13日
ピークであるお夕飯時を乗り越えて、こっそり一息ついていた時。聞き慣れた声が聞こえてきました。
「あ、六坂ちゃん!」
扉を開いてするりと顔を覗かせたのはこの間お世話になった月島さんでした。
「月島さん、こんばんは。この間はお世話になりました」
「あれから大丈夫だった?」
あれとは、間違いなく土曜日のことでしょう。奇跡的にあの日以降はラストにならなかったので、また後をつけられるようなことはなかったのですが…だからこそ不安は募る一方と言いますか。
「はい、ありがとうございます」
しかしいつまでも暗い顔をしていたら、月島さんに心配をかけますし、接客するにも不適切です。なにより不安ばっかり溜め込んでも仕方がないので、月島さんが心配してくださったという事実を嬉しく思いましょう。
「珍しいですね、平日にいらっしゃるなんて」
月島さんは平日はあまりいらっしゃいません。土曜日に赤井沢さんといらっしゃることが多いですね。
「今日は弟とその友達連れてきたんだ」
「弟さんですか?」
そう言えば山口くんと月島くんがいつかにご来店いただけると言ったお話ですが、都合がなかなか合わないらしくまだご来店いただいていません。シフトはお伝えしてあるものの、まだ日が浅いので当然ではありますが。
「あれ?入ってきてないし。ちょっと待ってて」
ここ学生だけだとなんとなく入りづらいんですよね。就職したら来てやろうと思うくらいには。
それにしても、まさか弟さんとご対面することになろうとは。月島さんに似て爽やかな方なんでしょうか。少しだけ楽しみです。
「ほら、六坂ちゃん待ってるから」
「ちょっとやめて…」
「え?六坂ちゃんって…六坂さん…?」
「え?山口くん、に…月島くん?」
外扉の向こうから月島さんに引っ張られて入ってきたのは、昨日お昼を一緒に食べた月島くんと、今日生理学で一緒に講義を受けた山口くんでした。
「え?月島さんと月島くん…え?」
「今日はバレーやって来た帰りでさ、六坂ちゃんのこと紹介しようと思って連れてきたんだけど…知り合いだった?」
「はい、山口くんとは学部が一緒で、月島くんは山口くん繋がりで…」
「そっか!」
驚きました。まさか月島さんと月島くんがご兄弟でいらしたとは…そもそも苗字で気付くべきですよね。
「兄ちゃんが言ってた六坂さんって」
「そう!かわいーだろ?」
「そんな滅相もない。私にはもったいないお言葉です」
「な?かわいーだろ?」
月島さんのかわいいの基準がわからない。
「あ、すみません。お席ご案内致します」
呆気にとられてたけど、いつまでも立ち話をしていい身分ではありませんでした。速やかにご案内して速やかにご注文をお伺いせねば。
「今おしぼりとお冷やお持ちしますので」
「うん、ありがとう」
月島さんはともかく、山口くんと月島くんはすぐには決まらないだろうと思い、赤井沢さんといらっしゃるときより気持ちゆっくりめでお冷やの用意をしているときでした。
「六坂さんっまたあの人来ましたね、今度はお連れさん変えて」
先輩のまひろさんがどこか楽しそうに話しかけてきました。廣瀬さんとは違い、私と月島さんの間を疑っているのです。勘違いもいいとこですよ。私なんかに月島さんは勿体なすぎて、それこそ月と泥団子です。
「お連れさんは身内の方なんですか?めっちゃ似てますけど」
「弟さんだそうですよ?」
「お知り合いだったんですか?」
「同級生でした」
「すごい偶然!」
ちなみに、今までに出てきた先輩とは違う方です。まひろさんは普通の先輩です。歳的には後輩ですけど。今までの方は長濱さんです。ここはお間違いなきよう。
「じゃあオーダーは六坂さんにお任せしますね」
「はい」
もちろんまひろさんもいい人ではあります。年相応な反応は可愛らしいなと思ってしまう辺り、10代と20代の壁を感じました。私も高校生の時はこんな感じだったのでしょうか。
「お待たせしました」
「お、いいところに」
トレンチを軽くしてオーダーをいただくと、今日は皆さん定食のようでした。
「今日は遅くなるの?」
月島さんに問われ、言葉が詰まりました。
いつもなら適当に流すことも容易い問いでしたが、月島さんはこの間のことを知っているから、きっと心配してのことでしょう。
「ちょっと、同級生ナンパするのやめてくれる?」
「そーじゃないって!帰りが遅くなると危ないだろ?」
ほんの少しだけ、怖かったのを思い出しました。
「お気遣い頂きありがとうございます。ですが大丈夫ですよ」
ちゃんと笑えたでしょうか。もてなす側の人間が心配させては元も子もないので、下手くそでも取り敢えず笑えていればなんでもいいんですけど。
だけど、なんとなく隠しきれなさそうな予感がありました。山口くんも月島くんも、とても良く人を見ている方だと思うので、逃げるように次の接客へ戻ってしまいました。
「お疲れ様でした」
「お疲れー。気を付けてねー」
「はーい、ありがとうございます」
土曜日よりは早いものの、出歩くには遅い時間。でも今日は傘があるので、何かあったとしても撃退できる気がします。雨は降っていますが、私はやればできる子なのです。
通用口から出て少しした時。やはり妙な空気を感じました。しかも、なんとなく、前回よりも嫌な予感。傘1本で強気に出たのがいけなかったんですか?謝りますので許してください。
「ちょっと道を聞きたいんですけど」
そんなひねりも面白味もない、使い古された言葉に背筋が冷えました。
明るかったらなんにも思わないでしょう。観光できたのか迷ったのかと思えますから。ですが今は深夜とも言われる時間帯。出歩く人はほとんどいない。ましてや道を聞くような人が出歩く時間でもない。
ダメな予感しかしません。雨の音で掻き消えない問いかけ。イヤホンでもしていたら聞こえないふりでもできたのでしょうか。
「いえ、あの、急いでるので」
振り替えると、たぶん前と同じ人。顔なんてちゃんと見てないけど、サラリーマンっぽい人。
「どうせ帰るだけでしょ?お話くらいいいじゃない」
なんもよくない!道聞きたいんじゃなかったんですか!
「いや、無理です」
「そー言わないでさぁ」
近寄られた分だけ離れて、一定の距離は保つ。間合いに入られたらダメだ。きっとどうにもできない。
そうだ、誰かに連絡って、この間月島さんに言われた…けど、ダレに?こんな時間に頼れる人なんていない。どうしたらいい?好き好んで新聞の一面を飾りたいわけじゃない。
「どっかで座ってさ、話そうよ」
怖いけど、やらなきゃやられる。
「ちょっとオジサン、なにしてるの?」
傘を握る手に強く力を込めた時でした。ここで聞こえるはずのない声が聞こえました。
「あいにく男にキョーミないの」
「僕もないよ」
「じゃー向こう行っとけ」
…この人、月島くんを見たらどんな反応するんですかね。
「残念ながら事件現場目撃しちゃったので」
「事件じゃないからダイジョーブだよ」
「妻子持ちで婦女暴行とか、とんだクズですねー」
「うるせーんだ…よ…」
ようやく月島くんを見てくれましたが、言葉が消えていきました。
ええ、声だけ聞いてたら、まさかこんなにおっきい人とは思いませんよね。見てビックリですよね。
「ちっ…」
舌打ちだけ残して、サラリーマン(たぶん)は月島くんに体当たりするように道を戻っていきました。華麗にかわされて転びかけてましたけど。
「なにやってるの?」
「いえ、月島くんこそ、どうして」
「に…兄貴から聞いた。この間遅くに帰って後つけられてたかもって」
あの日は月島さんにずいぶんとご迷惑をおかけしてしまいました。
「最初聞いたときは、よく行く店のバイトの子ってだけだったから正直どうでもよかったけど、今日六坂さんの事とか言われたから」
「月島くんにもご迷惑をおかけしてしまいましたね。すみません」
「そうじゃないでしょ?あんた下手したら殺されてたかも知れないんだよ?ついこの間怖い思いしたくせになにひとりで帰ってるのさ」
「だって、同じ方面の人なんていないし」
月島くんが少しだけ距離を詰めました。
…あれ?月島くんってこの辺りに住んでるんですか?
「前で待ってたのに、帰ったとか言われるし」
「え?」
「だから!そんな話聞いてほっとくわけにもいかないから山口には兄ちゃんと先に帰ってもらって、わざわざ店の前で待ってたのに出てきた人に先に帰ったとか言われるし、挙げ句その人に道聞いて追っかけるとか、なんだよ…」
「あの、なんかすみません」
「謝ってほしいわけじゃないんだけど」
「す、すみません…」
「はぁ…もういいから帰るよ」
月島くんはいつの間にか私の目の前にまできていました。こんなに近くで月島くんを見たことがなかったのですが、こうして目の前に立たれると良くわかります。
傘の下から見上げると、顔が濡れる。背が高いというだけで、それだけで強力な武器になる。
「六坂さんが歩いてくれないと行き先わかんないけど」
「え、あ!すみません!」
夜も遅いので、いつまでも月島くんを付き合わせてしまっても申し訳ありません。それに、この雨の中で体を冷やしてしまってもいけません。だから、早く帰らなきゃと、思うんですけど。
「帰らないの?」
「いえ、そうじゃなくて」
私は、私が思っていた以上に怖がっていたようです。
「あの、ありがとうございます」
この日。涙というものは、意識と関係なく流れるものだと、私は初めて知りました。