あなたはいつか旅立つ人
明石国行は特に何事にも気力を見せず、ただただ日々を平和に過ごしているだけのように見えることも多いが、案外優しい面を持ちあわせていることを、この本丸に生活している者なら誰でも知っている。知っているのだがやはり言葉が悪いと思うことは多々あるものだ。特に真面目な刀剣達はやや眉を寄せるが、それでもやるべき仕事はこなす明石国行に文句はなかった。
そんなあまり働くことに積極的ではない明石国行だったが、審神者に呼ばれたとあらば向かわないわけには行かず、審神者の部屋を訪れていた。
「明石さん、今日は近侍を任せてもよろしいですか?」
「いつもの一期一振とちゃいますの?」
「一期さんは弟さん達と気分転換も兼ねて遠征に行ってもらう予定なので」
「そないやったら自分も蛍丸と仲よぉ休みたいですわ」
「近侍はもちろんしていただきますが、明石さんはこれから蛍丸くんと手合わせですよ?」
さっ、と少しだけ見を引く明石さんが面白く、思わずくすくすと笑っていると少しだけ明石さんが笑った気がした。
「どうかされました?」
「いーや、なんでもありません。主さんの頼みとあれば聞くしかないですからなぁ」
そう言って去っていく後ろ姿はやはり保護者を名乗るだけのことはあり、しっかりしたものが見えたが、それから数刻後、やはり蛍丸くんには勝てなかった明石国行が厨房で夕食を作っている審神者の元に帰ってきた。
「お疲れ様でした」
声をかけても返事をせず、ただすんすんと鼻を動かして近づいて来た明石国行は審神者の頭の上に自分の顎を乗せ、軽く体重をかけた。
「重いですよ」
「疲れましたわ」
「先にお風呂に入ってきたらいかがですか?」
「それも面倒ですわ」
だらだらと審神者の背中に張り付いている明石国行を連れて食器棚の上にある小皿を取ろうとしたところ、背中からひょいと腕が伸びて、目の前に小皿が差し出された。
「あ、ありがとうございます」
それからも背中に張り付きながら無言で手伝いをしてくれる明石国行がおもしろく、そのままにしていたのだが、そろそろ夕食の時間が近づいた時、蛍丸と愛染国俊が厨房に駆けて来た。夕食はまだかと審神者と明石国行の周りをぐるぐると回る彼は可愛らしく、とても人ならざるものには見えなかった。
「もうすぐできますよー」
ぴょんぴょんと跳ねる愛染国俊を横目に、蛍丸は審神者から離れた明石国行に近づいた。
「素直じゃないね」
「こればかりは仕方ないなぁ」
「そういうものなの?」
「そういうものなの」
愛染国俊と審神者が楽しげに夕食の用意をする姿を明石国行と蛍丸は少し離れた場所から見ることにした。
明石国行は兄弟刀以外の全てのものに執着をみせなかったが、この本丸での日々は嫌いではなかったし、人一倍安寧を求めていたからこそ、この生活を手放したくなかった。
日々は刻々と過ぎてゆく。人間と付喪神の違いくらいは把握しているからこそ、明石国行は自ら審神者に関わることはなかった。それを蛍丸は気に入らないらしい。
「主ってさ、俺達のことを人として接してるよね」
「そうやなぁ」
「もし俺達が完全な死を遂げたとしても主の元にはいけないのにね」
輪廻の環が違う。そう蛍丸は言いたいのだ。審神者の元に永遠に居たいけれど、それは叶わない。だから自分は審神者と深く関わりたくない。
でも、自分は審神者が大好きだ。
このもどかしい気持ちに気づきたくなかったのに、どうしてか、審神者から与えられる優しさと愛情は確かなもので、最初はまるで家族のようだと思った。兄弟刀と雖もそれは兄弟刀であり家族では無かった。そんな自分達が肉体を得て、ましてや人の姿を手に入れてこんな家族のように過ごせるとは思わなかった。
審神者に対する気持ちも家族愛だと思った。そうであって欲しいと心の中で思っていたのかもしれない。蛍丸や愛染国俊と同じように審神者が好きなのだと思うことにした。しかし、他の刀剣男士達と話している姿を見ると心に靄がかかったようになるし、そうかと思えば自分に向って笑顔で話しかける審神者の姿を見ると心があたたまった。
つまりこれは人間の恋慕と同じものだ。
幾年もの間、人と少なからず関わってきたからこそ、その感情を知っていて、それでも深入りはしないようにしてきたはずなのに、今はそれができない。
「結局どうしたいのさ」
「そうやなぁ、ただ、主さんが最後まで笑っていられるようにお手伝いさせてもらうだけ、かな」
「案外誰よりも真面目だよね」
「それはないな」
夕食をのせた大皿を持ってくるくると忙しそうに動きまわる審神者の動きはとても効率的とは言えず、たまに転びかけて更にばたばたと動くその姿は子供のようだ。
こんな小さな娘に自分が愛情を抱くなど思ってもいなかったが、それなりにちゃんと歳をとっている。短刀達とはしゃいでいたと思えば出陣命令を出す時は凛と背筋を伸ばして命令し、よい主であろうと努力する姿は誰よりも綺麗に見えた。
ぼーっと主を眺めていると、隣にいたはずの蛍丸はいつの間にか居なくなっていて、その代わりに主がこちらに向かって来た。
「明石さん、夕食できましたよ。お腹すきましたね」
正直に言えば食事は好きだが必要なものではなかった。食事は美味しいとは感じるし、食事を取ると満腹感を得られるが、それは物理的な身体の重さと、生き物を食べたことによるその生き物の霊力が少なからず影響しているからだと、いつか誰かが言っていた。自分自身は審神者から与えられる霊力さえあれば食事がなくてもずっと生きていけると思う。しかしそれを誰も主に言わない。ここに居る全員がこの場所で主と人として生活することを望んでいるからだろう。
自分もそうだ。
「せやなぁ、お腹もすきましたし食べましょか」
だからどうか、この小さな嘘も許してください。最後まで人として、あなたの側にあり続けることを許してください。
あなたはいつかここにある全てのものを置いて旅立つのでしょう。
だからそれまでの間、星の瞬きのような刹那の時間を、どうか一緒に過ごしてください。
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