(流水源に返らず)
襖の外に、人の気配を感じる。その襖の近くには少し不格好なおにぎり。それは朝と晩の二度用意されて、手をつけなければ新しく作り直されたものと交換された。誰が作ってくれたのかなんてわからないけど、今ここにいる誰もがほとんど台所に立ったことなんてないから、おにぎり一つでも苦労したんじゃないかな。私はそれを、目が覚めてから数えてもう三日無視していた。
泣き疲れて眠るたびに、繰り返し夢に見る折れた前田。なにも見たいと思ってるわけではない。それなのに、繰り返される夢にうなされては何度も目を覚まして、その度に小夜が手を繋いでくれてるのを知ってる。それに、手に巻かれた包帯はいつ目が覚めても綺麗だから、きっと薬研が細かく変えてくれてるんだろう。
寝ても覚めても泣いて目を腫らせた今の私は、今だかつてない程に不格好だろう。だって目ぇ半分しか開かないもん。絶対ヤバい顔してる。頭だってたぶん鳥の巣だ。それに、せっかく鍛刀したのに顕現させてない刀がいる。そして、一晩に何度も目を覚ましてるなんて前田に知られるのは情けない。ちゃんとしてくださいって、あのしっかり者の少し高めの声に怒られる。
ダメだ、思い出したらまた涙が出てきた。だけどいつまでもこんなんじゃいけないこともわかってる。
「…小夜」
むりやり涙を押し留めて、小夜を呼んだ。さんざん泣いたからか上手く声が出なかったけど、襖の向こうにはちゃんと届いたらしく短い返事が返ってきた。
「心配かけてごめんね。もう、大丈夫だから」
「無理、しなくていい」
入ってこないのは、小夜なりの気遣いなのか。迷うような声に、いったいどれだけ心配をかけたのかわからない。
小夜以外にもちゃんと謝らないと。その為にはこの部屋から出ないといけない。布団から這い出て、なんとなくそっと襖に近寄った。
「ねぇ」
「なぁに?」
「あなたは、死なない?」
襖を開けようとした手が止まった。
なんで私が死ぬって話になったのかはわからないけど、さんざん取り乱して食事すら取ってなかったんだ。なにも思わない方が不思議か。
「人間は、大切な人が死ぬと、すぐに死ぬから」
小夜がどんな過去を背負ってるのか、想像しかできない。多少調べることができるとは言え、それでわかるのはほんのわずかな事象にすぎない。しかも既に改編されている可能性すらある。だけど間違いなく、彼らは私よりもずっと長く人に寄り添って、戦乱の世を生きている。その間、何度持ち主が死ぬのを見届けたんだろう。
「あなたも、死ぬの?」
守りたい人を殺めたと聞いた。何度も人を殺めたと聞いた。でもきっと、それは小夜に限ったことじゃない。
私は、彼らのためにも生きなきゃいけないんだ。
「お小夜」
「え、わっ」
襖を開けて小夜を抱き締めた。その体は、戦場を駆け抜けてると思えないほどに細く華奢だった。
「ごめんね」
「あの」
悠久に等しい時を生きる彼らから見たら、私の命なんて吹けば消える蝋燭の灯火みたいなもんだろう。それでも私はみんなの主なんだ。私が揺らいだらみんなが揺らぐことになる。
「私は死なないよ。だって、この本丸の主だもん」
私はもう揺らいだらいけない。もう誰も折ったりしない。その為には私がちゃんと強くならないといけない。強くなる為には、きちんと理解して全力で発揮しないといけない。
「ずっと側に着いててくれて、ありがとう」
「別に、当たり前のことをしただけ」
「でもありがとう。ご飯作らなくてごめんね、大丈夫だった?」
「なんとかなってたけど…あなたが作った物の方が、おいしい」
「お小夜ぉー!」
不味いものを作ってるつもりはないけど、寡黙な小夜がそう言ってくれるだけで俄然元気になれそうな気がする。ひとまず身仕度を整えてみんなに会おう。それで謝って、また頑張ろう。
「ひとつ聞いてもいい?」
とりあえずと手早くお風呂に入ってベースメイクだけして離れから移動を始めた頃、思い出したように小夜が口を開いた。
「ん?なに?」
「どうして前田が折れたことで、あなたが謝ったの」
元気になれると思ったのに、まさかそんな事を聞かれるなんて思わなかった。
いや、仕方ないよね。人の心を察するなんて難しいよね。ましてやいままで刀として生きてきて、人間生活始めたばっかりだもんね。でも私の心は折れそうだよ。
「私がもっと気を付けてたり、もっと頑張れば前田を折らなくてすんだのかなぁと思ったから」
お上が何を言っても、ちゃんとみんなの様子を考慮するべきだった。練度が上がってきてるからって過信するべきじゃなかった。私の間違いで、こうして前田を失ってしまった。
「それはあなたのせいじゃない」
「え」
それなのに小夜は全面的に否定してきた。
「前田はけして弱くなかった。油断してたわけでもない。ただ、ほんの少しの不運が重なっただけ」
悪いことをすれば怒られる。それが当たり前なのに、小夜は悪いことをしていないと言う。
「前田は折れる瞬間まであなたを守りたいと言ってた。もしあなたが間違えていたのなら、前田はそんな事言わない」
怒られた方が楽だとよく聞く。その意味がずっとわからなかったけど、ようやくわかった気がする。
「前田が、僕達が守りたいと思っているあなたを、あなたが傷付けないで」
こんな怒られ方、あんまりだ。
「前田、どこにいる?」
「あなたを手入れした時、手入れ部屋にそのまま置いてきた」
「そっか」
素人目で見ても、あれは直らないやつだとわかる。たぶん本物の刀鍛冶なら方法があるのかもしれないけど、直したところでそれが同じ前田かどうかは怪しい。
それでも、私に前田を捨てることなんてできない。
「溶かせば、また使えるから」
それは資材にするってことかな。資材不足に困ってるとはいえ、前田を再利用しなきゃいけないほど困ってはいない。
いや、これも言い訳だ。私が前田をそんな風に使いたくないと思ってるだけ。折れた前田を手放したくないと思ってるだなんて、みんなはどう思うんだろう。前田は、どう思うんだろう。
「泣いたのも同じ理由?」
「…うん」
普段行き来してる離れからの道ならもう迷わないのに、小夜は私の手を引いて歩く。気を使ってくれてるのか小夜が振り返らないのをいいことに、また溢れようとした涙を振り払った。
「あるじさま!」
小夜に連れられてきたのは、普段みんなでご飯を食べてる広間。
入る前からみんなでこっちを見てたらしく、いきなり目が合うからびっくりしちゃったよ。今剣なんて駆け寄ってくれたし。
「大将、体は大丈夫か?」
「大丈夫。他のみんなも心配かけてごめん」
「それは構わないが…」
「ほんとうにだいじょうぶですか?」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
天狗下駄を履いてないから、いつもより低いところから見上げてくる今剣に申し訳なさが募る。
でも謝るだけじゃあ意味がない。ちゃんと前に進めるところを見せないと。
「さて!家の事は私がやるから、みんなはやりたいことの準備して!」
「準備?」
「遊びたいとか出陣したいとかあるんじゃない?」
「大将、病み上がりなんだから無理はしない方がいい」
「大丈夫だよ、病気だったわけじゃないし」
「怪我だって完治してないだろ」
「大丈夫だって!」
もしかしたら指はまだ痛むかもしれないけど、体はなんともない。食べてなかったから少し空元気なところはあるけど、勝手にくよくよしてただけで体はすこぶる元気なのだ。
「迷惑かけちゃったからね、今日はみんなの好きなものを作ろうと思ってるんだ。だからなんでも言って」
「そいつはいくらなんでも無茶だ」
「無茶じゃない。まぁ何日かに分けることになるかもしれないけど、料理くらいなんてことないよ」
だから、これは私が頑張る決意の第一歩。
「それならぼくは、あるじさまのおてつだいがしたいです!」
「いまつるさんは優しいねぇ!」
「俺っちも手伝うぜ」
「げんちゃんも?」
「人手はあった方がいいだろ」
「僕も、手伝う」
「本当?」
「ここで俺が手伝わなかったら、あんたは俺を見限るんだろう」
「そんなことないから!でも、ばんばも手伝ってくれるならやっぱり嬉しい」
「…なにをすればいい」
結局みんな手伝ってくれるとか泣けてくるんですけど。優しすぎか。
「じゃあいまつるさんの好きなものを最初に作ろうか」
「いいんですか?」
「うん」
「じゃあ、ぼくはだしまきたまごがたべたいです!」
私が作ったり教えたものしか知らないんだから、この回答がくる可能性は高かった。だけどまさか、一番初めにくるとは思ってなかった。
「…だめですか?」
みんなに教えてないから知らなくて当然なんだけど、だし巻き玉子は、前田が初めて作った料理だった。
「ダメじゃないよ。とびっきり美味しいの作ろうね」
「はいっ!」
動揺は悟られなかっただろうか。忘れる事なんて絶対にできないけど、いちいち動揺してたらダメだ。
「俺っちはアレがいいな、肉じゃが」
「じゃあそれも一緒に作っちゃおう。他のみんなは?」
前田を失ってからようやく理解するなんて遅すぎた。
私は、ここにいるみんなの命を背負ってるんだ。それがみんなを呼び起こした審神者の業で、この本丸の主と言うものなんだ。
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