5月第2週目:水曜日

梅雨の足音もまだ遠く、晴天を仰ぐ5月も半ば。梟谷学園は体育祭を迎えていた。
とは言え、プログラムは午後の競技をいくつか残すだけとなっている。次の障害物は、塩見さんが出るはず。

「赤葦!悪い!」
「…どうかした?」

突然謝られるかとはしていないつもりだが、なんとなくなんとなく想像はできる。

「安田の代わりに借り物出てくれー!」

そんなことだろうと思ってた。

「わかった」

プログラム的に、借り物はもう集合しなくてはいけないはず。ゆっくりひっそり塩見さんの応援をしていようと思ってたのに、うまくいかないものだ。

イベント性の高い競技は、運動をあまり得意としない人が参加することが多い。結果、身長的に周りから頭ひとつ飛び抜けた俺は、並びながら障害物競争を見ることができた。

ちなみに、今日の塩見さんはいつもは結んでいない髪をひとつに結んでいる。多分ポニーテールってやつだと思う。ポニーテールの定義がわからないから、本当にそれなのかもわからない。午前中のリレーで揺れる髪を見て、しっぽみたいだと思ったからそうだと思ってる。
ちなみに、騎馬戦は逃げに徹しようとして失敗して、無表情のままあっさりはちまきをとられていた。

『──第4走者の皆さん、位置についてください』

マイクを通した時特有の、少しトゲが立つ声に意識が集中した。塩見さんの番だ。
さっきのリレーを見てても思ったけど、塩見さんは運動が苦手と言ってたわりに、かなり運動神経がいい。ほんの少しの距離を走ってから、スプーンにピンポン玉を乗せて走る。ピンポン玉を落とす人がいるなか、塩見さんはほとんど通常の速さで危なげなく走って、その後はネットを潜り抜け8段の跳び箱を飛び越える。最後の平均台も問題なく走り抜けると思っていた。

跳び箱を飛んだ辺りから、どこか様子がおかしい。ペースが落ちた。疲れるほど全力疾走しているようには見えない。いや、見えないだけで本人は全力かもしれないけど。
思っていた以上の安定を見せながらまっすぐ平均台を渡り終え地面に足をついた瞬間、塩見さんがバランスを崩した。すぐに持ち直して何事もなかったように1番にゴールテープを切ったが、その時ようやく塩見さんのペースが落ちた理由がわかった。少なくとも、体育祭直前までどうやったら休めるか考えていた人の取る行動ではない。
そんな俺の心配を余所に、塩見さんはいつもの無表情さでおとなしく座っている。

「借り物競争の皆さん、移動お願いします」

障害物と入れ替わりで始まる借り物に出なくてはいけなくなったことを、本当に少しだけ恨んだ。確証はない。でも、間違ってないとも思う。

「あかーしー!勝てよー!!」

次第に回ってくる順番を待つ間、しつこく聞こえてくる木兎さんの声は聞こえないふり。そもそも縦割りのチームだから、木兎さんと俺は敵になっている。応援したらダメじゃないのか?なんて問いは、木兎さんには愚問だろう。そもそも負けるつもりもない。火薬の弾ける音に飛び出した。

あいにくこの手の競技は初参加になる。勝手こそわかるものの、妙な緊張感はどうしても拭えない。台の上に、飛ばないように置かれた紙を1枚とる。

お題を見た瞬間、考えるよりも先に体が動いた。
ざわつく人混みの中には、同じような髪型の人はたくさんいる。その中から、まだクラスに戻ってないはずのしっぽを探す。

「塩見さん!」
「…え?」

見つけたと同時に名前を呼んでいた。呼ばれた本人は至って無表情なのに、何で呼ばれたのかわからないといった雰囲気。

「あれ?赤葦くん借り物だっけ?」
「安田の代わり。それより塩見さん、一緒にいい?」
「私なら構わないよ」

なぜ呼ばれたのかすぐに理解した塩見さんは、ひょこりと人混みから抜け出してくれた。

「じゃあ失礼して」
「え…」

瞬間、周りから男女問わず悲鳴が聞こえる。
塩見さんの表情がここまで変わったのは初めて見る。いきなり抱えられたら誰でも驚くだろう。当たり前のことなのに、塩見さんが驚いた表情を作ったことが意外で仕方ない。階段から落ちそうになった時も、こんな表情をしていたんだろうか。

「ちょ!赤葦くん!?」

そして恥ずかしそうにするのも初めて。
もう少し見ていたいけど、とりあえずこの競技を終わらせることが先だ。

「落とすつもりはないけど、走るから掴まってて。キツかったら言って」

そう言うのとどっちが早かったか。走り始めると、塩見さんは慌てたように俺の体操着を握った。とは言え、少し摘まむ程度しか掴まっていないから、正直落としそうで怖い。落とさないけど。
全力で走るわけにもいかないし、あまり揺れて怖い思いをさせたくもない。心配でちらりと塩見さんを見たら顔がひきつってて、申し訳ないと思いつつも少し笑えた。

「よ、赤葦。お疲れー」

借り物の判定はどうやら木葉さんがするらしい。

「お疲れ様です」
「めっちゃ目立ったな。とりあえずお題見せろよ」
「それなんですけど、握りつぶしてしまって」
「マジか」
「だから開いてください」

木葉さんは首をかしげながらも、塩見さんに一声かけつつ俺の手からお題の紙を取った。

「あの、赤葦くん」
「ん?」

木葉さんがお題の確認をしている間に、塩見さんが控えめに声をかけてきた。

「降ろして」
「ダメ」

降ろしたらきっと無理をするだろうから、間髪いれずに却下した。

「で?どこ?」

ヒラヒラと紙を振る木葉さんは、そう言いながらも塩見さんの足を見ている。

「足痛めてます。軽い捻挫かと」
「え、赤葦くん気付いてたの?」
「だからその子のこと抱えてきたのか」

この状況で足の怪我を疑えなかったら、正直どうなんだと思う。うちの鈍い代表の木兎さんだって気付くだろう。

「走らせるわけにもいかなかったので」
「オッケ合格。赤葦1位ー」
「ありがとうございます」

ちなみに、お題は「怪我をしている女子」

「っておい!どこ行くんだよ!」
「救護テントです。ほっといたら悪化するだけなので」
「これ!これは?!」
「木葉さんお願いします」

順位とか、ぶっちゃけどうでもいい。俺にとっては、塩見さんの怪我が悪くなる方がよっぽど問題だ。

「あ、赤葦くん、私歩けるから」
「無理しないでいいよ」
「でも、重いでしょ?」
「そんなことないから大丈夫」

比べられないからなんとも言えないけど、塩見さんは見た目よりも細いんだなって思ったくらい。
重くないと言ったら嘘になる。人ひとり抱えてたら重くないわけがない。ただそれが、耐えられる重さなのかどうかって話だと思う。

「…ごめん」
「塩見さんが謝ることじゃないよ」
「でも、迷惑かけてる」
「俺が迷惑と思ってないから迷惑じゃない」

嘘ではない。ほんの僅かにも迷惑だなんて思えない。

「…うん。ありがとう」

ふいに塩見さんが体を預けてきた。
いや、こう言うと今も抱えてるんじゃないかって話になるんだけど…こう…緊張からか預けてはくれてなかったんだよ。走ってるときでさえ掴まってくれないし。

「誰にも気付かれないと思ったんだけど、よく気付いたね」
「障害物の途中、跳び箱の後くらいから急にペースが落ちたから、もしかしたら怪我したのかと思っただけだよ」
「すごいなぁ。顔にも出てなかったはずなのに」
「怪我は隠したりしないで、ちゃんと手当てして」
「う…」

塩見さんが怪我をしたかもと思ったら、気が気じゃなかった。お題を見たときマジGJとも思った。塩見さん以外で、無駄にこんなことするわけない。

でもまぁ…



正直、こういう展開を待ってた
(健全ですみませんね)