7月第3週目:月曜日

私にしては、すごいことを言ったと思う。
かまかけるってわけではないけど、あんな説明までしてから言うとか、ホントやめれば良かった。しかも冷静に返事されるし。
あのあと画板の前に戻って、赤葦くんを一切視界に入れないようにした。ついでにチャイムが鳴るより早く片付けて、赤葦くんと話すことなく第1美術室まで逃げるように戻った。
…そんなことをしても、教室では隣にいるんだけど。

熱中症で倒れた次の日、石原さんに言われたことを思い出していた。『赤葦くんは誰にでも優しい訳じゃないの』
それがどういう意味かわからないほど間抜けなつもりはない。だけど、勘違いの可能性も捨てきれない。私の気持ちすらわからないのに、他人の気持ちなんてわかるわけがない。

『塩見さんだから優しいんだよ』
そう言った石原さんの声が頭から離れない。

『側にいて助けてあげるから』
霞む意識のなかで言われた言葉が消えない。

どうしてみんな言葉を濁すのか。濁されたら私もちゃんとした答えを返せるわけないじゃない。ちゃんと伝えてくれなきゃ正確な答えなんて返せないよ。

私は走って教室に戻り、鞄を引っ付かんで教室を飛び出した。

「あれ?どしたの?」

私が向かったのは、この学校で唯一私にしつこく話しかけてくれる友人。

「梨恵…」

思った以上に声が出なかった。それでも梨恵はちゃんと拾ってくれて、私のために友達との話を切って、鞄を持って来てくれた。

「透子、いつものとこ行こ。いい?」
「うん」

梨恵に連れられるまま、隠れるように第2美術室へ滑り込んだ。少し離れたところにある第1美術室は、きっともう誰も残ってない。画材さえ置いてしまえば今日はそれで終わりだったから。

適当な机で2人向かい合う。遠く聞こえるざわめきが、何故かリアリティーを奪っていく気がする。
何から話せばいいのか、そもそも何を話すのが正解なのかわからなくて、言葉が見つからないままただ黙ってしまう。

「どしたの?透子らしくない」

私らしさって、なに?

「わかんない」

頭のなかぐちゃぐちゃで、どうすればいいかわからない。何を言えばいいかもわからないんじゃ、梨恵にだってなにも伝わらないのに…

「やなことあった?」
「どうして?」
「だって泣きそう」

ああ、それは確かに私らしくない。なに考えてるかよく分からないと言われることばかりの私が、まさか泣きそうだなんて言われると思わなかった。

「赤葦くんになにかされた?」
「なんで、」

梨恵がそう、思ったのか。

「透子がちゃあんとお話しする人って少ないから、消去法?」

確かに少ないけど、それだけで赤葦くんになる?

「赤葦くんは大丈夫だよ」

なんのことを言ってるのかわからない。
いつもわからないけど、今日はいつにも増して梨恵がわからない。私の頭がごちゃついてるから、よけいに。

「もしも泣かされたなら槍と盾持って突撃するからね」

戦うの?赤葦くんと?
梨恵のことだから、簡単にあしらわれるか丸め込まれてしまいそう。

「お、笑ったねー」
「私笑った?」
「うん。なにかあったら、わたしが守ってあげるから安心して任せてね!」
「それは俺に任せてもらいたいかな」

梨恵の声に続けて、聞こえるはずのない声が聞こえてびっくりした。
振り返れば、ドアのところに赤葦くんが立ってる。なにも持ってないから、第1美術室で画材を置いたその足でここに来たのか、それともわざわざ私を探したのか。私と比べて梨恵がまったく驚いてないのは、赤葦くんがここに来た瞬間から見えてたんだろう。

「透子のこと泣かせるような奴には任せられないのだよ!」
「泣かせてないよ、まだ」
「泣かせる予定でもあるんですかー?」
「ないけど、不可抗力もあるし」

そうじゃなきゃそんなスムーズに話せるわけがない。

「今は塩見さん貸してもらえる?」
「噂はホントだって信じてもいいのかな?」
「どんな噂か知らないけど、悲しませないようにするよ」
「仕方ないなー」

え。

「ま、まって!」

美術室から出ようと席を立った梨恵を引き止めた。
たぶん、今、すごく情けない顔してる気がする。だって赤葦くんから逃げてここまで来たのに、結局見つかったどころか捕まったような状態なんだから。

「だーいじょーぶ。ねぇ?」
「うん」

何を根拠に何に対しての大丈夫なのかわからない。

「後で教えてね」
「…うん」

梨恵がドアから出るのと入れ替わるように、赤葦くんが近付いてくる。逃げるにも、運動部男子から逃げられる自信はない。あと、逃げたところで教室が一緒で、あまつさえ席が隣りなのだから結果として捕まる。
それならおとなしく今捕まったほうがいい。

「塩見さん」
「なに」
「今から言うことは全部本当のことで、嘘なんて言わないから」

そんなの簡単に信じられるわけないでしょう?
そう思ったけど、それ以上なにも言わない赤葦くんの目はどこまでも真剣で。それなら、1回だけ、と。



甘い言葉に騙されてみました