ある日のお昼休みの後。満腹感とお昼直前の体育で疲れたのか、ほとんどのクラスメイトは夢の中に旅立っていた。先生もそれを気にすることなくチョークを走らせる。

おれも真面目に授業を受けてるわけでもなく、机の下で音を出さずにイベントを進めていた。
もうすぐイベント終わるし、事前登録してた新しいゲームがそろそろリリースされるから、少しでも進めたかった。それに、この分なら起きてるだけで授業態度が少しはよくなると思う。ただ授業受けてるだけだったら、多分寝る。そんな考えのもと、ノートと携帯を交互に見ていた。

ちらりと黒板を見るときに視界に入った吉野さんは、あくびをしてた。教科書に隠れて、先生には見つからないように。それは、ひなたぼっこから起きた猫みたいに見えた。
そんなことを思ってたら、目があった。
びっくりしてそらす暇をなくして固まってたら、彼女はイタズラを隠すような笑顔で口許に人差し指を立てた。所謂、ナイショの格好。

別に言いふらしたりとかしないし。そもそもそんな相手もいない。それに、いつも見せてる笑顔なんかより、今見せたいたずらっぽい笑顔の方がずっといいと思った。

「じゃあこれ、解いてみろー」

まさかの事態発生。選択肢がほとんど別世界へと旅立っているのに、どうしてここで生徒に解かせようとするのか。
前を見るなんてとてもじゃないけどできない。せめて真面目な振りをしようと、教科書とノートを睨み付けた。あ、シャーペン忘れるところだった。

「えーじゃあー…吉野」
「うっ…はぁい」

小さく椅子をならして立ったのは、クラスでも人気者に当たる人。だけど、距離を置かれる人。

「未来に希望を持てない世情の中で、互いの苦しい状況を分かり、共感し合いながらも、生きるために悪事に走らざるを得ない人間の心…?」

静かな教室に響いた不安そうな声。
国語はあまり得意じゃないのかな。

「はい残念。正解は《さしせまった状況の中で不安定に揺れ動き、都合の良い口実を見つけて自分自身を納得させ自分本位に行動してしまう人間の心》でした。ここテストに出すからなー」

この話は、人間のエゴを克明に書き出してる。それを読み解くのはそう難しいことでもないと思うけど。だけど、吉野さんの答えは、少し女子っぽいと思う。女子ならではと言うか、なんとなくだけど。

座って必死に板書する吉野さんの姿は、やっぱり国語が苦手なんだろうなと思った。

「あー、もういいか。起きてるやつの方が少ないもんな。眠いよな、俺も眠い!」

国語の先生は、新任じゃないけど若い。だから頑張りすぎないし、生徒の気持ちがわかる、生徒から人気な先生。おれは、無駄に絡んできてめんどくさいから苦手だけど。
でも、こういうところは嫌いじゃない。授業の進行に影響が出ない程度に手を抜く。この間はなにをしても怒られない。さすがにゲームは見つかったらヤバいと思うけど、それは見つからなければいい話。
とは言え、この状況でゲームをしてたら流石にバレる。仕方なくアプリを閉じて黒板の上の時計を見ると、もう少しで授業も終わる頃。
そんな時に、起きた。

「あ、」

どうしよう。消しゴム…少しぶつかっただけなのに机から落ちて、コロコロと吉野さんの近くまで転がってしまった。

おれの消しゴムを拾ってくれる人なんていない。クラスのほとんど誰とも話したことないし、そもそもほとんどが寝てるか内職してるかだから消しゴムに気付いてない。遠くないし、取りに行けばいい話なんだろうけど、立つのは目立つからやだ。立つときに椅子が鳴るかもしれないし、それで注目なんてされたら死にたくなる。どうしよう。

どうすればいいかわからないまま消しゴムを睨み付けていたら、吉野さんが消しゴムに気付いた。拾って回りを少し見れば、消しゴムを見ていた俺に気付くのも、まぁ当然で。
ジェスチャーだけで消しゴムがおれのか確認してくる吉野さんに、無言で頷く。すると、吉野さんは先生の目を盗んで消しゴムを投げた。

なんとか受け取った消しゴムは、おとなしくおれの手の中に収まってる。吉野さんがこういうことする人だとは思わなかった。吉野さんは、消しゴムがおれの手の中に戻ったことを確認すると、何事もなかったかのようにまた前を向いてしまった。
おれができなかったことを、吉野さんは簡単にやってのけてしまう。ああ。そもそも授業と関係ない話になったんだから、消しゴムなんて後で拾いに行けばよかった。

「あと5分か…もーいいか。今日は終わり。チャイム鳴るまで廊下には出るなよー」

そう言って先生が出ていくと、何故か起き始める人がいる。
みんなが起きる前に済ませてしまおうと、おれは席を立った。近付くのは吉野さん。

「あの……さっき、ありがと」
「どういたしまして」

ほんの1言。さっき聞いたのとも、あの友達と話してるときとも少し違う声に聞こえた。耳当たりがよくて、煩くない。

「あの…それだけ、だから」
「?うん、ありがと」

なんだかよくわからない顔をされた気がするけど、そんなことより吉野さんから離れることが先だった。
視界の端で起き上がる人が見えた。

「ノート見せてー!」
「いーよー」

起きるや否や、吉野さんに真っ先に話しかける人。吉野さんと1番よく話してる友達で、同時に1番あれこれいってる人。
授業開始と同時に寝てたのに、よくそんなこと言えるよね。しかも自分で流した噂は知らないふりしてさ。ホント、そーゆーのやだ。だから女子って怖いんだよね。おれは女子に限らず、他人みんな好きじゃないけど。

それでも、彼女はいつもと変わらぬ態度をとるんだろうなってことも、わかってる。
お人好しなのか、波風立てたくないのか。そんなこともおれに言わせればどうでもいい。おれには関係ない。
そのはずなのに。

「ありがとっ萌香ちゃん!」
「いいえー」

おれの横を通りすぎるときに聞こえた女子の小さく笑う声と吉野さんの表情に、少しだけもやっとした。

「マジチョロ」
「わたしも見してー」
「おっけー」

吉野さんはバカではないから、きっと全部気付いてる。わかっていて見ないふりをしている、と思う。

「持つべきものは、賢いバカって?」

おれとこの人の席は近い。吉野さんとも、別に近くないけど遠くない。だから、きっとこの人たちの声は吉野さんにも聞こえてるはず。そして、この人たちも気付いてると思う。気付いてなかったら相当頭悪いよね。
吉野さんの声はとても耳当たりがいいのに、あの女子の声はとても耳障り。電波が悪くて乱れたテレビみたいに不愉快。イライラする。
ロッカーに教科書しまおうと席を立った。

いつもなら避けてるみたいで目立つからこんなことしないけど、今は少しでもこの煩さから離れたかった。

席を立った時、ほとんど無意識で吉野さんを見た。やっぱりよくわからない表情をしている。悲しむわけじゃなくて、苦しそうでもなくて。なんとなく吉野さんが視界に入っただけなんだけど、もやっとしたなにかがおれの中で増えただけだった。

授業間の、SHRまでのほんのわずかな休憩時間はあっという間に過ぎていく。
耳障りに笑いながらノートを写しているこの人たちは、きっとこのまま借りてるんだろうなと思った。そして、そうなっても吉野さんはいつもとかわりない声で許すんだと思う。
そう思ったら、少しだけ不愉快だった。



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