4月第2週目:金曜日

この学校は、体育祭を5月に行う。クラスの親睦を深める意味合いもあるとかなんとか理由があってこの日程らしいが、始業式から約1ヶ月半で体育祭とは如何なものか。

正直な話、私は運動が苦手である。私の数少ない友人はどちらかと言うと運動が出来る方なので、これに関しては全く意見が合わない。どうにかこうにか、あらゆる手を駆使して体育祭を全力で回避したいところなのだが、今回はそうもいっていられなくなった。まさかの騎馬戦出場決定である。しかも騎手である。なんてこった。
女子の騎馬戦ほど怖い競技はなかなかお目にかかれないであろう。だって引っかかれるし髪引っ張られるし殴られるし。もっとスポーツマン精神で挑んできて欲しいものだ。そんなもの私も持ってないけど。

ため息をついても少しも気分が晴れない。きっと本当に幸せが逃げ出しているのだろう。裸足で全力で私から逃げ出しているのが想像できる。

そんなことを考えながら移動教室の帰り、今回はクラスのみんなよりゆっくり特別教室を出て、ぼんやり上の空で歩いていたのがいけなかったのか。

「ひゃっ!?」

冗談みたいに階段を踏み外した。

登っているときだったらまだよかった。足とか腕とか、アザや擦り傷をちょっと作るくらいですんだだろうから。しかし今は下りである。ついでに踊り場から少し降りたところで高さはまだかなりある。落ちたらとても痛いだろう。手には教科書ファイル筆箱なんかを抱えているし、なにより強張った手を伸ばしたところで手すりは見つからなかっただろう。痛いのはやだな。でもうまいこと体育祭休めるかも。

なんて思っていたら、落ちなかった。
階段の1番下まで転がり落ちたのは、教科書と私の間に挟まれる苦しみからいち早く逃げ出した筆箱だけ。あと、段差に引っ掛かって脱げた上履きが落ちきらずに足元に転がってる。
それらの持ち主たる私はと言うと、誰かに抱えられていた。ぶつけたのか少しだけ足が痛いけど、大きな怪我をしなくてすんだわけだ。が。現在の状況の処理が追い付かない。私の頭はキャパオーバー寸前である。心臓破裂する。貴様何奴。

「あ、ありがとうございます…」

誰だかわからないけど、とりあえずお礼を言わねばと思ったのだが、私は自分で思っている以上に混乱していたらしい。危なく「かたじけない」とか言いそうになった。
やっぱり時代物読むのは控えようかな。

「間に合ってよかった…」

細く伸びる息と一緒に後ろから聞こえた言葉に、また落ちそうになった。まだしっかり腰の辺りを抱えられてるので落ちたくても落ちられないけど。
男子だろうな、とは思ってた。女子は咄嗟に手が出ない。出たとしても一緒に落ちる。あと、今、背中にある感覚が、女子じゃない。

「怪我してない?」
「っ、あ、はい、大丈夫デス」

結論から言おう。私を助けてくれたのは赤葦くんだった。

「塩見さんも驚くと声出るんだね」

私の足元がしっかりしたのを確認して、赤葦くんは笑いながらもようやく私の体を離してくれた。

「いや、すっごい声ひっくり返ってたから忘れて」

と言うか、赤葦くんは私をなんだと思ってるのか。私も人間だから、びっくりしたら悲鳴くらいあげるわ。

「驚くと声出ない人っているじゃん?そのタイプかと思ってた」
「出ないときもあるけど、気が抜けてるときは出るときもある」

脱げた上履きを突っ掛けて下まで逃げ出した筆箱を追いかけると、赤葦くんがついてくる。行き先が同じだから当然なんだけど。

「考え事?」
「んー…」
「俺でよかったら相談乗るけど」
「そんな大層なものじゃなくて、体育祭どうやって休もうかと思って」

布製の筆箱は壊れてないけど、中のペンが割れてないか気になる。インク漏れとかしてないといいんだけど。

「階段から落ちそうになるくらい嫌なの?」
「今年は騎馬戦から逃げ切れなくて…」

赤葦くんと並んで教室に向かう。最近わかったことだが、赤葦くんは意外なことに話すことが好きらしい。今のように私の話を聞くこともあれば、自分のことを話してくれることもある。

「…ああ」
「リレーも選ばれちゃったし、障害物出なきゃいけないし」

足遅いって言ってもなぜかみんなわかってくれない。自分が出たくないだけに違いない。どうして文化部の私が運動部に混じって走るんだ。高橋さんバスケ部なんだから代わってくださいお願いします。

「運動苦手?」
「得意じゃない。暑いの好きじゃないし」
「うん。そんな感じする」

まぁ、決まってしまったことにいつまでも文句を言ったところで、どうにかなるわけもない。それなりに頑張る。騎馬戦は退避に専念する。

「あ、私ロッカー寄るから、先入ってて」
「わかった」

便覧はまだロッカーから出してなかったはず。そう思ってロッカーの中を覗きこんだ時だった。

「当日は怪我、しないようにね」

赤葦くんとは、さっき階段で助けてもらったときより、よっぽど距離があった。それなのに耳に届いた声はその時よりもはっきり聞こえて。

私はロッカーに頭を突っ込んだ。



声が優しいのはずるいと思います