その心臓をくれないか?
校内のほとんどの人が出ていて、見るからにごみごみした中を私は走る。たった1人の人を探して。
「あ、スガさん!」
「お!三橋ー」
見付けて声をかけると、いつもと同じように手を振ってくれる。でもその手には卒業証書が握られていて、いやでも現実を見つめてしまう。
今日、先輩は卒業する。
先輩たちの中に入りづらいと思ってくれたのか、スガさんは友達に謝りながら私の方に向かってくれる。その時聞こえた「なんだよ、彼女か?」
「後輩だよ」なんて言葉は聞こえないフリをした。
「あの、ご卒業おめでとうございます」
「ありがとな」
本当は卒業なんかしてほしくない。
でもそんなこと言えるわけがない。だって私は田中繋がりで知り合っただけで、別に特別仲がいいわけでもない。良くも悪くもただの知り合い、先輩と後輩。
「なんだかんだ三橋にも世話になったよなぁ」
「いえ、私はなにも、」
自分で考えてて泣きそうになった。
「縁下と一緒に田中と西谷の勉強見てくれてたべ?」
「いやっそれは昔からなので」
それこそ小さいときは田中に勝てなくて、悔しくて冴子ちゃんに言い付けてたら自然と田中に勝てるようになっただけ。冴子ちゃん、怒ると怖いから。
「でも助かったよ。3年になってもあいつらのことよろしくな」
ああ、明日から、スガさんはいない。明日からは学校に後輩しかいなくなる。それがすごく怖くて、不安で、淋しい。
「…はい、」
「え?三橋泣いてる?マジで?」
今なら、泣いてても先輩が卒業して淋しがってる後輩に見えるだろう。本当はそんな綺麗なものじゃない。
昔から今日まで、私は自分でなにもできなかった。田中を叱りつけることも、学校を選ぶことも、好きな人に気持ちを伝えることもできない。このまま気持ちだけをいつまでも引きずってても、なんにもならない。
それなら、この場の空気に紛れて全部流してしまおう。
「そんなに寂しいのか?」
「っ…です…っ…スガ、さっ」
頭を撫でる手が優しくて、声が出てこない。
「まさか後輩にこんなに泣いてもらえるとは思ってなかったからなぁ」
どうしよう。スガさん困ってる。でも止まらない。私の中の「すき」は、思っていたよりも大きかったらしい。
「なぁ三橋」
「な、ですか…?」
涙はあいかわらず止まらないけど、スガさんの優しい声になんとか顔を上げる。ブサイクだろうけど、もう会えなくなるなら最後にしっかりスガさんをこの目で見ておきたい。
あ、ダメだ。かっこいい。そしていなくなるって考えたらやっぱり涙を止めることなんてできそうにない。
「あーあー、擦るから目ぇ真っ赤になってるぞー」
「だっ、て…」
目元をなぞる指先が少し冷たい。
目も当てられない顔になってるはずなのに、スガさんは笑ってるんだもん。恥ずかしい、のに涙は止まらない。
「俺さ、三橋に渡したいものがあるんだよな」
なんだろう?通常後輩から先輩に渡すものがあるとしても、それはお花とかお祝いの品とか。逆があるとしたら、部活の引き継ぎくらいしか思い付かない。
私とスガさんは、悲しいことにどちらも当てはまらない。
「これ、三橋がもらってくんねぇ?」
これ、と指差されたのは、1つも欠けてない学ランの釦。それも、上から2番目。
「…え?」
「お、泣き止んだな」
あの、え?よくわからないんですけど。
「それは、よくないと思います」
「えー」
「だってそれ、」
それは、スガさんを好きな人の誰もがほしいと思うもので、私は早々に諦めたもの。諦めた私が受け取っていいものじゃない。
「第2ボタン?」
「ダメです」
「なんで?」
「だって…スガさんそれがなにかわかってますよね?」
「うん」
わかってなくてこんなことを言ってるなら、それはそれでびっくりものだけど。田中でも由来は知らないだろうけど、知ってることだし。
「だから三橋に渡したいの」
そんなことされたら自惚れますよ?
「もらってくれる?」
「…はいっ」
この際勘違いでも自惚れでもなんでもいい。好きな人の第2ボタンを、好きな人にもらってほしいと言われて断れるわけがない。
「あー、また泣くのかよー」
「なっ泣きますよぉぉ」
プツリとちぎられたそれを私に握らせて困ったように笑うスガさんが好きで、でも無邪気に笑ってるスガさんの方が好きで。
「じゃあ泣くついでにさ、この後ちょっと第2体育館きて?」
「はい…」
え?
「待たせないようにするけど、もし遅くなったらごめんな。でも絶対行くから」
「はい」
「じゃああとで」
くしゃりと頭を撫でて、スガさんは友達のもとに戻っていった。戻ると男子らしいじゃれあいが始まったけど、ふと私と目が合うといつも以上に柔らかい笑顔を見せてくれる。その瞬間、涙じゃなくて血が頭にのぼる感じがした。
あとで体育館って、だって、そういうこと?期待なんてしたらあとで違ったときに辛くなるんだからやめた方がいいのに、期待しないでいられない。
ひとまず、手に握らされた釦を握り締めて、火照った顔を冷ますことに専念しようと思う。
2017/03/09