6月第3週目:月曜日

朝教室に入って、びっくりした。

「おっはよー赤葦くん!」

吉田さんがいることには馴れた。疲れるけど馴れた。まぁ木兎さんだと思えばなんとかなる。

「おはよう吉田さん、塩見さん」
「おはよう」
「あの…どうしたの?」

挨拶もそこそこに塩見さんに尋ねた。
不躾なのはわかってる。でも聞かずにいられなかった。

「赤葦くん、梨恵と同じ反応」
「そりゃあそうだよ!びっくりしたもん!なにも言わずに髪切ってくるんだから!」

そう。髪が短くなっていた。
肩に届かない程に短く切り揃えられた髪からは、細くて白い首が惜し気もなく晒されている。体育の時にしか見られなかった白さを眺めながら、しっぽは作れないだろうと思った。

「えっと…失恋?」
「昨日、美容師さんにも言われた」

どうやら、さっきから俺は誰かと同じ言葉しか言ってないらしい。

「暑くなるし…なんとなく、短くしようかなぁって」
「伸ばしてるって言ってた!」
「もー。なんだっていいでしょ」

ふと気付いたけど、髪が短くなって塩見さんの表情がよく見えるようになった。
不思議なことに、2人で出掛けたあの日を境に塩見さんの表情がよくわかるようになった。たぶんそう思ってるだけで、なにもわかってないのかもしれないけど。

「もう伸ばさないの?」
「え…変、かな?」
「そんなことない!かわいいよ!チョーかわいい!!ね!?」
「うん。よく似合ってる」

吉田さんに言われたからじゃなく、そう思ってた。タイミングがなかったから言えなかったけど、もし今言えないままだったとしても、授業の合間にでも言うつもりだった。

「……あ、ありがとう」

髪が短くなっても触る癖は変わらないらしい。きっと視線も左下に泳いでいることだろう。惚れた欲目なのか、何気ない行動、癖、仕草がいちいちかわいくてしかたない。

「〜!もー!透子かわいー!」

吉田さんが飛び付くのを横目に見る。
羨ましいとかそんなことは思わない。仲がいいんだなと思うくらい。なんとなく嬉しそうな塩見さんを見れば、それくらいわかる…けど、やっぱりちょっと羨ましい。

「…梨恵、首…死ぬ…」
「それはダメだよ生きて透子!」

勢いよく離れる吉田さんと笑う塩見さん。男が同じことをしたら引くけど、女子だと許されるこの空気感はなんなんだろうか。

「ほら、もうそろそろいい時間でしょ」
「まだ大丈夫!」
「そう言って金曜日間に合わなかったのはどこの誰?」
「うっ」

どうやら吉田さんは朝礼に間に合わなかったらしい。
担任はたしか廣瀬先生だったか。基本的には優しいけど、かなり恐い。悪い奴等はだいたい知り合いってタイプ。

「2日続けたら注意じゃすまないと思うけど」
「うう…」

塩見さんが心配してるだけってことはわかる。わかるけど、いつものほんの僅かな表情の変化すらない無表情で言うのもどうかと…吉田さん泣きそうになってるし。

「わかったよお!でもお昼は一緒に食べる!」
「今日は部活の先輩と食べるんでしょ?」
「うー!でも透子!」
「でももだってもないの。ずっと楽しみにしてたじゃない」
「だけど」

吉田さんは、楽しみにしていた先輩とのお昼を反故にしてもいいほど塩見さんといたいらしい。しかしそれを塩見さんは許さない。話は平行線のまま。このまま言い合ってると吉田さんは確実に間に合わない。そして怒られる。それで終わるならまだしも、塩見さんが気にする可能性がある。

「吉田さん」
「なに?」
「それなら俺が塩見さんといようか?」
「は?」

塩見さんは訳がわからないと言った風の声が出た。吉田さんは声すら出てない。

「今日は部活のミーティングもないし、塩見さんが嫌じゃなくて吉田さんがそれでいいならだけど」
「頼んだ!透子は君にしか頼めないよ赤葦くん!」
「ちょっと梨恵」
「じゃあね透子!赤葦くんよろしくっ!」

そう叫びながら、吉田さんは教室を飛び出していった。
朝礼には間に合うだろうけど、ホント嵐みたいな人だ。木兎さんと並べてどっちがうるさいか比べてみたい気は、しない。ただただ疲れそうだからやめた。

「ごめん赤葦くん。梨恵は無視して、友達と食べていいよ?」
「いや。俺が言い出したことだし、そういうわけにもいかないよ」
「気にしなくてもいいのに」

と言うより、降って湧いたこのチャンスを無駄にできるわけがない。

「吉田さんにも頼まれたし…塩見さんが嫌ならやめるけど」
「そんなことないけど、また迷惑かけて」
「それこそ気にしなくていいよ。俺がやりたくてやってることだから」
「ごめんね」

気にしてほしくないんだけど、まだそうもいかないか。

「お昼どうする?学食行く?」
「赤葦くんは学食?」
「いや、弁当」
「そうなの?」
「塩見さんは?」
「お弁当」

勝手なイメージだけど、学食のラーメンを食べてるより弁当を食べてる方がよっぽど塩見さんらしい。

「じゃあ教室で食べる?」
「…教室、苦手」
「そうなんだ?」

そういえば塩見さんがお昼を食べてるところを見たことがない。教室で食べるときも、学食で食べるときも。

「いつも私が行ってるところでもいい?」
「もちろん」

いつもどこで食べているのか。塩見さんの秘密を教えてもらうようで、子どもの様にわくわくする。

「じゃあ、あとで教える」
「うん」


* * *


授業間の休み時間、携帯に届いたメッセージには、これから向かう場所と一緒には行きたくないということと、ごめんなさいが書いてあった。塩見さんは変なところを気にしてるから、そう言われるだろうなと思ってた。同時に謝ってくるだろうなとも思った。

塩見さんが教室を出るのを待って、弁当を片手に教室を出る。

「あれ?赤葦今日弁当?」
「約束しててさ」
「へー、先輩か?」
「そんなとこ」

適当な言い訳を口にして、指定された場所へ向かう。こそこそするつもりはないけど、先輩達に見付からないように細心の注意は怠らない。違和感を出さない程度に警戒するのって意外と難しい。

無事先輩達に見付かることなく、誰に違和感を持たれることもなく生徒の声が遠く聞こえる教室の扉を開いた。

「ごめんね、こんなところで」

その先には、窓辺で自然光だけを浴びる塩見さんがいた。気にしていないことを伝えながら、塩見さんの正面の椅子を引く。
絵の具の染みた、どことなく柔らかさを感じる木製の机。教室のものより重みのある椅子。美術室特有の匂いは、よく換気されたのかまったく気にならない。

「いつもここにいるの?」

塩見さんは綺麗に包まれたままの弁当を正面に置いたまま、ことりと首をかしげた。動きに合わせて短くなった髪が揺れる。

「お昼休みにここに来る人っていないから、梨恵と一緒じゃないときは」
「吉田さんといるときはどこで食べてるの?」
「中庭とかラウンジとか。行き先は梨恵の気分」
「そっか」
「あ、食べる?お腹すいてるでしょ?」
「うん。そうしようか」

午後になるにつれて柔らかくなり始めている自然光が、いつもと違う雰囲気を作っている気がした。
塩見さんの弁当は、俺の弁当と比べるとうんと小さい。どうして普通の女子ってそんなに少なくて足りるんだろう。

「やっぱりお腹すくの?」
「え?」
「部活のあと、運動部は買い食いしてるイメージあるから」
「ああ、」

それがいいイメージなのかはわからないけど、間違いでもないから否定もできない。いや、否定することでもないか。

「うん、そうだね。木兎さんは必ずなにか買ってるかな」
「木兎さんって、部活の先輩?」
「うん。まぁほとんどの場合みんななにかしら食べるかな」
「みんなで帰るの?」
「急いでなければ。遅くなることが多いし、マネージャーもいるからまとまって帰った方がいいって」
「マネージャーさんもいるんだ」
「うん」

マネージャーの方がよく食べるのは、塩見さんには秘密にしておこう。
弁当の中身はいつもと比べてずっとゆっくりと、時間をかけて減っていた。それでも塩見さんの弁当は俺よりもゆっくりと減っていく。

「みんな仲が良いんだね」
「そうかな」
「やっぱり複数人でやる運動部はいいなぁ。ウチなんてインドアで完全個人だから、そんなのないし」

確かに。団体で挑む吹部とかならまだしも、美術部でそういうのは想像できない。そもそも動かないから買い食いとかもしなさそう。

「私も運動部だったら違ったのかな」
「なにか入りたいと思った部活でもあるの?」
「特に思い付かないけど、赤葦くん達と帰るのは楽しそうだなと思って」
「…え?」

は?

「赤葦くんから聞く先輩達の話いつも楽しそうだし、一緒にいて直接話せたらもっと楽しいかなと」

それは木兎さん達に興味があると言うことでけして俺と帰りたいとかそう言う類いではない。俺達と帰ったらって言ってたしそれ以上も以下もない。塩見さんに他意はない。確かに塩見さんなら木兎さんのめんどくさくてどうでもいい話にも楽しそうに付き合ってくれてそれが部活前なら木兎さんのテンション維持にかなり効果があると思う。ついでに噂の塩見さんが目の前にいたら木葉さん達だってそれなりにテンションが上がるだろう。それが練習試合とかなら勝率も上がりかねない。それは嬉しいことではあるけどそのために塩見さんを呼ぶのも違うしそもそも別にみんなで帰る必要は俺的にはないんだけど塩見さんは俺と帰るじゃなくて木兎さん達と帰るってことを今話してるわけであって…うん。わかった。

「もし塩見さんの帰りが遅くなったときは、一緒に帰ろう」
「……うん、」

塩見さんは小さく、だけどそれは嬉しそうに頷いてくれた。

「あ、だからって遅くまで残ったらダメだから」
「…うん…」
「危ないし、家の人に心配かけるだろ?」
「…そうだね」

楽しみにしてくれてるのは、それが例え木兎さん達が理由だろうとしても嬉しい。
だからと言って塩見さんを遅くまで付き合わせるわけにはいかない。美術部がいつも何時まで活動してるのかなんて知らないけど、バレー部より遅くなる部活は他の運動部ですらなかなかない。

「じゃあ、その日がくるのを楽しみにしてる」

楽しそうな塩見さんを見るのは、これが2回目。1回目は2人で出掛けたあの日、食品サンプルを見ていたとき。前回も今回も直接俺は関係してないけど、どちらにせよ塩見さんは楽しみにしてくれている。

その事実だけで、充分だ。



反則も、悪くないなと思いました