7月第2週目:月曜日

目が回る、気持ち悪い。目を開けていることすら辛くて、視界はすでにシャットダウンしてる。フラリフラリ頼りなく揺れる足に反して、体は大きく揺れない。それはきっと、赤葦くんがすごく気を使ってくれてるから。

石原さんたちに話しかけられたあの日から、ずっともやもやしっぱなしなことがすごく不愉快だった。どうして気にしてるのかもわからないし、何が気になってるのかもわからない。だけど、絵に集中している間だけは、説明のつかないこの気持ちを忘れることができた。だから私は、いつも以上に必死になってたのかもしれない。
結果としてそれが悪かったんだと思う。休憩なんてすっかり忘れていた私の体は、私の言うことなんてこれっぽっちも聞いてくれそうにない。夏が近付くにつれて気温は上がるし、今はまだ湿度も高い。せめて水分だけでも意識的にちゃんと取るんだった。

気持ち悪い。お昼前で空っぽの胃が、小さな子供みたいに勝手に動いて暴れてる。
体調が悪くなるとどうにも不安になって、無性に何かにすがりたくなるのはどうしてなのか。私は真っ暗にした視界の中で、なにも考えず指先に触れる布を握った。

ほんの少し、私を支える腕の力が強くなった気がした。

「失礼します」
「あら。やけに見覚えのある2人だけど、今日はどうしたの?」
「校外写生やってたんスけど、熱中症起こしたみたいで」
「あらまあ。こっちに寝かせてあげましょうか」

ひんやりとした空気に晒されながら、あまりきちんと考えられない頭の中を赤葦くんと保健の先生の声が素通りしていく。無意識に保健室に信頼を寄せているのか、ほんの少しだけ気持ち悪さが和らいだ気がする。

「誰にも言わず保健室に来たので、連絡していいですか?」
「担任の先生には内緒にしとくわね」
「ありがとうございます」

降ろされたベッドは冷たくて、布を掴んでいた手に力が入った。直ぐにほどいたけど。
たぶん、掴んでたのって赤葦くんの制服だよね。シワになってないかな。と言うか、また赤葦くんに迷惑かけてる。また、なにか言われる。

「、かあしくん」
「なに?塩見さん」

掠れてほとんど音にならなかったのに、赤葦くんはちゃんと拾い上げてくれた。
回る視界の中で見えた赤葦くんは、たぶんいつもと同じ顔をしていたと思う。

「無理しなくていいよ。辛いなら目閉じてていいから」
「ごめん」

赤葦くんは片手で私の目を覆ってしまう。真っ暗になったのに、まだ回ってる感覚がする。

「今回のことなら謝らなくていいよ。ちょっと強引にここまで連れてきたし」

赤葦くんにしては引っかかる言い方。それにあのままだったら私はあの場所で倒れていたかもしれないのだから、感謝こそすれど私がとやかく言える立場ではない。

「戻って先生に話してくるから、塩見さんは休んでて」
「ごめん、迷惑かけて」
「気にしないで」

赤葦くんは優しい。今だって私が気にしないように、言葉を選んでくれているのがわかる。
その優しさが、麻酔のように私の思考を鈍らせる。ほんの少しの勘違いを生む。

「ちゃんと話しておくから」
「うん」

私が今、赤葦くんに手を伸ばしたら、赤葦くんはきっと掴んでくれる。行かないでと言ったら、ここにいてくれる。
実際やってみたら掴んでくれないかも知れないし、次の授業もあるからここにいてくれるわけもない。だけど、赤葦くんはそう思わせることばかりする。

「だから今は休んでて」

全部私がちゃんと言わないからいけないんだろうけど、赤葦くん、勘違いを肯定するような態度ばっかりとるんだもん。態度が、言動が、その目が、私に完全な否定をさせてくれない。

目は口ほどにものを言うって本当なんだ。

「お昼食べ損ねちゃうわよ」
「あ、はい。もう戻ります」

赤葦くんは気付いたら私の中に侵略していた。いつからなんてわからない。私の無意識の部分に忍び込んでいて、隙あらば私の意識を華麗に拐っていく。私の心なのに、今では全然わからない。
違う。わからないんじゃない。認めたくないだけ。気付いてしまったから、私は私でなくなってしまったのか。

「じゃあ、後で」

悪いとは思いつつも返事はしなかった。返事なんてしたら、勘違いをしたまま手を伸ばしてしまいそうだったから。



不機嫌な理由は教えられません