6月第3週目:木曜日
買ったばかりのお気に入りの小説の続編を読んでいるとき、安斎さんと結城さんに聞かれて驚いた。
「塩見さんは赤葦と付き合ってるの?」
教室の隅にいる私とは違って、2人は教室の真ん中でおしゃべりに花を咲かせるような、普段なら絶対に話さないタイプの人達。私の苦手な人達。
「別に付き合ってないけど」
「ふーん」
結城さんが曖昧な相槌をすると、会話はそこで途切れてしまう。
どうして話しかけてきたんだろう。私になにか用事があるとはとても思えない。思い当たることがあるとしたら、今聞かれた赤葦くんのことくらい。
思い返せば、最近は事ある毎に赤葦くんが側にいる気がする。最初の席替えから始まり、体育祭では人生初のお姫様だっこをされ、そのあとは2人でお出かけ。それ以外にも、気付いたら赤葦くんはいつも私の側にいる。ハイスペックイケメンとして人気を集めている赤葦くんが私なんかといたら、そりゃあ不愉快ですよね。よくある「私の方が赤葦くんのこと好きなんだから!」とかそんな感じですよね。
あ、どちらが赤葦くんを好いているのかは知りませんけどね?
「赤葦くんを呼び出すなら、放課後よりもお昼休みが良いと思う」
「は?」
「放課後は部活の先輩がうるさいらしいから、お昼休みだったら時間作れるって」
「ちょっと待って」
安斎さんは思ったよりずっとかわいらしい声をしていた。つまらない表現だけど、鈴を転がすような声とはこの事だろう。
「塩見さん、勘違いしてない?」
はて。勘違いとはなんの事やら。
これってドラマとか小説でよくあるやつじゃないの?違う?
「嘘でしょ?」
「マジか…ちょっと石原ー!」
驚愕の表情を浮かべながら、結城さんは更に人を呼んだ。
え、なになに、なんか分岐間違えてた?うっかりリンチフラグでも回収した?できれば痛いのは避けて通りたいんだけどなぁ。
「なにー?」
「ヤバい、塩見さん全然気付いてない」
「だろうね」
「あんたわかってたの?」
「うん。逆になんで結城は気付いてると思ったの?」
「だってあんなに分かりやすいのに」
「いやいや、だって相手は塩見さんだよ?」
「安斎は?」
「まぁ予想は出来たかなぁ」
「マジ?」
…私の前で、私そっちのけで私についての会議が始まったんですけど。
え、なにこれ貶されてる?少なくともほめられてはないよね、私貶されてるよね。
3人を無視して本を読むのも少しばかり違うので、ただ目の前の話し合いが終わるのを待つことしかできない。
本の続き気になるから、その会議が終わるまで読んでちゃだめかな?でも読んでたからって怒られるのもなんかやだ。それよりも私が怒ってもいいよね?
「塩見さん」
「なに?」
ようやく話がまとまったのか、石原さんが私を呼んだ。どの角度から見ても真っ黒な私と違って、ほんのり茶色い石原さんの目と向き合う。
「私はね、幸せになってほしいの」
誰が?と思った私は間違えてないだろう。
「そのためなら私は親戚のおばちゃんレベルのウザさすら発揮できると思う」
いや、なんの事かさっぱりだけど。
「だからね、勝手に協力しようと思うの」
だからなにに?!
お願いだから私にもわかるように話して!
「私は隊長で、結城は特効隊長、安斎ちゃんは官房長官」
「なにそれ初めて聞いた」
「なんで官房長官?」
「なんとなく。守秘義務があるから誰とは言えないけど、こうなったら積極的に干渉していこうと思うのでよろしくお願いします」
…え。
「やだ」
「だよね。ほら、やっぱりやめようよ。馬に蹴られるよ」
「本望だよ!もう見てるこっちがヤキモキするんだもん!なんとかしたいの!私のこの気持ちを!」
「結局お前のためかーい」
よくわからないからとりあえず拒否してみたけど、どうやら効果がないらしい。
おかしいな、今までなら大抵の人はみんなこれで距離を作ってくれてたんだけど。だってみんな、仲良しこよしが好きじゃない?
「大丈夫、ウチのクラスはみんな入隊してるから」
「クラスを巻き込むな」
「まぁ女子は確実にみんな気付いてるからねぇ」
「塩見さんって天然だったんだね」
「それはない」
「というか鈍い?」
渾身の否定はなかったことにされたらしい。
あとそれは悪口かな?そろそろおこだよ?
「塩見さんも幸せになってほしいの」
「はぁ…」
でも幸せとは人によって違うもので。石原さんの幸せのために私が幸せになれるかと言えば、それは全く違う話だと思う。
「いーい?ちゃんと聞いてね?赤葦くんは優しいけどね、誰にでも優しい訳じゃないの」
そりゃあ、嫌いな人には優しくできない人が多いでしょう。そんな人は聖人か天使に違いない。
「塩見さんだから優しいんだよ」
そんなことはないと思う。そんな自惚れてたら気持ち悪いじゃないですか、なんてとても言えなかった。石原さんの目がひどく真剣だったから。
私は、その目をとてもよく知っているような気がする。
「石原ちゃん、そろそろ」
「だね。ほら行くよ」
「嫌だー!」
「うるさい!」
「あいてっ」
言葉が出なくなった私の為か、単に時間が差し迫っているからか。まだ話足りないらしい石原さんを引きずるようにして、2人は私の前から離れていった。
…初めて話したけど、嵐のような人だった。私はただ静かに生きていきたいのに。面倒な柵に動きを制限されたくないし、それによって迷惑をかけたくないから離れるのに、どうして賑やかな人と知り合いになるんだろうか。数少ない友人しかり、さっきの3人しかり。赤葦くんは、本人は賑やかじゃないけど周りがいつも賑やか。
これについて困るようなことはない…とは言い切れないけど、ちょっと面倒だなと思うだけ。だけどこうして知らない人にありもしないことで聞かれるのは、すごく嫌だ。
「大丈夫?元気なさそうだけど、何かあった?」
いつの間にか戻ってきていた赤葦くんに声をかけられて、少しだけ驚いた。
「ごめん、驚かせた」
「大丈夫」
確かに赤葦くんとはよく話す。男子の中ではダントツだ。席が隣なのはかなり大きい理由だと思うけど、そうでなくてもよく話しかけられる。
それと、赤葦くんは私の事をよく見抜く。今だって顔には出なかったはずなのに、どうして赤葦くんは私が驚いたと思ったんだろう。それに、困ってると然り気無く助けてくれる。
「そう?」
首を傾げながら赤葦くんは授業の準備を始める。私は閉じていた本を再び開く。
ああ、そう言えば赤葦くんとはお昼をたまに食べるようになった。1度だけ一緒に食べた事があったけど、それからはたまにお弁当やパンを持って訪ねてくるようになった。これは少し…いや、かなり困る。あの場所教えなければよかった。
「そうだ」
思い出したように声を出した赤葦くんは私の机に手を出した。その手は緩く握られていて、なにか中に入っているだろうことはすぐにわかった。
「さっき吉田さんに会ったんだけど」
「梨恵に?」
「これ、塩見さんにって」
本を離さないとわかったのか、ころりと机に転がったのは四角いキャラメルラテの飴。
「塩見さんが好きな味だからって預かったんだ」
「ありがとう」
そんなこと言わなくてもいいじゃない。梨恵に餌付けされてるみたいでちょっと恥ずかしい。間違いなく好きだからもらうけど。
「塩見さん、キャラメル好きだよね」
「どうして?」
「前に頼んでたコーヒーもキャラメル使ってるやつじゃなかった?」
「そうだっけ?でも本物のキャラメルはあんまり好きじゃない」
「そうなんだ」
ああ、そうじゃない。そんなことを言いたいんじゃない。
赤葦くんはこう、気付いたら私の中に侵略しようとしているってこと。思わせ振りな態度と言葉で意識を拐う。そしてゆっくりと、じんわりと染みるように、私の無意識の部分に忍び込んでくる。
まるで私が私でなくなるよう。
「先生来るよ」
ふと怖くなって、無理矢理赤葦くんとの会話を終わらせてしまった。
『塩見さんは赤葦と付き合ってるの?』
女の子と赤葦くんの距離が突然近くなったら、確かにそう思うのかもしれない。勘違いするなというのは難しいけど、勝手に勘違いしているのならやめてあげればいい。やめてほしい。そう思っても、聞かないでほしい。
でもきっと、それは難しいことなんだと思う。学校と言う小さな世界では、誰もが新しいなにかを求めてる。たとえば新しい範囲、新作のお菓子。誰かの恋愛といった学内ゴシップ。
それら全てが不愉快なら、私から離れてしまえばいい。
人前でイチャつく趣味はありません