オレンジ色の水筒を忘れなかった?


木兎さんたちが卒業してから1ヶ月もしないうちに新学期が始まって、なんとなく不思議な気持ちになる。この校舎に、先輩たちはもういない。そんな喪失感にも似た気持ちが胸の隅に巣食ってる。

受け取ったクラス表に榊の名前はなかった。それで落胆する程でもないけど、また同じクラスだったらよかったのにとは思う。もしそうなったら3年連続で一緒だったのに、とは少し思わないこともない。

始業式だろうと部活のスケジュールは1年の時からほとんど変わらない。今年も式が終わればそのまま体育館に直行する予定だった。

「あ!赤葦!」
「榊」

廊下で不意に話しかけられて、少しだけ緊張した。そんなこと榊は気付かないだろうけど。

「今年はクラス別れちゃったね」
「そうだね」
「これから部活?」
「うん」

特段話さない期間があったと言うわけでもないのに、こうして話すのはずいぶんと懐かしく感じる。

「ついに部長になったんだっけ?大変だね」
「いや、あんまり変わらないかな」
「そうなの?」
「木兎さん細かいこと苦手だっ…」

失言だったと気付いたときにはもう遅い。

バカか俺は。なんでここで木兎さんの名前をうっかりだしたのか。去年の、ましてや部長の話をしたら木兎さんが出ないわけがない。こうなる前に早急に話題を変えるべきだった。

「確かに、木兎さん会議とか忘れてそう」

そう思ったのに、榊は俺が思っていた以上になんの反応もしなかった。
卒業式のとき、俺ら直接の後輩に負けないくらい泣いていたのに、今の榊は凪いだ海のような面持ちだった。どこまでも穏やかで、慈しむような表情。

いつかにこんな表情をした榊と話をした気がする。

「本当にもう大丈夫だよ!だから気にしないで!」
「うん、よかった」
「え?」
「榊がまた元気になれたみたいで、よかった」

俺とは状況が違いすぎるから、全部理解することはできない。俺が榊を元気付けるって言っても限度がある。
だから、元気になってくれたのは本当によかった。

「赤葦には迷惑かけちゃってたね」
「そんなことないよ」
「今だって心配してくれたんでしょ?木兎さんの話になっちゃったから」

図星を突かれて何も言えない俺を、榊は気にすることなく話し続ける。

「整理はできてるからさ、だから大丈夫」

整理は、ね。

「まぁまた暇だったら観に来てよ」
「うん」

きっとまだ木兎さんのことが好きなんだろう。笑った顔は少し無理をしているように見えた。
始めからわかっていたことだけど、半年以上経ってもまだ木兎さんが好きだなんて考えものだな。
なんて、俺に言われたくないか。

「あ!そうだ!赤葦に聞かなきゃいけないことがあるんだよね」
「どうかした?」
「携帯教えて」
「え?今までに連絡取ってたことあったよね?」

これは間違いない。俺の連絡ツールの下の方に埋もれつつはあるが、榊とのトーク履歴はあったはず。

「それがさ、この間携帯落として画面割れちゃって」
「引き継ぎできなかったの?」
「バックアップうまくとれてなかったみたいでアドレスもトークもぜーんぶなくなっちゃった」
「それは災難だったね」
「だからまた教えてー」
「わかった」

アドレスを打ち込んでる間、時間を確認しようとした時にタイミング悪く躓いて、更に運が悪いことに画面がコンクリートに向けて落ちたことを話してくれた。
怪我がなかったのか聞いたら「ケガはなかったけど携帯が大ケガだよ」なんて笑って答えた。

「ありがとー」
「QRコード出す?」
「あ、うん」

アドレスの次はほとんど主流になってるアプリ。
そう言えばアプリで連絡はしてるけど、アドレスや電話番号を知らない人も結構いるな。

「よーし、スタンプ送ったよ」

デフォルトのスタンプが通知画面でコミカルに踊ってる。

「届いた」
「よかった」

榊の電話番号なら聞いてでもほしいけど、榊はどうなんだろう。みんなに聞くタイプなのかな。

「赤葦がアドレス第1号だね」
「そうなの?」
「うん。他のみんなにはこれから聞くんだー」
「そうなんだ」

偶然でもなんでも、榊の携帯に1番早く登録されたのって、なんとなく嬉しいかもしれない。

「また見に行くときは連絡するね」

それに、木兎さんがいなくなってもバレー部を観に来てくれるらしい。

「その時は歓迎するよ」
「じゃーねー。部活頑張って」
「ありがとう」

榊が1番にアドレスを聞いてくれた、また部活を観に来てくれるかもしれない。

たったこれだけのことで舞い上がってる俺がいるだなんて、榊はこれっぽっちも知らないんだろうね。