夏合宿。東京と宮城の異なる暑さをものともせず、それぞれが部活に励んでいた。
そんなある日の夜のこと。

「みんなストーップ!足元注意ー!」

三橋の声に「なんだなんだ」とそれぞれが足元を見ると、どうやらココットが4つ床に置いてあったらしい。

「誰だよこんなの床に置いたやつ」
「あー。すみません。それ多分うちのバカです」

ココットを4つまとめて拾い上げながら「足を止めていただいてすみません」といいながら、三橋は苦笑いしながらある部屋に向かった。

辿り着いたのは烏野に割り当てられている教室。三橋は夜とは思えないほど賑やかな教室のドアをノックする。その音で一瞬静かになった瞬間を逃すことなく声を上げた。

「せっかく内緒でデザートを4個もあげたのに、食べた後のココットを廊下に放置したバカ日向くんはいますかー?」

もちろん件の人物が中にいることはわかりきっている。わかっているからこその言葉でもある。
案の定バタバタと音がする合間に「お前そんなに食ったのかよ」「ちっちげーし!いやちがくないけど」「どっちなんだよ!」なんて会話が聞こえる。
しばらくドアは開かないかな、なんて覚悟するよりも早く教室のドアが開いた。

「なに?どうしたの?」

どうやらドアを開けたのは月島らしい。
騒がしいのが苦手な彼のことなので消灯時間になるまでどこかで時間を潰しているかと思ったが、そうでもなかったらしい。

「いやね、日向がこれ床に放置してたみたいで」

三橋はなんてことないように、4つのココットに指を突っ込んでまとめて掴んだ片手を持ち上げる。
それを見た月島はため息をひとつつくと、ココットを2つ取り上げた。

「わっ!ちょ!あぶなかった…」

いきなり抜き取られたことにより残りのココットを落としそうになったが、反対の手で落とすことは免れた。

「急にとらないでよ。怖かった」
「その持ち方の方が見てて怖かったから」

それだけ言うと、月島は今も騒いでいる教室のドアを閉じた。
きっと月島が外に出たことなんて気付いていないだろう。いたとしても、それは主将の澤村をはじめとした3年、それと基本的に月島と行動を共にしている山口くらいだろう。

「え、あれ?どこいくの?」
「これ、洗わないとダメでしょ」
「私やるからいいよ!」

そう言う三橋の言葉を無視して月島は水道に向かっていた。

「なんかごめんね月島」
「別に。僕が勝手にやったことだし」

たった4つのココット。
たいした時間がかかるわけもなく、月島はそうそうに洗い終えると、後ろでココットを洗っていた三橋を見た。
三橋も早々にココットを洗い終えたらしいが、どうやら置いてあった製氷器の板を洗い初めていたらしい。背中で遊んでいた長い髪は、いつの間にか結んであった。

「なに洗い物増やしてるの」
「違います。見つけたからやってるんです」

ここで三橋が洗わなかったら、きっと他の誰かがやってくれる。でもその誰かはいつやるのか。もっと遅い時間かもしれない。それに、間違いなくマネージャーの誰かだろう。もしかしたらひとりで洗うのかもしれない。それなら三橋が洗い終わるのを、僕が待っていた方がいいのかな。

そう思ったら、月島は口を噤むしかなくなっていた。

「あ…それ、洗ってくれたの?」

無言で見ていた月島の横から声をかけたのは、同じ烏野マネージャーの清水だった。
月島は清水に気付くと、無意識の内にけして近くはなかった三橋から距離を取っていた。

「個人的な洗い物があったので、そのついでに。よかったらそれもやっときますか?」

そんな月島に背を向けていた三橋が気付くわけもなく、水を跳ねる板をそのままに清水に声をかける。

「いいの?」
「はい!」

よくクールとか美人なんて言われる清水ではあるが、意外とその感情はよく表情に出ていることは清水と共に過ごしていけばすぐにわかった。
うっすらと微笑む清水に向けられた視線から逃げるように、月島の視線はふらりと泳いだ。

「ありがと」
「お安いご用ですっ」

清水の手からも製氷器の板を受け取り、それも流しに入れて水を流す。

距離があるからか、清水は少し距離のある月島に声をかけることはしなかった。けして話ができない距離でもない。実際なにか話そうと思っていたのかもしれない。それでも月島を少し見つめて、なにも言わずに視線を外した。
その視線がなにも語っていなかったわけでもないが。

「じゃあ、よろしく」
「お任せあれっ」
「…頑張って」
「はいっ」

清水の姿が完全に見えなくなって、ひとつ息をついた。そこで初めて月島は自分が緊張していたことに気付いた。
なにに緊張していたのかは、月島自身もよくわかっていないらしい。空気と状況の読める清水が、月島に不利益なことを言うとも思えない。
きっと、最後の頑張っては自分に向けられていたのだろうことは、月島にもわかっていた。

「お人好し」
「いいの。ココットのついでなんだから」

再び大きな板を洗い初めて、ときどき服に水が跳ねている。合間に結びきれていない髪を小指が掬って耳にかける。

「髪すごいことになってるけど」

少し距離を詰めると、髪は所々もつれてとりあえずまとめました感満載の頭がよく見える。

「今だけだし、いいかなーと思って」

気を許してくれているのか、はたまた全く意識されていないのか。

「…これ、僕が直してもいい?」
「うん、いいよー」

どちらにしろ、月島にとってはあまり嬉しくない選択肢である。ほんの少しでも意識していたら、もう少し丁寧に結わいていただろう。それに、こんなに容易く髪に触れさせてくれるはずもない。
そう思いながらそっと髪を手に取ると、やはりそっとゴムを解く。どうやら整えやすいように、頭をあまり動かさないようにしているらしい。変なところで気遣いが出来るものだと、妙な感心をしてしまう。

縺れた髪を撫で付けていると、甘い花のような、少なくとも男子の部屋ではまずしない香りが鼻を掠めた。香水をつけてるイメージはないから、きっとシャンプーかなにかだろう。髪が揺れるたびに掠める香りに、月島は眉を潜めるばかり。三橋に同様を悟られぬうちに結び終え、その頭に手を置いたとき、ちょうど水の止まる音がした。

「月島って器用なんだね」

振り返って見上げながら手をパタパタ振る三橋は無邪気そのもので、月島は衝動のままその小さな体を抱き締めた。
腕の中には小さな想い人。ひとつ鼻を鳴らすと、やはりあれはシャンプーの匂いだったらしいことがわかる。

「え、な、つきし…」

三橋の言葉はそれ以上続かなかった。頬に自分とは違う温度を感じた後、視界いっぱいにぼやけて陰るなにか。それがなにか理解するよりも早く本能的に目を閉じる。

キスされてる。
三橋がそう気付いたのは、何度啄まれた時だったろうか。酸素を求めて僅かに口を開くのを月島は見逃さなかった。三橋の意識は先ほど聞こえていた水道とは違う水音がすっかり支配していた。
強張る身体をなんとか動かし、離れるようにと叩いてみるも月島が離れることはない。
酸欠か緊張か。三橋は足から崩れ落ちそうになったが、月島の腕に支えられ崩れることも許されず、ただ翻弄されるばかり。
それが長かったのか短かったのか。なにぶん経験のない三橋にわかる筈もなく。わざとらしくリップ音を立てて終わる頃には、ほとんど力が入らなかった。

「な、なにすんのよ、いきなり…」

その場に座り込んでも、三橋を抱き寄せる月島の腕は離れない。

「そんなことないよ。僕としてはずいぶんアピールしてたつもりなんだけど」

なにせ積極的に関わっていない清水に応援される程だ。相当なバカでもなければ、この気持ちはかなりの人数に気付かれている可能性が十二分にある。

「は?」
「やっぱり気付いてなかった」

それなのに気付いてなかったとは、もしかしなくとも三橋は相当なバカなのかもしれない。

「三橋さんってかなり鈍いよね」
「え、ちょっと待って月島。よくわかんな」
「気付いてもらえないって、結構くるんだよね。だからさ、もう手加減しないことにしたんだ」
「はぁ?んぅっ」

再び降ってくるキス。今度は早い段階で気付いたのか、すぐに目を閉じた三橋とは違い、少し前も今も全部見てる月島。最初は絶対に目を開けないように、強く強く閉じられていた。それが徐々に緩んでいく様は見ていて楽しかった。今もその目はしっかり閉じられているが、1度目ほど強く閉じていない。鼻に抜ける声と相まって、どちらかと言うなら悩ましげに見えなくもない。

「(ちょっときつい…)」

お互いかなりの身長差がある。座っていてもたいしてその差はかわらず、ほとんど真上を見上げる状態の三橋はかなり苦し気。そういう月島も屈んでいるのでけして楽ではない。
考えた末、抱き締めたまま少し持ち上げて三橋を膝に乗せることにしたらしい。抱き締める腕が強くなったからか、それとも呼吸もままならないまま不意に身体が浮いたからか。どちらにせよ三橋は驚いたらしく、初めて三橋の指が月島のシャツを小さく握った。
それに気を佳くしたのかなんなのか。三橋に回していた腕を1つ、片手で掴めそうなその頭に添えてより深くキスを落としていく。

「っあ…んぅ、ちゅっ…月島っ」
「なに?」

合間になんとか声を出すと、ようやくまともに酸素を取り込むことに成功した。翻弄され続けて呼吸の乱れる三橋とは違い、いつもと変わりない月島。
頭を押さえられている為、お互いの距離はほとんどない。状況をなんとなく理解したのか、じわじわと三橋の顔が赤くなっていく。

「(ああ、かわいい)」

常日頃思っていたことではあるが、当然こうして至近距離で見ることはなかった。それに加えて恥ずかしそうに赤くなる様も初めてみる。

「やだって言ってもやめないよ」
「なんで」
「そんなの、君のことが好きだからに決まってるデショ」

月島の言葉を聞いて、更に赤くなる三橋。
ぱっと下を向いた娘から聞こえたのは「初めてだったのに」なんてか細い声で。

「へぇ!それはいいや」

それは月島にとってうれしい言葉であった。

「な!なにが?!」

まるでからかうように言った月島と視線を合わせた三橋の顔は、やっぱり林檎顔負けで。

「君のハジメテは僕が全部もらうから」

自分の言葉で下を向いて更に赤くなる三橋を、月島はまじまじと見ていた。
ここまで赤くなった三橋も初めてだな。
なんてボンヤリと三橋の初めてをカウントしていた。

(山口にまで応援されるとか)
(カッコ悪い)
(でも絶対誰にも渡さない)




ーーー
おまけ

「だだだだだだ大地!」
「なんだ旭」
「あれ?トイレ行ったんじゃなかったのか?」
「いけないよ!」
「なんで?」
「だって、月島と三橋さんが廊下で、き、キキキキキ」
「だからなんだよ」
「…キス、してる…」
「あー…」
「そりゃ行きづらいべな」
「全く、月島には場所考えろって言わないとなぁ」
「え!そんなの言われたらはずか死ぬからやめてあげようよ!」
「でもこのままだとお前がはずか死ぬことになるぞ」
「うっ」
「いやー、しかしやっとかー」
「三橋ちゃん全然気付かないんだもんな。俺だんだん月島が可哀想になってきてさー」
「わかるわかる。それとなく伝えようとしても全然だったもんな。月島はこれからも苦労するんじゃないか?」
「意外と三橋ちゃんが急成長を遂げたりしてなっ」
「…それはそれでなんとなく嫌だな」
「つーか旭は早くトイレ行けよー」
「だから無理だって!!」


2016/12/03