(河豚は食ひたし)


それは、よくある一日に起きた、本当に小さな事件だった。

「あれ、卵が足りない…?」

進軍を進めろとこんのすけに怒られて、数日ぶりにみんな同じ部隊で出陣してもらった今日。私は親子丼がどうしようもなく食べたくて、晩ご飯は親子丼にしようと思った矢先。どうやら卵が足りないことに初めて気がついた。

「ふむ…買いに行くか」

今日まで食材に関して通販と言う便利を極めたものを使っていたけど、気付けば私はこの本丸に来てから一歩も外に出ていなかった。この阿呆なまでに広い本丸では満足に運動不足にすらなれないけど、たまには外出して気分転換するのもいいだろう。ついでに多目に卵を買ってプリンでも作ろうじゃないか。
そうと決まれば善は急げだ。なによりも、急がないと皆が帰ってくるまでにご飯の準備が間に合わないかもしれない。
私は部屋に戻って出掛けるための準備とその方法を調べて、巾着に財布だけを突っ込んで外へ出た。

卵が食べられるようになったのは、黒船がいらっしゃった江戸の頃かららしい。もしかしたら、みんなはだし巻き玉子も初めて見たんじゃなかろうか。よくもまぁ怖がらず食べてくれたもんだ。

と、言うことで来たのは江戸。選択理由は着物でも目立たないから。ついでに江戸はいろいろと題材にされやすいから、比較的馴染みのある時代だと勝手に思ってる。

「すみません、卵を頂けますか?」

この頃の卵は高級品。それを情報として頭でわかっていたはずのに、きちんと認識できていなかったらしい。希望通り卵を購入できて鼻唄を歌うレベルの上機嫌ぶりで帰ろうとしたら、賊に襲われた。

よく考えたら、高級品をまとめて購入したんだから金持ちだと思われて当然だろう。卵を奪っても嬉しい、財布を奪えたらもっと嬉しい。そんな単純思考、私にかかればすぐに見抜けたね!ああ、金ならあるさ!食費や光熱費なんかは必要経費としてお上が出してくれてるからな!それなのにムダに給料いいからな!使い道なんて今のところないのに!
…冷静に考えると、これかなり怖い仕事だな。

「ああ!動きづらい!」

緩衝材にと風呂敷にはあらかじめタオルをしこたま仕込んであるから、私が落としたり投げたりしない限り卵が割れる心配はない。たぶん。全力ダッシュにも耐えてくれてるだろう。問題は私の足だ。
毎日着るのは、基本的に審神者の正装とされる袴。だけど今日は周囲に溶け込むって意味で着物を選択してしまった。もちろんたまに着物も着てるから動けないなんてことはないけど、こんな動きにくいもので走ることなんてしない。しかも草履は地面の硬い感触をダイレクトに足に伝えてくる。
端的に申し上げると、足がめちゃくちゃ痛い。

「いだっ」

しかも何を踏んだのかわからないけど、足の裏がじくじくと痛み始めた。妙に水っぽさを感じるから、恐らく切れてるだろう。それに伴ってペースが落ちて、あっさりと賊に追い付かれてしまった。

とても困った。困ったなんてものじゃないくらいとんでもなく困ってる。周りに被害を出さないためにと思って人の少ない方へと逃げてきたけど、これ明らかにダメなやつだったよね。私の武器はこの卵。だけどせっかく入手した卵をムダにできるわけがない。風呂敷を大事に胸に抱えて策を練るけど、どう考えても行き着く先は卵を投げる攻撃。

万事休す。そう思った時、私と賊の間に滑り込んだのは鮮やかな蒼い衣。

「え、お小夜?」

驚いた私の声に小夜は反応を示さず、短刀を向けてただ賊を見ていた。賊は小夜を見て、数で圧さずともいいと判断したんだろう。下卑た笑みを浮かべて距離を詰めようとじりじり足を進める。
賊は口々に小夜を下に見る発言をするけど、小夜は動かない。ここで賊を切り捨てては歴史改変に繋がるから、安易に手が出せないのだろう。しかしこのまま身ぐるみ剥がされても歴史改変に繋がる可能性がある。どちらに転んだとしても、歴史に介入しないようにしないといけない。

「誰が童だって?」

せっかく小夜が来てくれたのに、結局状況はあまり好転しないのかと頭を悩ませていたら、続いてどこからともなく薬研と前田、それから今剣が現れて私に背を向けていた。

「主君、ご無事ですか?」
「あ、うん」
「帰ったらすぐに治療が必要だな」
「あるじさまにけがをさせたつみはおもいですよ」

その言葉を聞いたからか、彼らの殺気を感じ取ったからか。賊は僅かに退いたように見えた。遠巻きながら耳に届く言葉の中には「異人」や「妖怪」と言った単語が混じって聞こえる。
それぞれが皆、賊に刀を向けている。このまま場が収まるのか、それとも血が流れることになるのか。情けない事に私はいまだ彼らの戦う姿をこの目で見たことがない。これから、目の前で人の血が流れる可能性があるという事実に、知らず足が後ろへ下がった。

「本来なら迷わず切り捨てるところだが、」

とんっと何かにぶつかったと思ったらするりと肩を抱かれ、とっさに見上げて見えたのは、見慣れた白い布を被った金の髪だった。

「主に見せるものではない」

普段の様子からは想像もしなかった。こんなあからさまに人に殺意を向けるみんなを、私は今日まで想像できなかった。

「引け。引かねば斬る」

五人の刺さるような殺気に恐れをなしたのか、それとも彼らを妖怪だと思って刀が通らぬと判断したのかはわからない。とにかく賊は尻尾を巻いて逃げ出した。

それは、みんな日々戦場で戦い抜き、ケガをしつつも生きて帰って来てくれてるんだと、強く体感した瞬間だった。

「主君、傷は痛みますか?」
「え?あ、ちょっと」
「他に怪我はないか?」
「たぶん?」
「かくしてはなりませんよ!」
「遅くなって、ごめん」

代わる代わる心配の声をかけられて、ようやく誰の血も流れることなく無事に事が済んだと頭が理解し始めた頃。

「っ!おい、大丈夫か?」

思っていた以上に緊張してたのか、ふいに力が抜けた。
もちろん、ばんばに肩を支えられてたから地面に膝を強かに打ち付けることはなかった。

「ごめん、なんか安心したのか力抜けちゃった」

うまく笑えてるだろうか。
こんななんでもないことでみんなに迷惑をかけるなんて、こんな主では誰もついてこない。そう思うけど、私の足腰に力が入る様子はない。

「むりはよくないですよ?」
「お荷物お預りします」
「ほら、大将はこっちだ」

すっかり地面にへたりこんだ私から前田が風呂敷を奪い取り、薬研は容易く私の体をその細い両腕で抱え上げた。

「え!ちょちょちょ待って!」
「無礼は承知してるが、今は大将の治療が先だ」

けして不安定と言うわけではないけど、生まれて初めての経験に驚いてとっさに薬研の肩にしがみつくと、よりしっかりと抱えるため腕に力が入ったのがわかる。
まさか私とほとんど身長の変わらない薬研にこんなあっさり抱えられるとは思わなかった。身長もそうだけど、細く見える薬研が私をこんなマッチョしかできなさそうな抱え方で持ち上げられるだなんて、全く微塵も思ってなかった。
…まぁ、うちにいる人達みんな細いんだけど。

私は都合よく近くにあった座れる程度の岩の上に降ろされ、薬研はそのまま流れるように私の足を手に取るものだからびっくりしたなんてものじゃなかった。

「待って待って待って!げんちゃんストップ止まって!」
「なんだ大将」
「なにしてんの?!」
「足袋を脱がないと怪我の状態がわからないだろ?」
「いやいやなに言っ…いや、意味はわかるけど自分で脱ぐから!」

迷うことなく私の足を取って足袋を脱がそうとするなんて思ってもみなかったから、とっさの反応が遅れた。それでもなんとか脱がされる前に薬研を止めて、自分で足袋を脱ぐことに成功した。
脱ぐ時に変に負荷がかかって痛かったのは、隠すことなくお伝えしよう。ついでに足袋と草履が思った以上に血まみれだったこともお伝えしよう。

「すまん大将、うっかりしてた」

私が足袋を脱ぐ間に今剣と前田に怒られてたから、私からは何も言うまい。いくらなんでも着物捲られて足袋を脱がされるってなんだよそのシチュエーション、漫画か。あのまま実行されてたらと思うとそれだけで羞恥心で死ねそう。

「いえ、わかって頂けたのならいいです」

あえて被弾したくもないので、なにをどううっかりしてたかも聞かないでいてあげよう。
薬研はいまだ鈍い痛みを生み出す足を手にするが、直接見ようと持ち上げないのはさっき怒られたからかなのか。それはいいんだけど、傷の度合いを調べるためなのか、直接触れないよう足の裏を撫でるのもやめていただきたい。痛い。

「大将なに踏んだんだ」
「わかんないよ、必死だったもん」

ガラスなんてこの時代にほとんどないだろうから、なにを踏んで切ったのかとんと検討がつかない。

「そんなにざっくりいってる?」
「ここで大将の足を上げるわけにいかないからわからんが、出血からして浅くはないな」
「うへぇ」
「主君、今日はどこからいらしたのですか?」
「どこって…ああ、神社だよ。神社の裏手に出てきた」

一瞬なんのことかわかんなかったけど、すぐにここに繋がる出口のことかとピンときた。
前田の聞き方的に、毎回出口になる場所が変わるのかな?

「じんじゃ…ここからはすこしとおいですね」
「歩ける?」
「うん」
「いや、歩かない方がいい」
「え」
「じゃあ、運ぶ?」
「大丈」
「そうだな」

…みんな知ってたかい?ケガ人の意見はすべからく淘汰される運命にあるらしいぜ。

私が口を挟む隙を少しも与えられず、あれよあれよと言う間に私はばんばに抱えられて帰ることが決定していた。そして、やはりあれよあれよと言う間に本丸の手入れ部屋まで連れ込まれた。
一言だけ言わせてもらえるなら、げんちゃんや私より頭一つ分程背の高いばんばと同じ目線になると、少しだけ世界が広くなったように感じるのが不思議だった。

「さて、早速だが治療を始めるぞ」

治療と言っても傷口を消毒して保護するだけ。それだけなのに何故かみんなに見守られてるものだから、恥ずかしくてしょうがない。

「ぃいったぁ!!」
「こら、逃げるな」
「仕方ないでしょ、痛いんだもん!」
「これだけばっくり切ってて痛くないわけないだろ」

しかもめちゃくちゃに痛い。
さんざん喚きながら手当てを終えても、まだ私は解放されなかった。佇まいを直した私の前には、やけに心配そうな顔をしたみんながいる。

「頼むから、今後本丸から出る際は誰かを連れていってくれ」
「でもちょっと買い物に行くだけだったし」
「なにか起きてからじゃ遅いんだ。大将だって身をもってわかっただろ?」

たしかに、みんなが来なかったら私はどうなっていたかわからない。身ぐるみ剥がされていたのか、はたまた殺されていたのか。

「誰でもいいから必ず一振り連れていってくれ」
「…承知しました」

次同じ事を繰り返して、またみんなが都合よく来てくれて助かるとは限らない。それに、また外で着物を捲られそうになるのも嫌だ。
次からはちゃんと誰かと一緒に行くことを、ここに誓おう。

「そう言えば、なんで私があそこにいるってわかったの?」
「ああ。最初に気付いたのは山姥切の旦那だったな」

ふと思ったことを聞いたら、どうやら時間的に私がケガをした頃にばんばが察知して、そこから連鎖するようにみんなが私に何か起きたと気付いたらしい。その後は短刀の索敵能力を駆使して探しだしてくれたとか。
違う時代にいたはずなのに私の所に来れた理由はわからないけど、おそらく私の霊力とやらを辿って来たのかと推察できる。
目に見えない繋がりにはホント畏れ入る。あと今日みんな同じ部隊にしててよかった。

「飯の用意は俺っち達に任せてくれ」
「いや!それは悪いよ!」
「その足で用意させるわけにいかないんだが」
「げんちゃん達料理なんてしたことないでしょ」
「なんとかなるだろ」
「なりません!」

そんな壮絶な舌戦の末、私が後ろから指示すると言う形で落ち着いた。もちろん一番こなれていたのは、朝ご飯のお手伝いをしてくれる前田でした。


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