夜桜散る灯
待ち合わせ時刻は二十二時、麒麟像の前だった。青銅の翼を泰然と広げる雄々しい姿の下には長身の、男にしては割合に長い髪。春とは言え未だかすかに寒さ残る季節だというのに彼は薄そうな青の上着一枚で、手元のスマートフォンを見つめていた。
相手は恐らく彼の知己である松田、とやらに違いない。明希自身会ったことはなかったが、会話の中で『松田』の名が出ない日はないし、誰とやり取りをしてるのか聞けば大概は彼だった。どんな男かと聞いて写真を見せてもらったこともある。この眼前の優男を体現する彼とは違って、なんとはなしにやんちゃそうな青年だったような気もするが、正直よく覚えていない。
首を長くしているだろう彼に研二くん、と声をかければ彼はぱっと顔上げて嬉しそうにこちらを見た。
「明希さん!」
「ごめん、待った?」
ニコニコとご機嫌そうに微笑む彼はきっと、約束の時間の二十分前には確実にそこにいたのだろう。彼との待ち合わせで、緊急出動によるすっぽかしは幾度かあれどそれ以外で私が先に待つ事はほとんどといってなかった。とりあえずの形式ばった言葉を言えば彼は予想通り首を振った。
「ううん、ぜーんぜん」
軽やかな声音に、流れるような所作に、手を取られるまま二人連れ立って歩む。これからどこへ行こうとしているのだろう。ただいまの時刻は二十二時。そろそろあちこちの店舗が閉店する頃だ。不思議に思いこそすれ、明希は特別何か言うこともなく彼に導かれるまま歩いた。
「ごめんね、無理言ってさ」
「それは平気だけど…珍しいね。研二くんからこんな時間にデートのお誘いなんてさ」
これまでに夜のデートがなかったとは言わない。ただ明希は明希で不規則に複数の仕事を掛け持ちしていたし、彼は彼で特殊な仕事をしているものだから仕事上がりに待ち合わせをすることは基本なく、確実に休みを取れる日くらいしかデートらしいデートをしたことなどなかった。
「どうしても今日、明希さんに会いたくっなっちゃって」
「どこ行くの?」
「まだナイショ」
まっすぐ前を見る彼の、高い位置にある顔。見上げれば垂れ目を目一杯下げた、いらずらっぽい笑みが私の視線を受け止める。
「よし、じゃあここからは目閉じて」
時間にして十数分、どこへ、何しに行くかも問わぬまま彼に着いて歩くと、唐突に彼は立ち止まり言った。しかしこの暗がりでさらに視界を失くすことに、明希は少し不安げに彼を見た。
「大丈夫、ちゃんと繋いどくから」
そんな明希の不安を拭うように、繋がったままの2人の手を少し持ち上げて彼は笑った。
***
「目、開けて」
数分の後、言われるがままに目蓋を開いた。
「じゃーん」
気の抜けた誇らしげな声がどこか遠く聞こえるようで。そこにはただ一面の薄紅の花、花、花。ひらひらと散り続ける桜の花弁は儚くてただ美しかった。
「どう?すごいっしょ」
「綺麗、だね」
それ以外の言葉を明希は持たなかった。それはただただ美しい光景だった、恐ろしいほどに。今日のこの日を明希が忘れることは永遠にないだろう。だからこそ、怖くなった。理由はよくわからなかった。そして瑠璃色の夜空が遠く霞むくらい絢爛に咲き誇る花に見惚れる彼の手を、思わず掴んだ。
「どうしたの、珍しく積極的〜」
「あ…いや、その…なんとなく」
茶化す彼の言葉に、いつものように軽く返せない。振り返ったあなたがあまりにも綺麗で、今にも消えてしまいそうで。ただそれをうまく言葉にすることは出来なくて。なんとなく、彼が桜吹雪の中どこか遠く、私の手の届かないところへ行ってしまいそうな気がして。そんなこと、あるはずがないのに。こんなにも近くにいるのに。まるで置き去りにされた子供のような不安な心のまま、明希は彼の手を掴んでいた。
「心配しなくたって俺はどこへも行かないよ」
そんな明希に彼は笑って、自由な反対の手で迷子の子供へするように明希の頭を撫でた。その長身に見合う大きな手は温かくそこにちゃんと彼がいることを証明する。
「明希さん。来年もまた、絶対ここに来ような。約束」
そう言って彼は笑って指切りをした。
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待ち合わせ時刻は二十二時、麒麟像の前だった。青銅の翼を泰然と広げる雄々しい姿の下には長身の、男にしては割合に長い髪。春とは言え未だかすかに寒さ残る季節だというのに彼は薄そうな青の上着一枚で、手元のスマートフォンを見つめていた。
相手は恐らく彼の知己である松田、とやらに違いない。明希自身会ったことはなかったが、会話の中で『松田』の名が出ない日はないし、誰とやり取りをしてるのか聞けば大概は彼だった。どんな男かと聞いて写真を見せてもらったこともある。この眼前の優男を体現する彼とは違って、なんとはなしにやんちゃそうな青年だったような気もするが、正直よく覚えていない。
首を長くしているだろう彼に研二くん、と声をかければ彼はぱっと顔上げて嬉しそうにこちらを見た。
「明希さん!」
「ごめん、待った?」
ニコニコとご機嫌そうに微笑む彼はきっと、約束の時間の二十分前には確実にそこにいたのだろう。彼との待ち合わせで、緊急出動によるすっぽかしは幾度かあれどそれ以外で私が先に待つ事はほとんどといってなかった。とりあえずの形式ばった言葉を言えば彼は予想通り首を振った。
「ううん、ぜーんぜん」
軽やかな声音に、流れるような所作に、手を取られるまま二人連れ立って歩む。これからどこへ行こうとしているのだろう。ただいまの時刻は二十二時。そろそろあちこちの店舗が閉店する頃だ。不思議に思いこそすれ、明希は特別何か言うこともなく彼に導かれるまま歩いた。
「ごめんね、無理言ってさ」
「それは平気だけど…珍しいね。研二くんからこんな時間にデートのお誘いなんてさ」
これまでに夜のデートがなかったとは言わない。ただ明希は明希で不規則に複数の仕事を掛け持ちしていたし、彼は彼で特殊な仕事をしているものだから仕事上がりに待ち合わせをすることは基本なく、確実に休みを取れる日くらいしかデートらしいデートをしたことなどなかった。
「どうしても今日、明希さんに会いたくっなっちゃって」
「どこ行くの?」
「まだナイショ」
まっすぐ前を見る彼の、高い位置にある顔。見上げれば垂れ目を目一杯下げた、いらずらっぽい笑みが私の視線を受け止める。
「よし、じゃあここからは目閉じて」
時間にして十数分、どこへ、何しに行くかも問わぬまま彼に着いて歩くと、唐突に彼は立ち止まり言った。しかしこの暗がりでさらに視界を失くすことに、明希は少し不安げに彼を見た。
「大丈夫、ちゃんと繋いどくから」
そんな明希の不安を拭うように、繋がったままの2人の手を少し持ち上げて彼は笑った。
***
「目、開けて」
数分の後、言われるがままに目蓋を開いた。
「じゃーん」
気の抜けた誇らしげな声がどこか遠く聞こえるようで。そこにはただ一面の薄紅の花、花、花。ひらひらと散り続ける桜の花弁は儚くてただ美しかった。
「どう?すごいっしょ」
「綺麗、だね」
それ以外の言葉を明希は持たなかった。それはただただ美しい光景だった、恐ろしいほどに。今日のこの日を明希が忘れることは永遠にないだろう。だからこそ、怖くなった。理由はよくわからなかった。そして瑠璃色の夜空が遠く霞むくらい絢爛に咲き誇る花に見惚れる彼の手を、思わず掴んだ。
「どうしたの、珍しく積極的〜」
「あ…いや、その…なんとなく」
茶化す彼の言葉に、いつものように軽く返せない。振り返ったあなたがあまりにも綺麗で、今にも消えてしまいそうで。ただそれをうまく言葉にすることは出来なくて。なんとなく、彼が桜吹雪の中どこか遠く、私の手の届かないところへ行ってしまいそうな気がして。そんなこと、あるはずがないのに。こんなにも近くにいるのに。まるで置き去りにされた子供のような不安な心のまま、明希は彼の手を掴んでいた。
「心配しなくたって俺はどこへも行かないよ」
そんな明希に彼は笑って、自由な反対の手で迷子の子供へするように明希の頭を撫でた。その長身に見合う大きな手は温かくそこにちゃんと彼がいることを証明する。
「明希さん。来年もまた、絶対ここに来ような。約束」
そう言って彼は笑って指切りをした。
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