ぼけた境界が美しいのです


春の終わり、しかし初夏とも言い難い季節。数日に渡り続いた嵐のような雨は前日にあがっていたものの、審神者と堀川国広は大量の乾いた洗濯物を畳む作業に追われていた。

雨の日に洗濯物を増やす訳にはいかないと出陣を避け、できる限りは簡単な遠征で済ませていたが、部屋干しをしても洗濯物は溜まる。前日から外の大きな物干し竿をフル稼働させていたのだが、それでも一度に干せる洗濯物の数も決まっているため、生乾きの洗濯物を乾かす作業は今朝まで続いた。

山のように積まれた乾いた洗濯物は外の見える部屋に置かれ、池に散った桜がゆらゆらと浮かぶ様子を見ながら、色とりどりの山は綺麗に畳まれた衣服へと姿を変えていく。

残すはあとわずかとなったところで庭からひょこりと顔をのぞかせたのは小夜左文字であった。

「主、畑はもう大丈夫」
「そうなのね、後で確認するわ」

真っ赤に染まったみずみずしいトマトを持った小夜左文字と、その後ろから歩いてきた歌仙兼定が審神者のもとにやって来て、トマトをひとつ差し出した。畑もまた雨と風で荒れてしまっていたのだが、短刀達を中心に行っていた作業も終わったようだ。

「雅じゃない」

ふと、ひとこと、独り言のように言葉を溢した歌仙兼定は池を見ていた。

「そう?私には綺麗に見えるけど」

遅咲きだった桜は全て地面や池の上へ散り、桜色に染め上げられた景色は綺麗だと皆が言っていたのだが歌仙兼定は違うのだろうかとその場に居た全員が見ていると池の上に浮いていた花弁をひとつ摘んで審神者に見せた。

「色が悪くなっている」

確かに周りは茶色になりかけ、全体的な色も桜色というよりは薄い黄色になりかけていた。

「それはちょっと綺麗ではないですね」
「だろう?」

土の上に散っているものはいずれ土に還る。しかし水の上にある桜はこのままでは水を含んで腐ってしまうだろう。名残惜しいが早めに取り除いて土に埋めるのが正解かもしれない。

「そうですね、掬い取って土に埋めます。これが終わったら始めますね」

審神者がそう告げると小夜左文字は少し下を向きながら口を開いた。

「主」
「なんですか?」
「僕も池に入りたい」

それからはあれよあれよと事が進んだ。最初は僕がやっておくから主さんは洗濯物を畳む作業をしていて欲しいと言う堀川国広であったが、自分がやると言ったのだから申し訳ないと審神者に言われてしまい、それならば洗濯物も残りわずかであるし、そろそろ遠征から帰ってくる仲間も多くいるのだから、日のあるうちに池に入った方がいいと進言し審神者を部屋から出すと、小夜左文字から話を聞きつけたのか粟田口派の短刀をはじめ、愛染国俊や今剣達が待っており、さあさあと審神者の手を引いた。

「池に入るんでしょ!ボクも一度入ってみたかったんだよね!」
「乱、入ると言っても桜の花を集めるだけよ。それと風邪を引かないように日のある内に終わらせましょうね」
「はぁい」

審神者は短刀達に濡れても良いように短パンとTシャツを配ると自分も同じ服装に着替えた。刀剣男士達のシャージ姿もなかなか似合っていると感じていたが、全員Tシャツを着ていると時代を間違えたのではないだろうかと思える程に違和感なく似合っており、端正な顔立ちというのは便利なものだと感じてしまう。

日がやや高くなり、日差しが暑く感じる程にまで気温が上がってきたので作業するにはもってこいだと楽しげに笑い駆け出して行く厚藤四郎の背中を追いかけながら、倉庫から持ってきた手桶や柄杓や盥を両手いっぱいに持って池を見ると、思った以上に浮いている桜は多く、少しだけ驚いた。

池に手をいれると水はひんやりとしていて、日差しで火照った身体に気持ちの良い冷たさが指先から伝わってきた。

「気持ちがいいですね主君」
「そうですね、いい天気になって本当に良かった」

手の届く範囲の桜を前田藤四郎と共に取っていると今剣が「ぼくがいちばんです!」と楽しげに水の中に入っていき、それにつられて他の短刀達も入っていく。池の鯉は人を避け、するすると岩陰に移動していった。

ある程度手前の桜の花弁を取ったところで審神者も入水し水底に足をつけると、思いの外深く自分の腰まで水に浸かったので、深い場所もあるから気をつけるようにと声をかけると元気な返事が返ってくる。

人数が多いこともあり、次々回収されていく桜は土の上に綺麗に盛られていき、花弁が一枚もない綺麗な池へ戻るまでに時間はあまりかからなかった。

「あるじさま、それっ!」
「うわっ、ぷ!もー!今剣!」
「どうだー!」

ばしゃりと勢いよく水をかけられた審神者は前髪から水を滴らせながら今剣を軽く睨んでみたが、今剣はとても楽しそうに笑っていたのでまあいいかと一緒に笑っていると、厚藤四郎の後ろに水がなみなみと入った桶を持っている薬研藤四郎が立っていた。審神者にしーっと合図を送り野太い咆哮のような声をあげて桶を大きく振りかぶると、勢いの強い水が滝のように厚藤四郎に降り注いだ。

「うあっ!おい薬研!!」
「大成功だな大将」
「えっ」
「大将も仲間かよ!」
「え、ちょっと、」

白羽の矢というのはこのことだろう。火のついた厚藤四郎を筆頭に水掛け合戦が始まった。池の水は波が立ち、掛け方もエスカレートしていく。楽しいのはいいことなのだけれど池の外にまで水を出してはいけないと注意をしようかとしていた時だった。

「主、第二部隊、無事帰ったぜ。ところで何してたんだ?」
「あ、つるま」

鶴丸さんお帰りなさい、と最後まで言えなかった。五虎退は持っていた手桶で審神者に水を掛けようとしたのだろうが的外れ。鶴丸国永の顔に思いきり掛かった。

「ぶはっ」
「あああごめんなさいぃ!」

鶴丸国永は急いで謝る五虎退に「大丈夫だからもう謝るな」と優しい口調で言い、審神者には報告はまた後でと告げ、濡れた髪と顔を拭くために本丸へ逆戻りした。

たまたま大量のタオルを運んでいた堀川国広と出会い、日溜まりのかおりがするバスタオルを受け取った鶴丸国永の視界に次に入ったのは太郎太刀であった。確か彼らは第一部隊だったはずである。では隊長の一期一振はどこだと視線を移動させると、少し暑そうに首もとをゆるめてパタパタと動かしながら隊の先頭を歩いていた。珍しいものだとからかってやろうとして近づくと、こちらに気付いた一期一振が自分に向かって歩いて来た。

「おう、おかえり」
「ただいま戻りました。ところで鶴丸殿はなぜそんなに濡れておられるのですか?」
「あー、これな。庭に向かってみるといい。主もそこにいるからついでに全員呼んできてくれ。今日の八つ時は昨日の夜に主が冷やしていたぜりーとやらを食べるんだとよ」
「はぁ、よくは分かりませんがありがとうございます。行って参ります」

主に会える喜びを噛み締めながらに軽やかに歩き出した一期一振の背を激励の思いで見送り、堀川国広に追加のタオルを出してもらおうと、鶴丸国永は頭を乱雑に拭きながら本丸内へ向かった。

一期一振が池へと歩みを進めると庭の方角から弟達のきゃっきゃと楽しげな声が響いている。

遠くに見え始めた池は小さな鏡が散りばめられたようにキラキラと輝いていて、どんな宝石よりも綺麗な輝きを放ち、その中でかわいい弟達と主が池の中で水遊びをしていた。

我が主は実に努力家であり、私達に任せていただければ良いものをまで全て背負う癖があるので少々心配なのだが、そこに惹かれていることは自分でもありありと感じ、主の事を思うと恥ずかしくなってしまう。

自分が人間のような感情を抱いていいものなのかと頭を抱えてしまう夜もあったが、そもそも今のこの姿で付喪神と人間の境界線などあるのだろうか。自分でも境界線が分からず感覚がぼやけてしまうような気がしてこわかった。なぜ私はこのような姿になったのだろうか。

軽く頭を振ってから前を向き直すと太陽は高く、眩しすぎる日差しの中で、目を細めなければ見えない程のその美しい光景に、一期一振は心が洗われるような思いがした。

「あ!いち兄!」

最初に一期一振を見つけた秋田藤四郎は大きく手を振って兄に合図を送った。その声につられて他の弟達も声をかけ、兄を呼んだ。

「一期さんお帰りなさ、ぁ」

また最後まで言えなかった。深い場所に足を取られた審神者は前のめりに転び、どぽん、と正に沈んだという表現が似合う音をたてて水の底に消えた。

遊んでいた短刀達が慌てて駆け寄ろうとするが生憎水の中である。本来の機動力は活かせず、地上を走った一期一振が一歩先に審神者の元に辿り着いた。

濡れることも汚れることも気にせずぬかるむ池の縁に膝と手をつき、反対の手を思い切り伸ばして池の中に突っ込んで審神者の手を引いた。

「ぷはぁ!げほっげほっ、」

空気を求め大きく開いた口に大量の空気が入ってしまい盛大に噎せかえってしまった審神者の背を急いで手袋外して撫でながら、空いた手で額に張り付いた前髪を掬うと、指先をつぅと水滴が流れた。

「すみません転んでしまいました」
「謝らんでください。お怪我はありませんか?」
「大丈夫です。お帰りなさい」
「はい、ただいま戻りました」

審神者が見上げるように一期一振を見ると、高い空の青と一期一振の髪の色が同化してしまいそうな程に溶け込んでいた。

その美しさに吸い込まれ思わず髪に手を伸ばすと、さらさらとした細い浅葱色の髪がしっとりと濡れた。

「主?」
「ああ、すみません、空の青と一緒でとても綺麗だったもので」

ぱちぱちと瞬きをしながら声も出ずに立っている一期一振を見て乱藤四郎はくすくすと笑いながら二人の元に近づいた。

「いち兄が乱れるなんて珍しいねっ!」
「なっ…!!乱!」
「いち兄ももっと頑張ってよね!」

ぽんと背中を軽く叩いて皆の元へ帰っていく乱藤四郎を目で追うと、きらりと光った水面(みなも)に顔が真っ赤に染まった自分自身が映り、一期一振は恥ずかしさで審神者から思い切り顔を背けると、そこにはにっこりと、それはそれは素敵な笑顔でこちらを見ている堀川国広が立っていた。

「タイミングは合ってたみたいだね!はいこれバスタオル」

ぱさりと一期一振の頭に大きく柔らかなバスタオルが掛けられた。赤い顔が審神者に見えないようにという堀川国広なりの気遣いに感謝して、タオルの影で深呼吸すると肺に水辺特有の涼しい空気が入ってきて頬の熱は冷めていく。

「それで主さんを拭いてあげて!みんなも!そろそろ八つ時だよ、身なりを整えた人からおやつね」

短刀達は早くおやつを食べたいと堀川国広からタオルを掻っ攫うように受け取って、走って室内に戻って行き、堀川国広はその後ろを歩いて帰って行った。

「私達も戻りましょうか」
「はい」

弟達を見送った一期一振は頭にかかったタオルを審神者の頭にそっと被せ、軽く水気を吸い取るように拭きながら、じわじわと重くなっていくタオル越しに審神者の髪を触る喜びを感じていた。

そのタオルの下で赤くなった審神者の顔を一期一振はまだ知らない。

前サイトから移転させました。



ぼけた境界が美しいのです