7月第3週目:月曜日

塩見さんを保健室まで運んだ次の週の、同じ時間にそれは言われた。

「赤葦って分かりやすいよな」
「なにが?」
「見すぎ」

佐藤が指す先にいるのは、今日も直射日光の下で黙々と画板の上に絵の具をのせる塩見さんがいる。

「え、そんな事ないけど」
「いーやあるね」

そんなつもりは全くなかったけど…

「ガン見って訳じゃねーけど、気にしてんのまるわかり」
「…そう?」
「先週倒れてるの目撃してるから気になるのもわかるけどよー」

確かにまた倒れやしないか気になっていたけど、まさか指摘されるほど気にしていたとは…

「まぁ気になるよな。日傘でもさしてそうな塩見さんが、日焼けもなんにも気にしないで描いてるんだもんな」
「…まぁ」

つーかなんでいるんだよ。お前は描かなくていいのか?俺は描くぞ?

「…なんか意外だよな」
「なにが?」
「塩見さんがあんな真剣になってるの初めて見たからさ」

ああ、なるほど。俺は真剣に食品サンプルを見ていたのを知ってるし、美術の時間にテンションがあがってるのも知ってたから今の塩見さんも想像できたけど、それを知らないとそんな反応にもなるか。
と言うか、それでどうして先週もっと早く気付けなかったんだ…俺もバカだったのか…

「赤葦知ってた?」
「想像はできた」
「さすが」

なにがさすがなのかわからなかった。わかってたのに倒れるまで気付けなかったんだから、想像できたって意味がない。その先を実現できなきゃ意味なんてないんだ。

「やっぱ本気なんだなー」
「なにが?」
「塩見さんだよ」

やっぱり佐藤の言ってる意味がわからない。

「すっとぼけんなって。好きなんだろ?」

瞬間。絵の具のチューブを握りしめてしまった。

「うわっ!なにしてんだよ!」
「悪い」

ざっとみたところどっかに跳ねたりもしていない。被害がパレットの上だけで良かった。
え。俺ってそんなに分かりやすかった?こんなあからさまに動揺してたらそりゃあわかると思うけど、今までこんなに分かりやすくはなかったはず。

「いいけどよ、お前マジ気付いてなかったの?」
「なにが?」
「赤葦塩見さんのこと見すぎ」

そんなに見てたつもりはない、けど…

「え、そんなに?」
「意外だよな、赤葦はもっとうまく隠すタイプだと思ったから」
「いや、え?」
「俺らは応援してっからさ」
「ありがとう…?」

いや、そうじゃない。今複数形だった。バレてるのは佐藤だけじゃない。誰だ。

「じゃ!俺戻るわ!」
「あ?おー…」

うん。佐藤はちゃんと描け。居残りになるぞ。それとお前以外で気付いてる奴は誰なんだ。何人いるんだ。応援とかいらないから黙っててくれ100円あげるから。
…なんだろう、この敗北感。そして疲労感。

不意に塩見さんと目が合う。いつもと変わらない様子でフラりと軽く手を振られたので、俺も手を振り返した。
別に塩見さんをずっと見ていたつもりはない。だけど、目が合ったってことは間違いなく塩見さんを見てたってことなんだろう。塩見さんのことだから、きっと視線に気付いてこちらを見たんだろう。

この際、佐藤にバレてるのは(他何人にバレてるのかわからないけど)構わない。塩見さん本人に気付かれてなければそれでいいってことにしよう。

パレットの上で絵の具を練っていたら、塩見さんが近付いてくるのが見えた。
今回は見てたんじゃない。偶然視界に入っただけ。

「どうしたの?」
「先週のことがあるから、ちょっと休憩。また赤葦くんに迷惑かけるのも悪いから」

自分で気を付けるようにしてくれて本当に良かった。あと、迷惑とか少しも思ってないから気にしなくてもいいのに。

「…少し見ててもいい?」
「え?いいけど、俺うまくないしおもろくないと思うけど」
「そんなことない。すごく綺麗」

隠せるサイズでもないのでそのまま見せたけど、塩見さんがどこを気に入ったのか俺にはわからなかった。
俺より塩見さんの方がよっぽどうまいし、丁寧に色をのせている。どこを見たらそんな言葉が出てきたんだろう。

「俺は塩見さんの絵、いいと思う」
「見たことあるの?」
「はっきりとは見えないけど、ここからでも見えるよ」
「嘘だぁ」
「視力いいんだ」
「…ホントに?」
「うん」
「ありがとう…」

ほんの少し伸びてきた髪に触れながら視線は左下。

「線が柔らかくて、すごく塩見さんっぽいと思う」
「そう?」

絵を見ただけじゃ本人がどんな人かなんてわからないけど、俺は塩見さんを知ってるからそう思える。優しい色で、丁寧に切り取られた紙の中。

「俺は塩見さんみたいに描けないから」
「でも、私は赤葦くんと同じ色はのせられないよ?」
「大体同じじゃない?」
「大体はね。だけど少しずつ違う。色とか、感じる雰囲気とか」

まぁ視力とかそう言うのが影響してくるから、みんながみんな全く同じものが見えてるわけではないか。

「絵を見てるとね、その人が見てる世界を少しだけでも知ることができるような気がする」

確かにそう言われればそうなのかもしれない。俺に塩見さんの見てる景色がわからないように、塩見さんにも俺が見てる景色はわからない。

「だから私は絵が好きなの」
「…そっか」

初めて聞く塩見さんの考え方は新鮮だった。
絵を見るとき、1度もそんな風に考えたことなかった。

「私…」

珍しく塩見さんが言葉に詰まった。どもることはあっても、言葉に詰まることは今まであまりなかったはず。
なにか言いたいことがあるのはわかるので、少し待ってみる。こう言うときは急かされると余計に纏まらなくなるものだから。

「私、赤葦くんの見てる世界が見たい」

その言葉が何を意味するのか、正確なところはわからない。だけど、塩見さんの絵に対する姿勢を聞いてしまったから、塩見さんの表情が見えてしまったから。
期待したくなる。

「俺も、塩見さんの見てる景色を見たいと思うよ」



どうせなら、一歩進んでみませんか?