲れがなくなっていた。

「なあ、由紀笑ってた?」
「よく笑ってくれるけど……?」
「それ脈アリだから頑張れ」
「どういう意味ですか?」
「今度、お前の側に居ない時の由紀が見えたらよく顔を見てみろ」
「そうしてみます」

そうしろ、そうしろ。由紀はお前以外の人の前ではほとんど笑ってないからすぐ気づくはずだ。由紀はそんなに優しいやつじゃない。優しくする相手は無意識に決めてるやつだ。

そんな由紀がお前の隣で笑っているなら、お前の隣が一番なんだろうよ。

For Shousei 20151129 Happy Birthday !!
お誕生日おめでとうございます。遅くなりまして申し訳ありません。いつも素敵な作品をありがとうございます。大好きです。
20151130



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